
先のブログの空中写真の左上方、ちょっと画面から切れ気味に写っている岬に大瀬崎灯台があります。
今では釣りの名所として全国の太公望に有名ですが、この灯台の歴史は古く、初代は明治12年に完成しました。その後昭和46年に改築され、初代の灯台は東京お台場の船の科学館に移築保存されています。お近くの方はぜひ一度!
灯台の高さは15.9メートルで、海面からの高さは83メートルもあります。全国で最大級の光度200万カンデラの光を発し毎日東シナ海の安全を見守っています。
ところでこの灯台、すぐ沖を通っていた遣唐使の目印のために、防人に昼は烽火をあげ、夜はかがり火を焚かせたのが灯台の始めとされています。
中学の時の遠足はこの灯台でした。空中写真の最上部の橋がかかっている集落が私のふるさとですが、ちょっと下った所から左の灯台まで続く山道が見えますよね。今は舗装されてきれいですが以前は大変でしたよ。
灯台を見下ろす山の頂上には大瀬崎無線局があります。元々は地理的な観点から防衛の要所とされ、明治31年に「大日本帝国海軍大瀬崎望楼」として建設されたものです。
例の日本海海戦の時、バルチック艦隊を発見した哨戒艦「信濃丸」の無電「テキカンミユ」を受信した基地として有名です。
「第二次大戦の末期、灯台や無線をねらった艦砲射撃の流れ弾が集落の上を通過していた」と母から良く聞かされていました。
終戦がも少し遅れていたら五島も危なかったとか。集落のあちこちに大きな防空壕が有りました。
Posted at 2005/03/23 15:29:22 | |
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五島・やんちゃ期 | 日記