古事記は「稗田阿礼の暗誦し、太安万侶が編纂」。かたや、「舎人親王が編纂」したのが日本書紀と習いました。
でも最近の研究では、日本書紀にはその文体や漢字の使い方などから複数の編者の存在が想定されているようです。そして中国の歴史書と見合わせたとき、その内容の信憑性にも編纂者によって大きな差があることまでも分析されているとか。
ある編者は漢字に疎いけど内容は正確、方や文章は上手いけど内容は適当。
現在でも文献捏造の話は良く聞きます。実体験だけではなく、人から伝聞した話なども盛り込まれているんですから多少の食い違いはしょうがないんでしょうね。
さらに言えば、これらは聖徳太子一族が滅ぼされた後に書かれた勝者の歴史書。平家物語や太平記まで行かなくても、勝者に有利な記述もかなり多いのでしょう。
「歴史書」としてみるなら、聖徳太子一族が滅亡させられたときにすべて焼却された文書類のほうが興味あります。最近では継体天皇以前についてはかなりあいまいとか。当時の文献が残ってれば・・・、おしい!
でも何百年も後に人格まで解析されてとやかく言われるなんて当の本人は思いもしなかったでしょうね。今書いてるこんなブログもそのうち・・・
しかし・・・・
私達が25~30年くらい前に歴史の授業で習った”史実”なんか今では通用しないのがたっくさん有るんでしょうね。
たまには日本史の教科書読んだり図録とかみたりしなきゃだめかな?
Posted at 2006/12/08 10:56:57 | |
トラックバック(0) |
日々の事ども | 日記