私ももう、この地に居れるのは秒読み段階になってきた。
私の変わりの人材も来て、今指導している。
代わりの人材は20代中半の若手だ。
もちろん結婚してない。
将来有望な彼ではあるが、少し変わっている。
彼が日本で初めて買ったクルマが、初代のパジェロ・ディーゼル。
かなり探して、遠くから引っ張ってきたらしいが、
雨漏りもする、修理に70万以上もかけていた。
周りからは、もちろん
ポンコツと言われてた。
私から見ても、かなりの
ポンコツだ。
というか、私が免許取った頃は新車で買えたので、そんなに珍しくもなんとも無い。
AE86と呼ばれるクルマでさえ、免許持ってて新車の発表会を見に行ったくらいなので全然珍しいとは思わないし、
当時160万で売ってたので、今の中古の値段が馬鹿らしく思えるほどである。
そういえば、まだ有鉛を取り扱ってるスタンドがあったしな。
で、彼はこちらでキャデラックを買いたいと言っていた。
こちらに来て、中古のサイトで1990年代のキャデを見ていた。
私は言った「やめとけ、キャデは修理費が高い、所詮アメ車だから壊れて当たり前だぞ!」
それに修理したから、もう壊れないとかいう甘い考えは通用しない。
そう、彼は自分でクルマをメンテ(修理)出来ない。
私から見れば、そんなチョロイ奴がこの手のクルマに手を出すのは100年早い。
私があこがれる60年代のクルマなら、100万年早い。
そんな奴にアメ車、しかも壊れいく絶頂期の年代のクルマを勧める事は出来ない。
これは親切心から出る当たり前の言葉。
なのに、職場のアメリカ人が、こんなのどう?と1980年前半のクルマを彼に見せた。
一発で彼は嵌ってしまった、角ばって角で怪我しそうなデザインに。(爆)
私は一生懸命言った。
「絶対壊れる」「いや壊れてる」「やめとけ、こんなポンコツ」「お金捨てるようなもんだ」
そんな私の思いやる言葉とは裏腹に、彼はそのスタイルにのめり込んでいった。
そんな姿を見ると、カワイク見えてきた。
「そんなに気に入ったら、買えばいい」
「もし、ダメだったら二束三文でもいいから売ればいいから」
と、後押し。
「買って持って帰る途中でエンコするかもな、わっはっはっ!」
彼は買う気になったが、
欲しい色はブラック。
近所には無い。
なんと、ここから300マイル離れた2つ隣の州。
こんな遠くまで通訳を連れて、しかもまともかどうかも分からないクルマを見る事は・・・・・・、。
彼は、諦めかけていた。
今日、ベンツもいいかな。
日本じゃナカナカ乗る事出来ないしと、10年落ちのベンツを見ていた。
値段は100万くらい。
そんな彼を見ていたら、、またカワイク見えてきた。
そして、彼の耳元で囁いた。
「いいじゃない、ベンツ」
「でもな、俺だったら日本で買うのも難しくない、乗っておかしくないベンツなんかより、絶対80年代のキャデ買うな」
で、日本の同じベンツの中古価格をヤフーで価格を見せてやった。
日本では、50~60万で手に入る。
「軽四より安いぞ!」 笑
日本にいっぱいあるし。
こんな私の親切な説得に反発して、彼はオールド・キャデに対しての熱を益々上げてしまった。
そんな、私の説得に応じない彼に、少し手助けをしてあげた。
私の仲のいいアメリカ人に、
「いいか、彼が見てるモータース屋にあるこのクルマの状況&価格はどれ位下がるか電話して聞いてくれ」
値段は、60万から、あっという間に38万に下がった。
アメリカ人が言うには、30万くらいに下げる事は可能だ、と。
状態は、
どうやら、カムがダメらしい(OHVというエンジン形式では、エンジンの下側にありやっかい)
写真では分からないが、屋根の痛みある。
英語がタドタドシイ日本人なら聞き出す事も出来ない事を、こういう交渉が得意な友人のアメリカ人は簡単に聞きだしてしまった。
どうやら、ケンタッキーまでの途中よりか、シカゴ(イリノイ州)を出る事じたいが難しい。
(大爆笑)
そして私は彼に言った。
「どうしても欲しいか?この国では直らないクルマは無い」
「一晩時間をやる」
「どうしても欲しかったら、すぐ日本から100万こちらに送金してもらえ」
話はそこからだ。
彼の目は輝いていた。
明日が楽しみだ。
というか、この行く末を見てみたい。
だか、この行く末を見るまで、この国の滞在期間が無い。
悔しい!
もっと、この国で楽しみたい。
遣り残した事がいっぱいあるロマンでした。
彼が欲しがってるクルマは、
色は違うがこんなクルマ。
あめりか~んである。
Posted at 2009/08/20 10:05:06 | |
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