
自分の日産スカイラインGT-Rの原点!!
それは、1970年にマイナーチェンジで1969年の4ドア(PGC10)に追加された2ドア(KPGC10)のGT-Rでした!!
発売された時は、小学生だったため、知る由も無かったんですが、普通?のスカイライン4ドアセダンの2000GT-Xは、近所でも見かけてはいました。
4ドアと言う事もあり、まさか、日本グランプリで、レーシングポルシェとバトルし抜き去った(後日談あり)伝説のスカイライン2000GT-Bの流れを汲む車とは思いもよらず。。。(スカイラインは元々、プリンス自動車の車です)
田舎の叔父が乗ってたブルーバード410の方が好きだった(乗せてもらったからだけど)んです!
式場壮吉のポルシェ904(完全なレーシング・カー)を従えて走る、生沢 徹のプリンス・スカイラインGT
(後日談で、生沢選手が、1周でいいから前を走らせてくれと頼んだとか?)
前年の日本グランプリで、プリンス自動車は真面目にルールを守って、ほとんどノーマルのスカイライン1500で参加したんですが、他のメーカーがかなり改造をしていた事で惨敗し、翌年は何が何でも勝つ!と、プリンスグロリアの直列6気筒の2000ccのエンジンを、スカイライン1500のノーズをぶった切り、押し込んで、ホモロゲーション取得のために100台作り、それが後に2000GT-B(ツインキャブで、シングルキャブはGT-A)として大人気に!!
プリンス自動車(元は中嶋飛行機で戦闘機を作ってた技術者)には、その飛行機屋のエンジニアの中に桜井眞一郎という人がいて、この方がいなかったら今のGT-Rは無いと言っていい伝説の人です!
その櫻井さんが任されたのが、プロトタイプのレーシング・カーでポルシェに正真正銘勝つ!というプロジェクト!
ゼロから作り上げたレーシング・カーが、R380!!
やっぱり早さを追求すると似てくる!完敗したポルシェに似てる?
出来上がって谷田部の高速周回路(今は安全性の問題で無くなった)で7つの速度世界記録を樹立!
数々の輝かしい戦歴を重ね、日本グランプリ撤退とか、その他事情で表舞台からは消えました!
その後、日産自動車にプリンス自動車は吸収合併され、プリンスの技術者もほとんどの方が残ったんです。
日産になってから、新規に開発発売されたのが、GT-Rのベースになった、GC10型のスカイライン4ドアセダンで、それをベースに次期ツーリングカー選手権の主力マシンとして、R380に載っていたGR8型、直列6気筒2000cc DOHCエンジンを、ディチューンしてS20型エンジンと名付けて、スカイラインに乗せたのが、箱スカGT-Rの4ドアセダン!(PGC10)
当然レースでも強かったんですが、4ドアのためボディ剛性が弱くねじれたりバランスが悪かった!
そこでホイールベースを短くして、2ドアハードトップにして剛性を上げたのが、箱スカGT-Rの2ドアハードトップ!(KPGC10)Kが2ドアの意味
※最終はケンメリGT-R(KPGC110)
当時、自分はそんな事は知らずに、中学生になり、学校帰りにあるタイヤショップ(当時は車関係ってタイヤショップくらいしか無かった)に、自転車を止めて、大人の世界で近寄り難く、道の反対から止まってる車を眺めてるだけでしたが、ある時、なんか遠くからも光輝くオーラが見えるかのように、なんか凄い車が2台も止まってる!と思わず車線を横切って、初めて店の前に自転車を止めました!
街で見かける乗用車とはまるで雰囲気が違う、低く構えた車高とシャープな四角い車体!
2ドアハードトップという、当時では珍しい(特に埼玉の田舎では)スタイルも、脳髄をハンマーで撃ち抜かれたような衝撃でした!!(゚Д゚)ノ
それからは毎日、毎日休まずに通い続け、それがいわゆる箱スカGT-Rと言う事!
レースで49連勝(ロータリーのサバンナRX-3が、1971年12月12日にGT-Rの50連勝を止めた)もした伝説のマシン!!だと言う事など、知れば知るほど憧れは強くなって行ったんです!
レースでは、高橋国光(最初はゼッケン6、その後15で50勝達成)、長谷見昌弘(ゼッケン8)、黒沢元治(ゼッケン3、15など)、その他に名選手がしのぎを削ってました!
※ゼッケンは年毎に違ったり同じだったり、入れ代わったりしてます。
当時小学生だった自分は生では知らないですが、後年、雑誌で知って大興奮!!
生のレースを見て、高橋国光選手が、フジの最終コーナーをドリフトで駆け上がってくるのを見て、あのドリフトキング『土屋圭一』選手が憧れてレーサーに成り、そして成功して、憧れてた高橋国光選手と組んで、32GT-RでグループAのチームタイサンでコンビを組んで、3位表彰台に高橋国光選手を立たせた鬼神の走りが、今でも忘れられません!男泣きした土屋さんの顔も!
今、見てもシビレますネ~!!(*^-')b
最後に32GT-RのグループA時代で、一番憧れてたインパルの写真を!
これは、星野選手が得意としていたフジスピードウェイで縁石走りと言われたショットです!!う~んカッコいい~~~💖v(//∇//)v
土屋圭一選手のタイサンチームもアドバンカラーがメチャカッコ良かった!!
この後、強すぎて全チームがGT-Rになり、ワンメイク化した事で、グループA時代は終わるのですが、GT選手権になってもGT-Rの強さは変わらず、フジはもちろん!茂木や筑波、鈴鹿も見に行ってました~!(*^-')b
NISMOフェスティバルにも何度も行ったな~!♪
GT選手権でのインパルGT-R
そして星野選手が引退すると言う事で、事前に32GT-Rのインパル仕様の1/18のミニカーを買い、茂木サーキットのバドックパスも買って、星野選手を出待ち!
ミニカーの屋根にサインをもらいました!
『32か~懐かしいな~ありがとう!サインまだ乾いてないから気をつけてね💕』って、優しい気遣いもメッチャ嬉しかったな~!!
握手した手は分厚く、激しい闘いを長年に渡り刻まれた感じもあったけど、とても優しい手だった!(*^-')b
forever 直6 GT-R!!\(^ー^)/
※申し訳無いけど、今の日産GT-R(R35)はスカイラインじゃ無くなったしV6なので別物です!
毎年進化していて、今だに世界のトップレベルを維持してるのも凄いと認めてます!
いつか乗ってみたい!とも思ってますが、直6の官能さは無いと思うので!(ノ\)