三月に起きた東日本大震災
名古屋でもそれなりに揺れて危機感を感じたけれど、東北の方々はその数倍も怖い思いをしただろうと安易に想像できました。
時間が経つにつれ放送されるようになっていく映像を見ていると、言葉が出なくなっていきました。
東北へは仕事で行ってお世話になった人もいるし、自分に何かできることはないかとボランティアも考えていたけれど、自分の今の役割的には休みを取ることが難しい上に体調を崩し迷惑をかける事が見えていただけにGW・夏季休暇とも見送り震災からは半年以上が経過してました。
そんなある日、職場の人間からボランティアで東北に行くので一緒にいかないかと声をかけてくれる人がいて二つ返事で行くことに。
普段から何かしたいと話していた事もあって声をかけてくれました。
陸前高田の仮設住宅地で炊き出しやイベントをして交流すると言う企画で、とある会社の社長さんが声をかけて人が集まってきてバスを一台貸し切りにしてのイベントへと。
バスには30人程度が乗り移動し、体調を崩した人が出たりなにかあったときのためにミニバン一台がサポートとして同行で対応する体制。
ミニバンには自分と職場の友人と、その友人で対応する予定が友人の友人が急遽行けなくなりミニバンは二人で対応。
9日 21時 刈谷出発
10日 10時 陸前高田到着
22時 陸前高田出発
11日 10時 刈谷到着
というスケジュールで0泊3日
ミニバンチームは運転を交代したら、1人は仮眠に突入しての強行軍
結構ハードであるけれど、ようやくボランティアとして現地に行けるのでモチベーションは高かった。
現地に到着すると仮設住宅に住む人たちが暖かく出迎えてくれ、手作りのおにぎりと味噌汁で生き返りイベントの準備へとりかかり。
どこかのニュースで見たけれど、陸前高田は10人に1人の割合で行方不明になっているとの事で、自分達では想像できない地獄を味わって復興に向けて歯を食いしばって頑張っているわけで、軽々しく「頑張ってください」と言えないので話す内容に困り、自分は炊き出しの手伝いと子供の相手を中心に現地では過ごしました。
子供も友達を亡くしていると思うし心の傷は深いのは容易に想像できるし当時の話はいっさいせず。
季節外れではあるけれど、色々な思いをこめて鯉のぼりを設置。
あまり風がなかったのであまりなびかなかったけれど、青空に栄える立派な鯉のぼりでした。
炊き出しも落ち着いた頃に高台の仮設住宅から海の方を少し回ってきました。
レールが流された線路
橋げたしか残っていない道路、線路
鉄骨造りの建物以外はほとんどなくなっている荒野
街中のそこらかしこに積み上げられている廃材
4階まで津波に荒らされた建物
津波に襲われた跡地に建物を再度作っているところがぽつぽつあったけれど、再度津波が来たことを考えると不安もあるはず。
地元愛・失った人たちへの復興の誓いなど色々な思いで取り組んでいると思うし、強い人が多いんだなと感じました。
半年以上経って見た現地の状態を見ていると、現地とその他の場所の温度差を感じました。
震災直後はみんな意識をしていたけれど今はどうなのかな。
現地は整理がようやく見えてきて、これから復興にかけての長い戦いが始まります。
自分は募金をしているだけで何もしていなかった・・・
今回も現地には行ったけれど、何が出来たのかは正直わからなかった。
1人の力では出来ることはたかがしれているけれど、みんなが少しずつ力を貸せば大きな力になると思うし、出来事を風化させたくないなという気持ちは高まりました。
これで終わりではなく、また何かできることをやっていこう。
津波に流された跡地に、花とサンタクロースのぬいぐるみが備えられていた光景は忘れられないだろうな。
Posted at 2011/12/12 23:46:29 | |
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