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かたむ~のブログ一覧

2017年07月01日 イイね!

運転ハ任セテ

ひとまずキリの良いところまで書ききらないと日常ネタに戻れないので……。


最近急激に「日本の少子高齢化」について実感している。
クルマを走らせていると,周りのドライバーの高齢者率に衝撃を受けることがある。
たまに有給を取った日など事態は更に深刻だ。前も後ろも右も左も高齢者。

質が悪いのは,運転席を見ずとも動きだけで「これ高齢者だわ」と分かることだ。
ついでに言えば,その特徴的な動きは傍目に見ると往々にしておっかない。
抜けるならまだ気が楽なのだが,どうも日本の道路は追い越しに厳しい。

本来,運転適性を欠いたと判断された時点で免許が失効するのがあるべき姿と思う。
もっといえば,運転免許何級みたいな形になっているのが理想だとも思う。
現実は,残念ながらそうなっていない。
進歩ゼロでもゴールド免許は取れるし,ふらふら運転していても取り上げられない。
周りからは「お前もう運転できてないぞ」と思われていても,本人には自覚がない。
今のクルマは動かすだけなら簡単に動かせてしまうだけに,自覚症状がでない。
そして,行政も行政で注意や指導をする気があるのかないのか。
「当たるまで『もっとよく見て!』と視力検査をやり続けていた係員がいた……」
警察署で行われている免許更新を見た妻があんぐりして帰ってきたことがある。

そんな状況で自主返納を呼びかけたところで,誰が返すというのか。
クルマがなければ生活できない……実際どうかはともかく,みんなそう思っている。
錆と凹みだらけのカローラに乗っているような層は本当にそうなのだろう。
返納を勧められている免許でボロいクルマを走り回らせる程度の経済状況。
そんな人たちに「タクシーでも呼べばいいだろ」は酷だ。
バスはルートと時間が決まっているし,地方に多い後払い式のバスは妙に高い。
電車? 半分くらいの市区町村は通過すらしない。

さらに,こうした高齢化の波は旅客業にまで及んでいる。
タクシー乗り場をイメージしてもらえば分かるだろう。若手などいない。
バスはまだ若い人がいるイメージもあるが,都市部を離れればすぐ消える。
無論彼らが,返納勧告を受けるまで業務に携わることはない。定年がある。
が,若手がいないまま上が定年で抜けていくとどうなるかは言うまでもない。
そうして旅客業に穴が空いた結果,もっとも被害を被るのは誰か。
地方在住者である。それも吹けば飛ぶような旅客網しかないレベルの田舎の。
旅客業もビジネスだ。限られた戦力は都市部に投入した方が採算が取れる。
田舎のドライバーは,定年したらそれまで,補充はなかなかされない。
都市部の人員不足を補填するために地方から配置換えされることもある。

ついでに,一定より上の年齢の女性の免許取得率にも触れておこう。
分かる人は分かると思うが,取ったこともない人が思いの外いる。
実際に私の祖母は持っていないし,妻の母も祖母も取ったことがない。
運転なんてお転婆娘と思われていた時代だ。
そういった人たちが移動する時は,基本的に旦那の運転するクルマだ。
おわかりだろう。旦那に先立たれたら足が消滅する。
都市部だろうが自分の足を悪くしたらそれまで,地方なら何をかいわんやだ。


少し整理しよう。
高齢化が進む日本では,免許返納勧告レベルのドライバーが溢れ始めている。
しかし,免許を返納させたとして,今度は彼らの足の確保が問題になる。
タクシーを常用する程の金はないし,バスはルートも時間も固定で使い勝手が悪い。
そして,タクシーやバスを運転する人たちも少子高齢化で減少の一途だ。
「資金補助するから返納して」とも言えない状況が近づいている。
それに旦那が免許を返納したら,一蓮托生で足を失う人がいる。


さて,毎度ながら異常に長い前置きになったが,本題に入ろう。
私は,こういうところにこそ自動運転を投入し開発するべきだと思うのだ。
自分で運転できる連中に安楽を提供している場合ではない。

まずは自動運転バスから本格的に始めてみたらどうだろう。
一定ルートを周回するだけなら,自由に走り回るよりハードルは低い。
まして過疎化の進む市区町村なら,飛び出してくるのはタヌキくらいだ。
何かあったら人を呼べる車内電話も付けておけば不安も少ない。
そうした無人バスをそれなりの台数で走らせる。採算は地方においては無視でもよかろう。
自動運転バスに関するデータ取りのためと思えば投資でいいのではないだろうか。
物珍しさや興味で訪れる観光客も出るだろう。そうなれば地域活性化だ。

で,こうした無人公共交通の難点は何か(技術論はさておいて)。
皆さんは,ゆりかもめに乗ったことがあるだろうか。
ちなみに私はない(え)。ないが,動画などで見て「うわぁ」と思ったことがある。
無人なのだ。運転スペースすらないので,いかにも未来の乗り物といった雰囲気である。
が,これに抵抗がある人は少なくないのではないかと思う。
上手く言葉にできないがなんか不気味で嫌だ……公共交通でそれはまずい。

そこで,乗客とのコミュニケーションを賄うためのロボットを運転席に座らせておく。
それも,いかにも機械機械したのではなく,もっと柔らかい感じのを乗せておくのだ。
誰にでも受け入れられそうなキャラクターが運転席にいて,乗客への応答をする。
たまに乗客の方を向いたり,声をかけたりすれば,乗客も認識されていると感じて安心できる。
運転席である必要があるか?と思われるかもしれないが,雰囲気作りは大事だと思う。
ここまでやれば,しつこいようだが,観光客も呼べる。地方の生き残りに観光は大事だ。

こういった使い道があれば,最近とんと見なくなったゆるキャラの生きる道にもなるのではないか。
くまモンが運転席に座って運転しているバス。なんとなくファンシーだ。
……あ,あいつ喋れないんだっけ? じゃあ喋れるキャラ付けで新規に起こしてくれ。
ともかく。事業ともなればゆるキャラも真面目に考えて作られるだろう。
担当者の落書きから適当に生み出されて人知れず消えていくのではあまりに不憫だ。

自動運転と,コミュニケーションロボットと,ゆるキャラ。
これらを足せば,交通社会はもっと安全かつ豊かになると思うのだが。


最後に。
なんで唐突に「ぬいぐるみ乗せた自動運転バス」なんて言い出したかというと…。
まぁうっすら感づいている人もいるかもしれませんね。これです。
こんな感じで乗客の相手しながら運転してくれる自動運転インターフェイスとかいいなぁと。

かばんちゃんとサーバルちゃんが楽しく旅をできたのも,ラッキービーストが運転席にいてこそ。

困っている人たちを助けてこその科学なのです。



Posted at 2017/07/01 11:41:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | クルマ
2017年06月30日 イイね!

零と<雪風>に見る機械と人間の関係(4巻マダー?)

前回に引き続き自動運転絡みのお話。
ふっと浮かんだ考えだけで書き始めると,だいたい最後がまとまらない。
思いつきを記事にするってやっぱり難しいわぁ。


自動運転はじめ,AIや自動化に関わる現在の技術開発は,どうも人間否定の臭いが気になる。
「人間より優れている」機械に何でもかんでもやらせればいい。そうすれば間違いがない。
言い方を変えれば「ミスをする人間は運転などするな。機械に全て任せておけ」。
多くの自動車メーカーはそこまでどストレートに考えてはいないだろう。やや半信半疑感が漂う。
しかしGoogleの自動運転なんかは,もはやそう思っていることを隠そうともしていない。
日産も正直そこはかとなくソッチ系の臭いを感じる。CMだけでの判断だが。

運転は正確無比な機械がやればいい。人間が手を出すべきではない。
――そうかな?
「人間より優れている」部分が機械にあるのは事実だろう。
だからといって「全てにおいて人間より優れている」と考えるのは,発想の飛躍,技術の驕りだ。
「機械より優れている」人間の能力,あるいは可能性。
そういうものを諦めたまま,自分の考える理想を無思慮にばらまいてはいないか。
理想を追い求めて視野狭窄に陥った技術は,ときにカルトの様相を呈する。それも無自覚に。


「人間はミスを~~」のくだりで思い出した作品がある。
神林長平の戦闘妖精雪風シリーズである。聞いたことがある人もいるかもしれない。
ジャンルとしてはSFミリタリーにあたるが,全編に渡り哲学色の強い作品である。
人間とは何かを,人工知能(戦闘知性体と呼ぶ)との関係の中で描いていく,相当ディープな内容だ。

異星体との戦いの中で,人工知能を搭載した戦闘機たちは成長し,進化をしていく。
そのうちに戦闘知性体たちは,脆くてミスをする人間というものを邪魔だと感じ始める。
人間たちの中にも「有人では勝てない,無人機に戦いを任せるべき」と考えるものが出てくる。
主人公の深井零が乗る<雪風>もまた,一度は人間を邪魔とし,零を排除する行動を取った。
1巻は,墜落した<雪風>が零を残し,新型機に自己データを転送して飛び去るところで幕を閉じる。

しかし2巻で,異星体の戦略の変化もあり,<雪風>たち戦闘知性体は人間の存在を見直し始める。
人間の知覚,思考と判断,行動と操作。それらは機械にとっては異質である。
異質であるが,それは機械には入手できない,有益かつ貴重な情報だと気づいた。
人間の認知・判断・操作を,自らが生き残っていくために必要だと見なしたのである。
そしてそれは,人間の側も同じであった。
やがて,零と<雪風>,および彼らの部隊員たちは,戦闘知性体と特殊な共生関係を築いていく。
機械と人間が互いを認知しあい,それぞれの視点から見た世界情報を共有しあう存在。
作中ではそれを「複合生命体」と呼称している。
「互いに自律しよう、余分な負荷を互いにかけることなく、最高性能を発揮せよ」
これは共生であって依存は許さないと,作中で<雪風>が零に促している(by零の独白だが)。


事故ゼロの交通社会実現のため,人間と自動車はどのような関係たるべきか。
そう考えた時,この「複合生命体」があるべき姿なのではないか,と感じた。
人間と機械の両者ともが,それぞれ自らの手法で状況を認知すること。
認知で得た情報を共有しあい判断を下すこと(どこで?と考えると人間の脳内だろう)。
判断を元に人間が操作を行い,機械はその意図通りの動きをするよう精密な支援を実行する。
どちらか一方に大きな負荷をかけるのではなく,両者ともがやるべきことをやること。
人間と機械の共生による運転能力の拡張だ。

機械は,人間単独では収集し得ない情報を集め,咀嚼して提供し,操作の手助けをする。
ただし余計な手出しはしない。過保護は人間を堕落させ,トータルでの性能低下に繋がる。
大切なのは「人間に主体的に運転させること」だ。それも懲罰的にではなく。
運転させるには,人間が運転に集中しない、あるいはできない要因を取り除く必要がある。
そのためには人間を認知し分析するための高度なインターフェイスが不可欠だ。
機械に人間を観察させる。その状態によって支援レベルを可変させれば安全性は高まる。
意識が飛んでいると判断したら,近くの安全な場所まで自動運転で行ってくれてもいい。

まぁ細かい部分のやりようはなんでもいい。今回はあくまでビジョンの提案だ。
人間に寄り添い,人間と一緒になって,高度に最適な形で自動車をコントロールする機械。
事故ゼロ社会のために必要なのは,このような高度な運転支援システムではないだろうか。
機械におんぶにだっこで,堕落した人間ばかりになった社会で事故が起きないとは思えない。



Posted at 2017/06/30 17:00:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | クルマ
2017年06月28日 イイね!

全楽論

はじめに
今回の記事は,浮かんだことを忘れない内に垂れ流しで書いていきます。
したがって,とっ散らかった読みづらい内容になるかもしれませんが,ご了承ください。


突然だが,この記事を開いてくれたあなた。
あなたに訊いてみたいことがある。

自動運転をどのように考えているか。

のっけからタイトルのネタバレになるが,ストレートに訊こう。
自動運転は次のうちどちらだと思うか。
安全技術か。
安楽技術か。


この質問を,例えば自動車メーカーにしてみよう。
会社としての公式回答を求めれば,第一義は安全技術である,と答えるだろう。
人間はエラーをするものであるが,機械ならばそのエラーを防ぐことができて交通安全に繋がる。
本音か建前かは分からないが,だいたいそういう回答が返ってくるはずだ。

一方,ユーザーサイドではどうか。
安全技術だと思っている人もゼロではないかもしれないが,大多数は安楽技術と答えるだろう。
なにせ,表向きは上のようなことを答えるメーカーも,流すCMはご存知の有様だ。
そうでなくても,特に米国と日本において,多くの人が「運転は苦行だ」と感じている現実がある。
そこを機械がやってくれる。ユーザーがもっとも体感できるのは安楽だ。安全ではなく。

現在の自動運転に関する研究開発は,このギャップを放置したまま進んでいる気がしてならない。
メーカーが安全技術として提供しているものを,ユーザーは安楽技術として享受している。
事故防止の自動ブレーキを「クルマが勝手に止まってくれる♪」と言った女がいるとかいないとか。
自動ブレーキでこれなんだから,自動運転の齟齬のレベルなど推して知るべしである。

あまつさえ一部メーカーは,その認識違いを正すどころか助長しているのが現実だ。
やっちゃった人たちとか,シリコンバレーの口八丁とかね。
結果,フロリダでモデルSがスクラップになり,みんな死になセレナの揶揄が復活した。
他方でトヨタでは,技術的にはレベル2の新型LSを「自動運転」の語を使わず売り出してきた。
このあたりがメーカーごとの良心が問われる部分かもしれない。


自動運転を安全技術と定義するか,安楽技術と定義するか。
究極的にはその両者を兼ね備えた技術たり得る以上,最初の一歩は非常に重要だ。
願わくば,安全技術として一歩を踏み出してもらいたい。
一足飛びに自動運転とキャッチーに行くのではなく,正しく運転支援システムとして欲しい。
未成熟のまま安楽技術として売り出すと,民衆が群がるだけに悲劇を招きやすい。
その昔,自動車はまさに安楽技術として世に現れ,夥しい数の不安全を世に振りまいた。
この安楽を安全に御せる技術と法律が築き上げられたのはずっと後年のことだ。
表裏一体の技術において同じ轍を踏んでしまうとしたら非常に遺憾である。

無論,安全先行の普及の困難さもわかっている。
エアバッグやシートベルトがこれほど広まるまでには,これまた長い年月がかかっている。
しかし,世のため人のためと,信じてなされる継続は力である。
今日の茶飲み話でだが,あの米国でついにベルト着用率が日本並みになったそうだ。
法規になくともベルトとエアバッグを付け続けた成果かもしれない。
作動しないならしないに越したことはない。
その点では,運転支援システムも,エアバッグやシートベルトも一緒。





多分あと何回か続く。
Posted at 2017/06/28 00:10:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | クルマ
2017年02月28日 イイね!

スタイリングをウリにする割に……



なんだろう,なんか妙にバランス悪く見えるの俺だけ?
特にこの横から見たスタイル。

ケツの造形がいけないのかな。
それとも後ろのホイールハウス周りか。
あるいはルーフとウィンドウのラインの流し方かも。
とにかく俺はいまいちかっこいいと思えない。

そして,スタイル最優先と言ったあとに荷室容量を誇るって。
大丈夫? コンセプトがブレてたりしない?
何でもかんでも詰め込みゃいいってもんじゃないんだけどな。

あと個人的には,C-HRが出たあとだからかもしれんが,走りに関する言及ゼロなのが気になる。
まぁ三菱にここ数年で走りに言及した車種があったか,って話はあるけど。
見た目を押し出すんなら走りもそれに伴うべき……って考えちゃう俺がおかしいのかな。



さて,どうなりますかねぇ。

とりあえず,この言いにくい名前はどうにかした方がいいと思う。
営業さん噛みそう。それは心象悪いって絶対。

レスポンス記事
Posted at 2017/02/28 22:02:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | 日記
2016年12月25日 イイね!

運転リテラシー(仮)の話



今日の初耳学の中で,
「あらゆるものの『学校化』が進んでおり,ついに寿司もそうなってきた」
という話がありましたが。

そこで私がぼそっと,
「運転も学校化が必要だよなぁ」
と呟いたところ,うちの妻の反応は(私の予想に反して),
「教習所の期間って短すぎない? あれじゃダメだよね?」
というものでした。
まぁ,教習所ならあるじゃん,なんてベタなことは言わないだろうとは思いましたが。
てっきりスルーされるかと思ってました。

ちなみに,こう言っている妻はれっきとしたMT免許持ち(FTO乗ってた当時に取らせました)。
ついでにほぼ確実に私より先に免許が金色になる予定。
取得から1回も公道で乗っていないので,"立派な"優良ドライバーです。
一度だけ私有地で運転させ,これはヤメとこう,と思って以来運転させないことにしています。
(余談ですが,妻の母は免許なし,祖母は若い頃に私有地で軽トラを大破させたそうな……血か)
予定もありませんが,もう鍵を渡したところで運転はできないでしょう。




上記の妻の状況は,この国の運転教育の問題点を全て表していると思います。

興味も能力適正も関係なく,教習所に通えば誰でも免許が取れること。
「こんな教習受けただけで公道走っていいのか?」と思われてしまうような教習内容と期間。
技術ゼロでも問題さえ起こさなければ乗っていなくても貰える"優良ドライバー"の称号。


最近,年寄りがヒャッハーしまくってあっちこっちで惨事が起きて話題になっています。
これだから年寄りは……とかいう風潮が広まっていますが,ちょっと待てと。
年寄りを見下せるほど,お前らまともな運転技量持ってんのかと。

殆どの人は持っていないでしょう,いるはずがない。
教わってないんだから。
この国では誰も教えてくれないんだから。

アクセルの開け方,ブレーキのかけ方,ステアリングの切り込み方。
教習所のカリキュラム内で,これらをまともに教えられ訓練を受けた方はいますか。
荷重移動の話は? タイヤの摩擦円の話は? そもそもクルマが走り曲がり止まる原理は?

かの黒澤元治氏は,かつての著書でこう言っています。
「これから免許を取ろうとしている人は,タイムスリップしてきた江戸時代の人と何も変わらない」
両者の差は自動車というものを知っているか否かに過ぎず,運転に関しては同レベルだと。
現代の教習所は,そのレベルを本質的には1ミリも引き上げることなく,金を取り卒業させている。
最近の事故は,その報いがたまたま同時多発的にやってきただけではないでしょうか。


「年食ったくらいであんなことになるような運転教育に問題がある」……そう思いませんか?
年寄りに限りませんよ? 踏み間違いは年齢関係なく起きますし。
現実に起きている事故のほとんど全ては教育内容の不備が招いた問題。
いや,そもそもこの国の教習は「運転の教育」ですらないのだから,教育以前の問題か。

で,それを小手先の技術(自動ブレーキだの自動運転だの)で解決しようとしている。
人間の可能性は信じないくせに,科学技術は万能な魔法と勘違いしている,愚か者の幻想。
いい迷惑ですね,我々技術者にとっては。


自動車は,この国の経済を支える一大産業です。
にも関わらず,この国の人間はこんなにも自動車をまともに扱えない,扱いを教えられていない。
そんな国が,いつまで世界に誇る製品を生み出し続けられるのか。
自分たちが作っているものを,身近にいる人達に正しく理解してもらえない技術者の悲哀。
それがいつか,この国の自動車産業を衰退させやしないだろうか。

そこまで行くのは流石に飛躍がすぎるかもしれませんが。
いずれにせよ,運転教習について,いい加減見直す時期に来ているのではないでしょうか。
全ての根幹は正しく前向きな教育です,性善説に則った,ね。
骨の髄まで染み込むような一生モノの教育を与えてこそ,良い社会は育まれる。
「スピードを出すな」「年取ったら免許返せ」じゃ何の解決にもなってないんだよ。


Posted at 2016/12/25 23:59:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | 日記

プロフィール

「ノーブレーキどころかフル加速で信号無視して側突はさすがに草も生えない。どこを見ていたというのか。」
何シテル?   08/28 21:29
人生うまく行かないことばかり。 エコカーで非エコ運動して鬱憤発散。 GANREFはじめました https://ganref.jp/m/h-kata_l...
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