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かたむ~のブログ一覧

2017年07月08日 イイね!

WLTCモードの裏事情(妄想)



先日,WLTCモードと名付けられた新たな燃費測定/表示方法が打ち出された。
一部文献ではWLTPと書かれている場合があるが,これは世界における呼び名だ。
世界でWLTPと呼ばれる試験方法を,日本にはWLTCという名前で導入する。
WLTC=WLTPという説明をたまに見るが,厳密には異なる(後述)のでご注意を。

表向きは「世界で足並みをそろえるため」となっているが,本音はどうだろう。
昨年の三菱ショック,さらにその時に同時噴出した「表示燃費と実績値の乖離に対する不満の声」。
このあたりに対する反省の念もだいぶ込められているのではないか。
……まぁ込められてなかったら困るとも思っているが。

最初に出された定速走行モードから,10モードや10・15モードを経てJC08へ。
測定方法が幾度変更されても,ただ1つだけ,ついぞ解消されない問題があった。
それは「測定走行パターンが単一であるがゆえの『お受験』対策の容易さ」だ。
決められたパターンで走って,その結果が良ければユーザーに訴求しやすい。
エコカー減税などというものが出てきてからはなおその傾向が強くなった。
となれば,自動車メーカーとしても,お受験対策の1つや2つしたくなるというものだ。
そこまで露骨ではないにせよ,実際の使用条件とモード燃費条件,どちらが優先されたかはお察し。

今回のWLTC法では,そのようなお受験設計が出来にくくなる(出来ないことはない気がする)。
これまで1パターンしかなかった測定走行モードが3パターンに増えた。
渋滞のある市街地のパターン,空いた郊外道路,そして100km/h制限の高速道路だ。
ちなみに,海外ではこれらの更に上に,通称アウトバーンモードという速度レンジの測定がある。
日本では130km/hのレンジは認められていないから不要というわけだ。
ここがWLTCとWLTPの違いである。

これだけ幅のある走行モードを課されれば,プログラムの妙では如何ともしがたい。
どれか1つはいい値が出たとしても,残り2つは白い目で見られる結果になってもおかしくない。
結局,初心に帰って正攻法で根本から詰めていくしかないということになる。
が,ものづくりの設計というのは本来そういうものだし,その方が作っていて楽しい。

そうして正攻法で詰めても,完全無欠の自動車など,とりわけ乗用車ではありえないわけで。
やはりどうしても「街乗りはいいけど高速は落ちる」ような得手不得手は出る。
そこがユーザーにしっかり見えるようになったところにWLTCモードの意義がある。
自分の生活スタイルにあった車種を選べる確率が,従来より格段にアップしたわけだ。
高速を日常的に走る人が,JC08で35km/Lと書かれた軽を買ってバカを見ることはなくなる。
(みんな未だに「高速燃費はモード燃費を上回る」と盲信している気がする……私もそうだった)


で,ようやく本題。

このWLTCモードの導入。
実はあるものをなくすための布石ではないかと個人的には見ている。
今や行政にとって大きな重荷となっている足枷,麻薬と表現してもいいアレ。

エコカー減税である。

一応,WLTCモード表記でも,3パターン燃費と併せて総合燃費も表示はされる。
だがそれは,3パターンの結果を元にした単純な平均値でしかない。
内訳が出ないなら,この平均値で格付けしてもとりあえず文句は出ないかもしれない。
しかし内訳を併記することを定めた以上はそうもいかない。
自分のライフスタイルに合った賢く正しい選択をしたら減税ゼロ。ありえない話ではない。
「へーきへーき。クルマによって得意なステージは違うから!」
そう言っている手前,各車の個性を無視した税額判断をしたら苦情も来よう。

私見だが,複雑怪奇な重み付けや場合分け処理をしてまで減税はしないのではないか。
モンドセレクション宜しく,ほとんどの車種が「出せば減税」状態になって久しい。
長年に渡り名ばかりの減税を続けた結果,国や地方の財政はすっかり火の車だ。
体よくヤメられる機会があればすぐにでもなくしたい……というのが本音だろう。

三菱ショックの折,私も「走行ステージに応じた燃費出せば?」と考えていた。
考えていたら本当に国交省も言いだしたので,「まぁ誰でも思いつくよなぁ」と思った。
誰でも思いつきそうなのに,なぜ一向に導入されなかったか。
財政にまだ一応の余裕があり,減税が販促手段として効果絶大だったからではないか。
減税と相容れないこの方式を,世界と一緒に導入する,ということは……である。

もうひとつ,エコカー減税が消えると思う根拠がある。
最近唐突に湧いてきた「セーフティカー減税」案。
聞いたことがあるだろう,なんかもっと遥かにダッセェ名前がついていた気がするアレだ。
前述の通り,逼迫した財政にはあっちにもこっちにも減税をくれてやっている余裕はない。
新たな優遇措置を考えている以上,古き悪しき惰性減税は消されるのが自然だと思う。
(同じ轍を踏む事がわかっていながら,なぜ次から次へと減税を打ち出すのかと小一時間)

個人的には,エコカー減税が消滅するというなら諸手を挙げて賛成する。
環境のためなのか販売促進のためなのか分からない。こういうなぁなぁが私は大嫌いだ。
減税を受けながら,コンビニの駐車場で燃料の無駄遣いしている輩の存在も不愉快だ。
NAの軽の分際で,異常な速度で信号ダッシュするのも納得行かない。どれだけ踏んでんだ。
本当に環境税を徴収したいなら,昔から言われているとおり,燃料にかければいい。
それで頭の悪いアイドリングや空ぶかしが消えてなくなるなら喜ばしい限りだ。
その際に自動車関連税をきっちり整理して適所に振り分けてくれるともっといい。
むしり取るというなら,せめて払っている分ぐらいには道路をまともにして欲しい。


WLTCモードの導入は,この国のクルマ事情が大きく変わるきっかけになるかもしれない。
産業だけではなく,ユーザーの意識や交通事情にもいい影響を与えることを期待する。
変わらなかったら……まぁ,別にどうってこともないです。
万年交通後進国になるだけの話。



2017年07月04日 イイね!

見たかトーションビームの力



アライさ~ん,またやってしまったね~。
と思ったら奴田原さんもやってしまっていた。

今回流石に音量でかすぎると思うの……。

今年のJN6は,いつもの3強以外の台頭があって面白い。
優勝者の入れ替わりもそうだけど,3位くらいに普段あまり見ない人たちが入るあたりとか。
まぁでも,そろそろランサーとインプレッサ以外の車種が欲しいような。
もう何年かしたらランサーも出れなくなっちゃうわけだし。

JN5は,またDS3無双かと思いきや復帰のCUSCOプジョーの優勝。
この208,グラベルになるととりわけ速いよなぁ。
……あれ,CUSCOのDS3は早くもお役御免すか?

そしてJN4。
優勝はシビック!!っていうからてっきりFD2だと思ってたらFN2かよ。
そんなにタマがある車種でもないのにどこから拾ってきたのか。
やっぱりちゃんと仕上げりゃ速いんだねぇこのクルマ。


次戦も引き続いて北海道……だけどここから2ヶ月以上空くのか。
前半戦をあんな過密スケジュールでやる必要あったのかしら。
どうせなら関東あたりでもう1戦やってくれたら面白いのに。

2017年07月02日 イイね!

Silly-Go-Round ~~~表現模索編~~~



真正面にカメラ向けているだけじゃ芸がない気がしたので,ちょっと小技に挑戦。
……本音言うと,機材的に大したもの撮れないことに気づいたので。
変則手法でなんかいいのが撮れたらラッキーかなぁくらいなノリです。



今回は雨を利用してこんな映像を撮ってみました。

この手のメリハリのない動画での使い勝手いいなぁJCRZ。
こういうアンビエント系動画は迂闊に早回しできないので,尺調整がシビアですね。
やるなら事前にロケハンして時間を計測する必要があると実感。
本当はもうちょい手前の住宅街の並木道も入れたかったんですが,ちょっと無理でした。

あとはカメラアングルと被写体深度かなぁ。
ちょっと暗かったこともあって開放気味にしましたが,あまりにぼかしすぎたかも。
ワイパー動かしたタイミングで背景が海になると,グレーアウトしたようになるのはちょっと……。

根本的にロケーションがイマイチ?
背景がコントラストに乏しいと,どうしてもこういう「ゆめにっき」みたいな映像になる気がする。
夜のメトロポリスとかでやったらもう少し絵になるかも。




あとこんなのとか(こっちは雨あまり関係ないね)。

JCRZには珍しく明るい系の曲があって助かった。
シート置きならそんなにカメラも動かないだろ,と思ったのですが結構動いてますね。
座面と背もたれの間に挟んでがっちり固定するべきだったか。
まぁここって結構路面荒れてるし,他の山道でも試してみるか。

こっちも早回しすると意味不明な動画になったので,仕方なく継ぎ接ぎ編集で尺調整。
この雑~な感じの繋げ方も表現の一部に見えないかなぁ。見えないだろうなぁ。

こういう場合のピントってどの辺に合わせておくのが正なんだろうか。
とりあえずフロントガラスの雨粒に合わせたら,木々のぼやけがなんか目障りな感じに。
言うて枝の高さなんて場所によってまちまちだから,そっちに合わせるのも変な気がするし。
空まで行くと抽象的な絵面になる気しかしない……。
もっと絞れって話ですかね。ISOノイズが乗らないギリギリ攻めるか。



しかし,随分前から考えている本当に撮りたい映像は,一向に撮りに行く暇がない……。
時間帯がなぁ。夜のゴールデン時間帯に嫁ほったらかして何度も行くのは流石に。
深夜や早朝の方が,こっそり出てこっそり帰って来られる分まだ気楽だわ。



Posted at 2017/07/02 12:10:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | [日記]ドライブ | 日記
2017年07月01日 イイね!

運転ハ任セテ

ひとまずキリの良いところまで書ききらないと日常ネタに戻れないので……。


最近急激に「日本の少子高齢化」について実感している。
クルマを走らせていると,周りのドライバーの高齢者率に衝撃を受けることがある。
たまに有給を取った日など事態は更に深刻だ。前も後ろも右も左も高齢者。

質が悪いのは,運転席を見ずとも動きだけで「これ高齢者だわ」と分かることだ。
ついでに言えば,その特徴的な動きは傍目に見ると往々にしておっかない。
抜けるならまだ気が楽なのだが,どうも日本の道路は追い越しに厳しい。

本来,運転適性を欠いたと判断された時点で免許が失効するのがあるべき姿と思う。
もっといえば,運転免許何級みたいな形になっているのが理想だとも思う。
現実は,残念ながらそうなっていない。
進歩ゼロでもゴールド免許は取れるし,ふらふら運転していても取り上げられない。
周りからは「お前もう運転できてないぞ」と思われていても,本人には自覚がない。
今のクルマは動かすだけなら簡単に動かせてしまうだけに,自覚症状がでない。
そして,行政も行政で注意や指導をする気があるのかないのか。
「当たるまで『もっとよく見て!』と視力検査をやり続けていた係員がいた……」
警察署で行われている免許更新を見た妻があんぐりして帰ってきたことがある。

そんな状況で自主返納を呼びかけたところで,誰が返すというのか。
クルマがなければ生活できない……実際どうかはともかく,みんなそう思っている。
錆と凹みだらけのカローラに乗っているような層は本当にそうなのだろう。
返納を勧められている免許でボロいクルマを走り回らせる程度の経済状況。
そんな人たちに「タクシーでも呼べばいいだろ」は酷だ。
バスはルートと時間が決まっているし,地方に多い後払い式のバスは妙に高い。
電車? 半分くらいの市区町村は通過すらしない。

さらに,こうした高齢化の波は旅客業にまで及んでいる。
タクシー乗り場をイメージしてもらえば分かるだろう。若手などいない。
バスはまだ若い人がいるイメージもあるが,都市部を離れればすぐ消える。
無論彼らが,返納勧告を受けるまで業務に携わることはない。定年がある。
が,若手がいないまま上が定年で抜けていくとどうなるかは言うまでもない。
そうして旅客業に穴が空いた結果,もっとも被害を被るのは誰か。
地方在住者である。それも吹けば飛ぶような旅客網しかないレベルの田舎の。
旅客業もビジネスだ。限られた戦力は都市部に投入した方が採算が取れる。
田舎のドライバーは,定年したらそれまで,補充はなかなかされない。
都市部の人員不足を補填するために地方から配置換えされることもある。

ついでに,一定より上の年齢の女性の免許取得率にも触れておこう。
分かる人は分かると思うが,取ったこともない人が思いの外いる。
実際に私の祖母は持っていないし,妻の母も祖母も取ったことがない。
運転なんてお転婆娘と思われていた時代だ。
そういった人たちが移動する時は,基本的に旦那の運転するクルマだ。
おわかりだろう。旦那に先立たれたら足が消滅する。
都市部だろうが自分の足を悪くしたらそれまで,地方なら何をかいわんやだ。


少し整理しよう。
高齢化が進む日本では,免許返納勧告レベルのドライバーが溢れ始めている。
しかし,免許を返納させたとして,今度は彼らの足の確保が問題になる。
タクシーを常用する程の金はないし,バスはルートも時間も固定で使い勝手が悪い。
そして,タクシーやバスを運転する人たちも少子高齢化で減少の一途だ。
「資金補助するから返納して」とも言えない状況が近づいている。
それに旦那が免許を返納したら,一蓮托生で足を失う人がいる。


さて,毎度ながら異常に長い前置きになったが,本題に入ろう。
私は,こういうところにこそ自動運転を投入し開発するべきだと思うのだ。
自分で運転できる連中に安楽を提供している場合ではない。

まずは自動運転バスから本格的に始めてみたらどうだろう。
一定ルートを周回するだけなら,自由に走り回るよりハードルは低い。
まして過疎化の進む市区町村なら,飛び出してくるのはタヌキくらいだ。
何かあったら人を呼べる車内電話も付けておけば不安も少ない。
そうした無人バスをそれなりの台数で走らせる。採算は地方においては無視でもよかろう。
自動運転バスに関するデータ取りのためと思えば投資でいいのではないだろうか。
物珍しさや興味で訪れる観光客も出るだろう。そうなれば地域活性化だ。

で,こうした無人公共交通の難点は何か(技術論はさておいて)。
皆さんは,ゆりかもめに乗ったことがあるだろうか。
ちなみに私はない(え)。ないが,動画などで見て「うわぁ」と思ったことがある。
無人なのだ。運転スペースすらないので,いかにも未来の乗り物といった雰囲気である。
が,これに抵抗がある人は少なくないのではないかと思う。
上手く言葉にできないがなんか不気味で嫌だ……公共交通でそれはまずい。

そこで,乗客とのコミュニケーションを賄うためのロボットを運転席に座らせておく。
それも,いかにも機械機械したのではなく,もっと柔らかい感じのを乗せておくのだ。
誰にでも受け入れられそうなキャラクターが運転席にいて,乗客への応答をする。
たまに乗客の方を向いたり,声をかけたりすれば,乗客も認識されていると感じて安心できる。
運転席である必要があるか?と思われるかもしれないが,雰囲気作りは大事だと思う。
ここまでやれば,しつこいようだが,観光客も呼べる。地方の生き残りに観光は大事だ。

こういった使い道があれば,最近とんと見なくなったゆるキャラの生きる道にもなるのではないか。
くまモンが運転席に座って運転しているバス。なんとなくファンシーだ。
……あ,あいつ喋れないんだっけ? じゃあ喋れるキャラ付けで新規に起こしてくれ。
ともかく。事業ともなればゆるキャラも真面目に考えて作られるだろう。
担当者の落書きから適当に生み出されて人知れず消えていくのではあまりに不憫だ。

自動運転と,コミュニケーションロボットと,ゆるキャラ。
これらを足せば,交通社会はもっと安全かつ豊かになると思うのだが。


最後に。
なんで唐突に「ぬいぐるみ乗せた自動運転バス」なんて言い出したかというと…。
まぁうっすら感づいている人もいるかもしれませんね。これです。
こんな感じで乗客の相手しながら運転してくれる自動運転インターフェイスとかいいなぁと。

かばんちゃんとサーバルちゃんが楽しく旅をできたのも,ラッキービーストが運転席にいてこそ。

困っている人たちを助けてこその科学なのです。



Posted at 2017/07/01 11:41:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | クルマ
2017年06月30日 イイね!

零と<雪風>に見る機械と人間の関係(4巻マダー?)

前回に引き続き自動運転絡みのお話。
ふっと浮かんだ考えだけで書き始めると,だいたい最後がまとまらない。
思いつきを記事にするってやっぱり難しいわぁ。


自動運転はじめ,AIや自動化に関わる現在の技術開発は,どうも人間否定の臭いが気になる。
「人間より優れている」機械に何でもかんでもやらせればいい。そうすれば間違いがない。
言い方を変えれば「ミスをする人間は運転などするな。機械に全て任せておけ」。
多くの自動車メーカーはそこまでどストレートに考えてはいないだろう。やや半信半疑感が漂う。
しかしGoogleの自動運転なんかは,もはやそう思っていることを隠そうともしていない。
日産も正直そこはかとなくソッチ系の臭いを感じる。CMだけでの判断だが。

運転は正確無比な機械がやればいい。人間が手を出すべきではない。
――そうかな?
「人間より優れている」部分が機械にあるのは事実だろう。
だからといって「全てにおいて人間より優れている」と考えるのは,発想の飛躍,技術の驕りだ。
「機械より優れている」人間の能力,あるいは可能性。
そういうものを諦めたまま,自分の考える理想を無思慮にばらまいてはいないか。
理想を追い求めて視野狭窄に陥った技術は,ときにカルトの様相を呈する。それも無自覚に。


「人間はミスを~~」のくだりで思い出した作品がある。
神林長平の戦闘妖精雪風シリーズである。聞いたことがある人もいるかもしれない。
ジャンルとしてはSFミリタリーにあたるが,全編に渡り哲学色の強い作品である。
人間とは何かを,人工知能(戦闘知性体と呼ぶ)との関係の中で描いていく,相当ディープな内容だ。

異星体との戦いの中で,人工知能を搭載した戦闘機たちは成長し,進化をしていく。
そのうちに戦闘知性体たちは,脆くてミスをする人間というものを邪魔だと感じ始める。
人間たちの中にも「有人では勝てない,無人機に戦いを任せるべき」と考えるものが出てくる。
主人公の深井零が乗る<雪風>もまた,一度は人間を邪魔とし,零を排除する行動を取った。
1巻は,墜落した<雪風>が零を残し,新型機に自己データを転送して飛び去るところで幕を閉じる。

しかし2巻で,異星体の戦略の変化もあり,<雪風>たち戦闘知性体は人間の存在を見直し始める。
人間の知覚,思考と判断,行動と操作。それらは機械にとっては異質である。
異質であるが,それは機械には入手できない,有益かつ貴重な情報だと気づいた。
人間の認知・判断・操作を,自らが生き残っていくために必要だと見なしたのである。
そしてそれは,人間の側も同じであった。
やがて,零と<雪風>,および彼らの部隊員たちは,戦闘知性体と特殊な共生関係を築いていく。
機械と人間が互いを認知しあい,それぞれの視点から見た世界情報を共有しあう存在。
作中ではそれを「複合生命体」と呼称している。
「互いに自律しよう、余分な負荷を互いにかけることなく、最高性能を発揮せよ」
これは共生であって依存は許さないと,作中で<雪風>が零に促している(by零の独白だが)。


事故ゼロの交通社会実現のため,人間と自動車はどのような関係たるべきか。
そう考えた時,この「複合生命体」があるべき姿なのではないか,と感じた。
人間と機械の両者ともが,それぞれ自らの手法で状況を認知すること。
認知で得た情報を共有しあい判断を下すこと(どこで?と考えると人間の脳内だろう)。
判断を元に人間が操作を行い,機械はその意図通りの動きをするよう精密な支援を実行する。
どちらか一方に大きな負荷をかけるのではなく,両者ともがやるべきことをやること。
人間と機械の共生による運転能力の拡張だ。

機械は,人間単独では収集し得ない情報を集め,咀嚼して提供し,操作の手助けをする。
ただし余計な手出しはしない。過保護は人間を堕落させ,トータルでの性能低下に繋がる。
大切なのは「人間に主体的に運転させること」だ。それも懲罰的にではなく。
運転させるには,人間が運転に集中しない、あるいはできない要因を取り除く必要がある。
そのためには人間を認知し分析するための高度なインターフェイスが不可欠だ。
機械に人間を観察させる。その状態によって支援レベルを可変させれば安全性は高まる。
意識が飛んでいると判断したら,近くの安全な場所まで自動運転で行ってくれてもいい。

まぁ細かい部分のやりようはなんでもいい。今回はあくまでビジョンの提案だ。
人間に寄り添い,人間と一緒になって,高度に最適な形で自動車をコントロールする機械。
事故ゼロ社会のために必要なのは,このような高度な運転支援システムではないだろうか。
機械におんぶにだっこで,堕落した人間ばかりになった社会で事故が起きないとは思えない。



Posted at 2017/06/30 17:00:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | モノモウス | クルマ

プロフィール

「ノーブレーキどころかフル加速で信号無視して側突はさすがに草も生えない。どこを見ていたというのか。」
何シテル?   08/28 21:29
人生うまく行かないことばかり。 エコカーで非エコ運動して鬱憤発散。 GANREFはじめました https://ganref.jp/m/h-kata_l...
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