
1964年5月、鈴鹿サーキットにおける第二回日本GPグランドツーリングカー(GT)クラスでスカイライン2000GTは宿敵ポルシェカレラ904の前に苦杯を喫した。
1965年に開催が予定されていた第三回日本GPは翌年に延期され、1965年12月に完成した富士スピードウェイで開催されることになった。
第三回日本GPではメインレースはプロトタイプによるレースとなり、R380が出場、見事に1-2フィニッシュを飾っている。そしてS54Bスカイライン2000GTはグランドツーリングカークラスに出場した。エンジンの改造範囲は広がり、シリンダーヘッドの変更が可能になった。このため鋳鉄製カウンターフローのG7エンジンシリンダーヘッドは半球型燃焼室を持つ、アルミ合金製クロスフローSOHCに変更された。もちろん、この変更に伴い、吸排気系のレイアウトは一新されている。尚、基本的にボアストロークや排気量の変更はされていない。が、生産仕様のG7エンジンのボアストロークは75mm×75mm、排気量は1988ccであるが、正確に言うと第二回日本GPに使われたエンジンはボアを0.15mm拡大して排気量を1995ccとしており、このGR7B’も同様の排気量を踏襲している。
この仕様変更に伴い、最高出力191ps/7200rpm、最大トルク19.9kgm/5600rpmまでチューンナップされた。開発当初は5000~6000rpmで不整燃焼によるトルクのばらつきに悩まされたが、排気管を等長にして慣性排気効果をうまく使うことで解決した。
第二回日本GPでポルシェカレラ904と戦ったS54B搭載G7エンジンの出力性能が165ps/6800rpm、18.4kgm/6000rpmであったことと比較するとその進歩度合いが良くわかる。
写真及び諸元はFG会HPより借用した
Posted at 2011/10/16 10:35:26 | |
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