
1959年、2台のクルマがイタリアのカロッツェリアに発注された。発注元は東洋の新興メーカーである富士精密工業(のちのプリンス自動車工業)。日本から送られた2台のスカイラインシャシーは、それぞれクーペとコンバーチブルのスポーツカーへと変身した。デザインはミケロッティが行い、コーチワークはアレマーノが担当して架装した。1960年のトリノショーで公開され、その斬新なスタイルが多くの人の関心を集めた。翌1961年には日本でのプレス発表、東京モーターショーへの出品を経て、1962年4月にスカイラインスポーツとして発売された。クーペで185万円(当時グロリアは105万円)という価格がネックになり、240台の販売計画に対して実際には53台の販売に留まった。
(以上クラブライフvol.201より引用)
ハンドメードによるその流麗なスタイルはクルマ好きならずとも憧れた。
搭載されたエンジンはFG4B型直列4気筒1862ccOHV、圧縮比8.8で出力性能は94ps/4800rpm、15.6kgm/3600rpmであった。(FG会HPの資料を引用)
白いボディと青いボディの2台あったのですが、大分前に1台が行方不明に。
Posted at 2011/09/15 19:39:16 | |
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