
図はG18エンジン
日産エンジン博物館資料より借用
さて、いよいよこのテーマも最終回を迎えました。
最後にG7エンジンのベースとなったG1エンジンと、G7の換わりに生き残って大成功を収めたG系4気筒エンジンについて話をしてみたいと思います。
G1 G7 G15
排気量(cc) 1484 1988 1483
ボア×ストローク(mm) 75.0×84.0 75.0×75.0 82.0×70.2
圧縮比 8.3 8.8 8.5
最高出力(ps/rpm) 70/4800 105/5200 88/6000
最大トルク(kgm/rpm) 11.5/3600 16.0/3600 12.2/4000
動弁機構 OHV SOHCインライン SOHC
燃焼室形状 バスタブ型 ウェッジ型 半球型
動弁駆動 Wローラーチェーン1段 Wローラーチェーン2段 Wローラーチェーン1段
クランク軸受け数 3* 5* 5
シリンダーヘッド材質 鋳鉄 ← アルミ合金
発表年 1959 1963 1966
*印は2箇所のベアリングを省略している
前回の話の中で、G1エンジンの設計が古いという話をしましたが、それはあくまでも1965年時点で見ればということです。G1エンジンが傑作エンジンであることは以下の事実からも論を待たないものだとわかります。
G1エンジンは元々はGA4と呼ばれており、1959年10月にALS1D-2に搭載されています。S50発表時にG1エンジンと改名されると同時にシリンダーヘッドが封印され、2年4万kmの間メンテナンスフリーが保証されました。1960年前後の他社のエンジンとの性能比較をすると、いかにG1エンジンが優れていたかを改めて認識できます。
1960年に発表されたトヨタコロナ(PT20)に搭載されたP型エンジンはOHV1lで、性能は45ps/5000rpm、7.0kgm/3200rpmで、1959年に発表された初代ダットサンブルーバードP310型に搭載されたE型エンジンはOHV1.2lで、性能は43ps/4800rpm、8.4kgm/2400rpmというものした。
いくら排気量の違いがあるとはいえ、いかにG1エンジンが画期的であったかを伺い知ることができるでしょう。まさに話にならないくらいG1エンジンは素晴らしい性能とともに耐久性を有していました。
このG1の優秀性に甘んじることなく1966年には更に上をいくSOHCのG15エンジンを開発することになるのです。
では、これほど先進的であったプリンスがG7型を開発するときにG1エンジンをベースにするという保守的なことをしてしまったのかを考えてみましょう。
第二回でお話ししたとおり、G7エンジンは1961年に開発着手されました。ちょうどG1(GA4)エンジンが発表されて1年余り後ですから、まだ古いというほどの時間は経っていませんでしたが、ちょうど自動車エンジンは技術革新の途上にありました。1960年代前半はエンジンの高速・高出力化に対応するため、アルミ鋳造のシリンダーヘッド、クランク軸から直接駆動のSOHC、各気筒のクランク軸支持などの新技術が見る間に設計の常識になって行ったのです。
G7エンジンもSOHC機構は採用したのですが、クランク軸7点支持や動弁駆動では保守的になってしまったのです。なぜG7を設計する時に保守的になってしまったのか。
一つには国内メーカーでは初めて挑戦する直列6気筒であったこと、もう一つは新型グロリアに搭載するため早く開発する必要があり、冒険をすることができなかったからでした。
G7エンジンの開発着手は1960年で、試作初号機完成が1960年12月、生産開始が1963年4月でした。生産設備手配は生産開始前2年弱なので1961年の夏には仕様が固まっていないといけないことになります。つまり試作1号機の完成から半年程度で生産仕様に玉成することが要求されていたことになります。これではいくらプリンスの開発陣でも保守的にならざるを得なかったでしょう。岡本氏の著書(エンジン設計のキーポイント探求)を見ると、初号機はシリンダーの剛性不足でカムが回らなかったとか、吸気マニホールドの吸気分配が悪くて当初は性能が全く出なかったなど問題が山積していたことが伺われます。実績あるG1エンジンをベースにしても、6気筒化による新たな問題が容赦なく起こったことを示しており、その上にアルミシリンダーヘッドなどの新機構を詰め込んだらスーパー6の発売が遅れていたことは間違いなかったでしょう。
このように結果として採用した技術が少し時代遅れになってしまったのはプリンスが日産やトヨタを出し抜いて直列6気筒エンジンを2年早く出すことができたことに対するやむを得ないコストだったということでしょう。日産やトヨタはプリンスのG7を調べてから設計することができたわけで、後から追う者は情報が多い分、より良いものを作ることができるのです。
もしプリンスが日産と合併しなければC10のマイナーチェンジに、遅くともC110にはG7エンジンを作り替えて用意してきたと思います。プリンスの設計者がいつまでも他社に劣るエンジンで我慢しているはずはないし、生産開始の1963年から7年後の1970年にはG7型の設備償却を終えるので、経営的サイドに対してもエンジンに設備投資をする理由が付けられるからです。
これで5回に渡って連載した話を終了します。
皆様に楽しんでいただけましたら幸いです。
第五話終了
Posted at 2011/09/27 13:01:30 | |
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