2018年12月20日
会社に平成元年に新車で購入したトヨタハイエースバンがあった。
若い従業員の間ではポンコツとかボロバンとか呼ばれていました。
社用車のなかでもダントツの古さ。
下手すりゃ古参社員と比べても古いくらいだ。
当時は、それまでの作業車が老朽化して故障が多くて困っていたところ
「それじゃ仕事にならんだろう」と先代が買ってくれたんだよな...。
自分と言えば、倒産寸前の会社を引き継ぎ全国各地を回る毎日。
ボロバンは、先代が亡くなってからもずっと自分の相棒でした。
会社は相変わらず苦しかったが、をどうにかしのいでいた時期。
とある製品を生産していましたが、改良に改良を重ねた結果
製品そのもののコンパクト化に成功。
亡くなった先代発案のアイデアが現実となった瞬間でした。
従来品よりも軽量で信頼性もかなり向上したこともあって、
大手にも認められ経営はやっと軌道に乗せることが出来ました。
あれだけ東奔西走した昔から思えば今では作業車の出番が殆どありません。
仮にあったとしても機材類は前日までに現地に配達され
技術チームは乗り心地のいい快適な車で現地へ入るというシステム。
車で移動するには厳しい遠隔地ともなれば、飛行機で移動。
随分働く環境も改善されたと思う。
通信手段の発達した昨今では、一部オンラインで対応できるケースもある。
ビジネススタイルそのものが昔と大きく変わって、
今は今で苦労がありますが、世の中が大変便利になったと思う。
そうしてボロバンも当然のように出番がなくなり、すっかり工場の敷地の端にあるだけ。
ここ近年の出番と言えば資材を場内で運ぶために、極稀に使われるくらい。
おまけに大事に扱われていないから、あちこち錆やへこみがある。
古参の社員以外はこの古い車が何故ここにあるのか知らないだろうな。
暇なとき自分があまりに汚くなったボロバンを見かねて洗っていると
そんなポンコツでもまだ値段が付くうちに売ったらいいとか、
海外では需要があるから、買い取り業者に売るべきだとか
中には鉄くずとしてお金に換えたらとか言われる。
もちろん自分は周囲の忠告など聞かない。
たしかにボロボロでポンコツだけどこいつは戦友。
先代の形見でもあるけど、苦しかった時代に自分を支えてくれたんだ。
当時はまだまだ製品の信頼性がまだ低くて故障や不具合が多かった。
顧客から連絡があれば機材を目いっぱいこいつに積んで現地へ向かったものだ。
遠い地域へは2日も3日もかけて、道中は宿なんて泊まる経費も惜しんで
機材の隙間に体を入れて車中泊をしたものだ。
現在のオドメーターは42万キロをちょっと越えるくらい
その大半が日本全国を走った事によるものなんだよな
あの頃は、見たこともない風景や突然の悪天候、特に大雪は厳しかった。
時代が時代で緩かった事もあったけど、それはそれで楽しかったんだよな(笑)
シンプルイズベストなつくりもあって今までも大きな故障はしていない。
実は自費で車検もいまだにちゃんととっているし、定期的にオイル交換とかのメンテナンスもしてる。
各部の痛んだ箇所を修理するのは現実的ではないことも承知している。
けど出番もないし事情の知らない人からすれば社用車としての扱いは貴重な会社の経費を
無駄遣いしていると思われるのもわかる気がする。
もっとも作業車の出番が少ないと言うのは、社内的にとてもいい事。
けど、周囲からしてみれば自分が何故あのボロバンに拘るのか不思議なようでして・・・
かといって若い従業員に昔のことを話してもね・・・。
自費で完全にレストアする事も何度も考えましたが、若い頃のように自分がこの車に乗って
仕事をするならまだしも従業員はあえてこの車を使うとは思えない。
もっとも古い車だから途中で故障しても困るし仕事の妨げになってしまう可能性だってある。
経営者としてボロバンの選択はありえない。
なんて思っていたら出入り業者のトラックにぶつけられてからますます出番がなくなり
場内の片隅に放置。その後数か月でバッテリーも上がってタイヤも空気が抜けてた。
自分も不本意ながら次回の車検は取らずに廃車を考えるようになった。
そうしてとある日、場内の片隅からボロバンが消えた。
新しい事業の為に臨時で資材を置く場所を確保する必要があったとのことで
ボロバンは邪魔になったと
そう聞かされて、ああ...ついにこの時が来たんだな...と思った。
お疲れ様くらい、言いたかったよな...。と色々な想い出をその日は振り返っていた。
そうして半年くらい経過。
なんとなく感づいていたのだが、会社の創立記念日に今年は何やら出し物があるらしく
自分には「楽しみにしてくださいよ」と従業員は言うだけで 内容を教えてくれなかった。
明日ですよね!と周りはなんだか楽しそうだが、自分には見当もつかない。
創立記念日もいつもと変わらず出社すると、何故かまだ出勤時間前だというのに
正社員やパートさん、アルバイトも含めて全関係者が一同揃っているではないか。
おいおい、まだ始業時間までは随分早いけど、どうしたんだ と聞くと
若い従業員たちが、『いやぁ~夜まで隠し通せないと思ったので』と皆笑ってる。
まぁまぁ~第2センターまで来てくださいよ!と大勢に背中を押されて
工場の扉があくと...
あのボロバンが、居る!
どこをどう見ても、あの当時のままに復元されている!
古参の従業員がこう言う
『社長はこの車をどうにか直したかったのでしょうけど、我々従業員のことを考えて遠慮してたのでしょ。』
『先代もそうですが、社長のその生きざまというか魂がこの車にも宿っていると思うんです』
『とてもとても廃車なんて出来ませんよ』
でも、修理には多額の金額がかるがどうしたんだと聞けば
「経費を使って修理する事は可能でしょうけど、それでは本末転倒。」
だから、数年前から有志を募って、社内で募金活動をしていたのです。秘密でね(笑)
我々の心配としては、社長が自分のお金で修理しださないかどうかそれだけが心配でして、
何度か修理しようとした社長にあきらめるように皆で、あの車に気がないようなふりをしていたんですよ。
いわばこの車は、社長の相棒でしょ。
社長の相棒は、我々にも大切な存在なんです。
そう言われて、ただただ感謝と涙しか出なかった。
Posted at 2018/12/21 12:37:37 | |
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2018年12月10日
自分には二人の親父が居た。
一人は実の父親、もう一人は会社の社長(便宜的に親父と表現していません)。
この二人の共通点は、タイプが違うけど頑固者なところ。
実家は当時、祖父の代からの農園を経営していた。
とは言っても小規模な家族経営の農園でね....農園の収入だけでは大家族を養えない。
近所の農園はシーズンオフになると出稼ぎに行くのが慣例だったが、
実家の農園はシーズンでも収入が少なく普段でも生活が厳しかった。
そこで親父は、機械に詳しいのと手先が器用な事を買われて町工場で働きつつ、
工場の仕事が終わってからか休みの日に農園の仕事をしているという生活でした。
まさに四六時中働いていたわけだ。
そんな家庭環境で育ったから自分も学校から帰ったら農園を手伝わされる....。
同世代の友達とかと遊びたい盛りなのにね。
それが当たり前だった。
とにもかくにも貧乏、それもかなり貧乏だった。
腹いっぱい食べられないのが遊べない事よりも育ち盛りの自分は嫌で嫌で仕方なかった。
そうして中学校を卒業する頃、反抗期とも相まって、親父とは殆ど口も利かなくなっていた。
こうした生活にイライラを感じていたのだろうと思う。
楽しみなんて特になく将来何になりたいかもわからないし決まってもいない。
ただ漠然と社会に早く出たい一心だった。
高校に入学して程なく、家には授業だ、部活だと嘘をつくようになり
家族を避けるようアルバイトをする。
当時の時給は忘れましたが農園を手伝うより数段マシで楽だった。
何よりも得た収入を自分の為だけに使えるし、外の世界が新鮮でね...
以前にも増して実家が嫌になっていた。
そんな日々を過ごして半年くらい
たまたまアルバイトを休んで家にダラダラして居たら、
いつもより仕事から早く帰ってきた親父に呼び出されて
「お前、毎日毎日夜遅くまで何やっているんだ」と問い詰められた。
どうやら学校から、最近休みがちという事で職場に問い合わせがあったらしい。
答え様にも答えられず、すっかり親父と喧嘩になって家を飛び出した。
自分が16歳頃の話です。
勢いだけで家を飛び出したけど行くあても無く泊まるところも無い。
ええ・・・自分の反抗はあっという間に鎮圧。
たしかその時に高校を卒業したら家を出ることを決心したと思う。
親の手が届かない遠いところへ行き、この実家から出るんだという思いが強くなる一方でした。
高校卒業まで相変らず親父とは口もきかない関係が続きましたが、
黙々と文句も反抗もせず学業と家の手伝いとアルバイトをこなす日々。
就職は縁もゆかりもない地域をあえて希望し、
これでやっと縁が切れる!と当時の自分は随分さばさばした感情だった。
家を出る当日、普段通り親父は仕事
仕事人間の親父らしいと言えばそれまでだけど、これで最後と思うと複雑な心境でした。
母親は、辛かったらすぐに帰って来るんだよと言ってくれたけど、帰る事は全く考えていなかった。
そうして満員の汽車に揺られてたどり着いたのが今も住んでいる街。
実家の田舎とは違う世界に興奮したのを覚えています。
就職先は小さい町工場。
工場の近くにボロアパートがあってそこを借りて住んだまではいいけど、
田舎では考えられないくらい家賃が高くて驚いた
幸いアルバイトでためた貯金で当座はしのげるし、面倒見の良い社長は
従業員を社長の自宅で食事をさせてくれるので食費はほとんど0円で済んだ。
ですから生活には困りませんでした。
社長は職人肌で頑固者したが、親父と違って自分にずいぶん気を遣ってくれたと思います。
色々仕事の話から人としての考え方、在り方、世の中の事を何度も丁寧に教えてくれました。
ですがその話の節々に・・・・・
言い方は違いますが実家の親父と同じようなことを言うのです。
当初は耳の痛い話ばかりに聞こえていましたが、後にそんな社長をすっかり信用し、
社長が二人目の親父となるなんて当時は思ってもいなったのです。
当時の職場は、家族経営の零細工場。
従業員が社長、奥様、自分も含めて3名の従業員の合計5名という規模で、
一番下っ端の自分は朝から晩まで雑用にこき使われましたが、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ自分の居場所がここにあるという満足感で満たされていた幸せな時期でした。
時はバブル景気前の状況、町工場でも厳しいながら右肩上がりの業績で
会社の規模も段々と大きくなりつつある時期でした。
手ごたえが明らかに感じる時期でしたので、若かった事もあってもうやる気満々
面白いように事が進みました。
ですがそんな至福の時も長くは続かず・・・・・
面倒見が良くて人のいい社長は知人の会社の連帯保証人になってしまい
その会社が飛んで大きな借金を背負う事になります。
その借金が会社経営を圧迫し破たん寸前。
自分は金が無くなると縁も切れていくというのを間近で見るだけしか出来ませんでした。
気付けば、少し増えた従業員は社長と奥様、自分の3名だけが残るだけ
苦しい台所事情ですから待遇も給与も悪化していましたが、なんとなく社長を見捨てる事が出来なかった。
義理を感じていたのは勿論ですが、10年以上お世話になった社長が困っている時こそ
こんな自分でも居れば役に立てることもあるだろうと
作業車に機材、部品を満載して、日本全国を東奔西走していた時期でした。
借金を返すだけで精一杯の会社でしたが、社長はそんな中でも希望を捨てず
業界的には画期的なアイデアを発案し続けるのです。
でも世間は残酷な物で、信用が低い会社には融資も援助もありませんでした。
いくら説明しても書類さえ見てくれない。やっと試作品を作ってデーターも良好なのに・・・・。
門前払いが続いても社長は根気強く何度も何度も頭を下げ続けるのです。
なぜそこまでして…と聞けばいつも『これが成功すれば借金どころか復活も出来る。』
そう信じて約5年間、辛酸をなめ続けた社長が倒れます。
過労に過労、心労も重なったのでしょう。
そうして社長に、『もうこれまでだ』と言われます。
病気になった人にしかわからない 己の気持ちなのか心が折れたというより
先々を考えた末の発言は相当に重かった。
もう、お前もいい歳だ。
借金は会社を清算して機械類を売ればどうにかなるだろう。
私の事よりも、そろそろ自分の人生を考えたらどうだ と・・・・・
その時自分は、「親父、そうじゃないでしょう」と、人目もはばからず男泣きしましたよ。
社長が言う内容は自分の結婚相手を世話をする。
実家との関係を回復させる。
この2点でした。
お見舞いに行ったら、明るい声で「ほれ、お前の嫁さん」にしたからな(笑)と
かなり強引にことをすすめられて、付き合う形になり 、結婚したのが今の家内(笑)
実家との関係は、ここに来てから15年以上一度も連絡すらしていないことを、
思いっきり叱られました。
それと・・・・・
カバンから何やら封筒を出して、「これはお前の分だからな」「中を見て見ろ」と
大きな封筒の中を見ると、そこには帯のついた大金がありました。
社長、こんな大金!なんで?
社長は笑顔で、「いやさ…会社が一番苦しかった時に使おうと思ったけど」
「さすがにこれだけは死んでも使えなかったよ」
『お前の親父な! 実の父親のことだぞ!たしか10年前くらいに何のアポもなしで来てな』
『俺に深々頭を下げて、この封筒を渡すのよ』
『馬鹿息子を頼みます。それも長年お前を育ててくれたお礼と言ってね。』
『中味を見たら、この大金だろ?』
俺はさ、びっくりしてさ、『こんなモノを受けとる義理も何もない』って断ったんだよ。
『それでお互いその場で受け取る受けとらないの言い合いになったんだよ』
頑固者対決は、実の父親の勝ちで渋々社長は預かるという形で決着がついたそうだ。
『いやぁ~ありゃ見た目もそうだけど、俺も負ける相当な頑固ものだな!(笑)』
ところで『お前の実家って、お前の話では裕福じゃないんだろ?』
『この金作るのに、親父さん、どれだけ苦労したのかと思うとさ・・・・・』
『同じような仕事をしているから、俺にはわかるんだよ』
たぶん命がけだろ・・・・・って言われました。
『親ってさ・・・・・子供の為なら、何でもできるんだぞ』
仕事なんて2,3日なら休んでも大丈夫だし何とかする。
「この15年間、殆ど休んでいないだろ.....お前!」
「親不孝息子め!親父のところ行ってこい!」と背中を押されました。
そうして再会し、その時はじめて気づきますが実家の親父もすでに体を悪くしていてね・・・
背負ったら、あの大きかった親父が、軽くて小さい。
石川啄木じゃないけど、涙が止まりませんでした。
いま想えば、あの時社長が背中を押してくれなかったら...長年のわだかまりは融けぬままでした。
親不孝息子が唯一出来た親孝行は、親父が存命の間に結婚式で両家の笑顔が見れた事です。
もちろん新郎の親父は2名という、少々変わった構成でしたけど(笑)
実の親父も社長も 既にこの世を離れて久しいですが、自分はなんと恵まれた人生なのか、
日々噛みしめています。
Posted at 2018/12/10 13:55:12 | | 日記
2018年09月28日
同じ趣味の仲間が集まれば、その中でおかしな奴も出てくるんだ。
車の趣味も長年やっていると、つかわない部品もそれなりに溜まってしまうものだ。
そうした様子を見てか譲ってほしいとか言われることもあるんだ。
今は使っていないけど絶版だからもう手に入らないんだ。
貧乏性だからいつかは使うかもしれないと思っているんだ。
それでも譲って欲しいと言われれば同じ車に乗る仲間だと思って譲るんだ。
金銭のやり取りで譲る時も相場より低い価格で売るんだ。
こっちがどんな思いで譲ってるのか考えろ
買えばそれでいいのか あーあ 勿体ね。
持ち主がどんな思いで譲ったのか思いもしないんだ。
だから扱いが粗末すぎで譲った物を平然と壊すんだ。
さらに借りているのに貰ったと変換して壊したことも知らせないんだ。
そういうのを借りパクと言うんだ。
ハイエナのように人様のパーツを嗅ぎつけるのは得意だけど、都合の悪いことは気付かないんだ。
いやだねーこんな銭ゲバやクレクレ君。
そんな借りパクパーツで武装はみっともないぞ
Posted at 2018/09/28 03:28:58 | |
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2017年12月11日
よくある光景なのだが、コストダウンをするにあたって自社で努力するのが努力。
だがその努力を勘違いしているのか そのまま下請けに値切りだすw
全く馬鹿な取引先だ!
自社の無能さを下請けに丸投げばかりしているから、時間をかけても学習出来ないのだよ(笑)
「注文者だから、客だから、買ってやってる」という傲慢な考えは、
大企業だけでなく中小企業にも多いのだ
世の中こうした流れが主流で 自分だけが儲けを出すために必死なのだろうね。
値切りによって相手の会社の経営だって圧迫する事は知っても知らんぷり。
金さえ払えばどうにでもなると思っている。
自分は、こんな取引先と取引するのは御免だね!
納期や注文数だけでなく、クオリティーだって満たさなきゃいけないのだろ?
暴利ではないし、必要な質も考えての価格設定をしているし、
そもそも安売りするという事は、それだけ自信がない証拠!
そりゃ、どこでも手に入る物や質なら別だがね(笑)
ウチでしか出来ないのだからさ、自分は安売りしないよ!
簡単に考えるなよ!どこでもできると思うなら、そっちへ行け!よ(笑)
人様の足元ばかり見ているような会社や人物は、付き合うだけ無駄と思う。
元請けは、下請けの利益や経営も考える位じゃないと 誰もついてこないよ(笑)
それが心得!
回りまわって、誰もお宅の仕事は受けない・・・ なんて事態になったら、困るのは誰なの?
Posted at 2017/12/11 14:19:27 | |
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2017年09月09日
紆余曲折あって車を入れ替え。
少々要件があっておっちゃんのところに行くと、困ってたぞ(笑)
また何かあったみたいだ(笑)
いや。。。(下請け作業で入った車の修理)「車の扱いが細かくてな。。。。。」
その車は、エンジンが焼き付いてしまったらしく、エンジンの乗せ換えが必要みたいで、
某所からの依頼でおっちゃんのところに入庫したそうだ。
えっ?某所って ディー〇でしょ?
でエンジンの乗せ換えとかしないの?できないの?と聞いたらさ 理由がね(笑)
自分のところでも出来る作業をどうしてよこすのか
某所の従業員が、いつも通りキャリアカーに積んで来たが、
いつもと車の扱いが違う。
まるで腫物にも触るようなその様子からして
こいつは怪しい と長年のおっちゃんのセンサーが働いたみたいだ(笑)
聞けば
持ち主が、やたらとボディーの傷を気にするらしく
過去に何かあったらしい(笑)
某所はリスクを考えて、おっちゃんのところに仕事を丸投げ
たまに「傷が付くから、洗車はしないで!」とかは、あるのじゃが。。。。。
ボディーカラーは「黒」。だから傷は目立ちやすいのだ。
持ち主は、極度の神経質ぽい。て言うか、相当な潔癖症なのだろう(笑)
「こんなの手を触れただけでも、手垢が付いた!どうしてくれるのだ!」となるじゃろ・・・・・
実際に某所ではそういう事があったらしいのだ(笑)
大切にしているのは理解できるが、度が越え過ぎている事には、対応が出来ないと思う。
もちろん一般的なフェンダーカバーとかの気遣いは、もちろんしているのじゃが。。。。。
貴金属を扱うように白い手袋でもして
なんてしてたら 作業が出来ないじゃろ?(笑)
エアコン完備の作業場ならまだしも、ここは零細整備工場。
炎天下で気温も高い、汗もかくだろうから手垢の一つや二つは付くだろうな(笑)
おっちゃんは、文句を言いたいところ下請けなので文句も言えず、
リスクだけ背負わされるし、まだ手も付けていない作業に値切りもあったらしいのだ。
だから、「断れば」と言ってあげたよ(笑)
肝心の故障の原因は、(おっちゃんが言うには)オイル交換をしていないのが原因
見た目だけ気にしていて、オイル交換をしていないのだろう
世の中、色々だ(笑)
Posted at 2017/09/09 08:17:44 | |
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おっちゃん | クルマ