2006年01月30日
MとNを引き合わせる事によって、事態がどう変化するのかは、全く予想が出来ません。
只、解かるのは「必ず何かが変わるだろう!」って事だけでした。初夏のこの時点では
まだMにもNにも何も話をしていませんでした。私一人が虎視眈々とタイミングのような
時を待っていました。勿論その間も
Mの店にも飲みに行ってましたし、Nとも今後について色々と話し合っていました。
時を待つ間も、事有る毎に2人にはそれとなく、含みのあるニュアンスは匂わせてました。
その頃実家には、2ヶ月に1回程度のペ-スで帰省していました。もう姉は嫁いで家には
居ませんし、兄も別世帯でしたから、
実家に帰っても両親と私の3人だけです。夕食時には母親から「仕事はどう?」「出張は
多いの?」「ちゃんと食べてるか?」とか、そんな質問ばかり投げかけられていました。
まだまだ子供扱いですね。しかし、なんやかんや言ってもやはり「母親」です。
私の微妙??な顔色や様子を見て、いつもとは違う何かを察知していたみたいです。
普段通り夕食を3人一緒に食べ、親父が酒を持って居間に移動すると、母親が私に聞いて
きました。「アンタ何か話が有るんやろう?」って。さすが敏感なものです。
家のオヤジは昔から取り扱いが難しく何かを相談する時は、先ず母親に相談して、最善の
方法を考えるのです。そして母親からオヤジに
それとなく打診して貰ってから、私達がオヤジに相談しに行くといった寸法です。
今回は母親にも中々相談が出来ませんでしたし、ましてオヤジには・・・怖かったです。
Nの方は実家に対して、ある程度の打診はしているみたで、完全に出遅れてしまってます。
会う度に「ご両親には話ししてくれたの?」ってセッツかれてしまいます。マドロスと
しては辛い所です。ここは男ップリ上げなくてはなりません!そこでオズオズと母親に・・・
「付き合ってる娘が居るねん」「一辺会って欲しいんやケド」「どうやろか?」と訪ね、
更に「もう先方のご両親とは会う段取りが出来てるんや」と、カマまで掛けてしまいました。
あれ程口うるさい母親が、珍しく黙ったままで、何も答えてくれませんでした。
取り合えずは、言ってしまったのです。「一度口から出た言葉は・・・」を再び噛み締めて!
翌朝、京都に帰る時も母親は何も言わず、そのかわりに1通の手紙を渡されました。
恐らく、夕べは一睡もしていないのでしょう。かなり深刻な顔をしていました。
内容は色々な事が書いて有りました。私に対する母親の愛情が切々と書き綴ってあります。
「判ってるがな!おかぁちゃん!」「せやかて決めなアカン事なんや!」「もう子供や
ないんや!」「判ってぇな・・おかぁちゃん」
と、胸の内で叫び・・・また泣きました。(よう泣くのぉ・・・俺も・・・)
手紙の最後には「アンタが選んだ人なんやから、一度会ってみるようお父さんにお願い
しておきます・・・母」と結んで有りました。
ドバァ~っと涙が溢れて、暫くは止まりませんでした。「有難う!!おかぁちゃん!」
さて、此れで両方の親には一応の話は出来ました。後は私の問題です。最後?の難関です。
(後々になって思えば、難関はこれから!)MとNを対面させる、タイミングを計り始め
ました。予定ではNの両親に会うのは、9月の末頃に有る「御堂筋パレ-ド」の日を選び
ました。会場は御堂筋沿いに有る「ホリデ-イン南海」の和食料理を選び、眼下を見下ろせる
席をリザ-ブする!!って作戦です。
そこまではNと打ち合わせ済でした。問題はNとMを会わせるタイミングです。9月になれば
出張の嵐でとてもそんな事はしてられません。
決めるなら「8月」しかないのです。お盆休みが終わった時の週末!が勝負の時やッ!!と、
一人意気込み、その日を待った訳です。いよいよその日を迎える事となります。
(ひっぱるなぁ!!)次回、会わせちゃった!!に続きます。
Posted at 2006/01/30 17:28:59 | |
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一人神田川 | 日記