プリンスクリッパーの楕円グリルが「気になる」人は多いと思います。
飛騨生コン歴史資料館展示車
楕円グリルといえばBuickのコンセプトカー、
Le Sabreなど、ごく少数の例があるにせよ、何物にも似ていない個性的な顔つきが生まれたルーツがどこにあったのか、長年の謎でした。
今回雑誌の連載では「飛行機屋が生んだジェット時代のマイクロバス」としてクリッパーを取り上げています。かつてなく長い時間この顔に向き合った中で「これだ!」と、一つの結論に達しました。誌面でも紹介しましたが、ここで少し補足しておきます。
世界初のジェット旅客機、デ・ハビランドDH.106 コメット (1949年初飛行)

ボーイングやダグラスなどのアメリカ勢とは違い、イギリス製の旅客機です。デザイン画から抜け出してきたような美しい飛行機。主翼の付け根にマウントされたエンジンや段差のない鼻先のスマートさなど、近未来的な魅力があって好きな機体です。
特徴的なジェットエンジンの空気取入口、クリッパーにはこの影響があると思われます。

飛行機のデザインをカーデザインのアイデアとするのは、1949年のフォードのグリルやキャデラックのテールフィンのように、戦後の大きなトレンドでもありました。
あまり知られていませんが、初代クラウンの「逆さブラジャー」グリルもコメットの楕円形の空気取入口をヒントにデザインされています。
昭和27年、BOAC所属機が羽田空港へ初飛来。翌年にはロンドン-東京間の定期便が就航しています。
>占領下で航空機開発の一切を禁じられ、ジェット時代の到来に為す術もなく航空分野から
>離れていた日本の旧航空技術者達は、コメットの銀翼と快音に切歯扼腕したという。
wikipediaより
世界初の快挙と羽田飛来時のインパクト、そしてその後の悲運については、子供の頃に図鑑巻末のモノクロページを夢中になって読んだ記憶があります。
プリンス自動車に移った立川、中島系のスタッフや、クリッパーの組立に関わった昭和飛行機の元航空技術者もコメットの先進的な姿を目にしたことでしょう。クリッパーのミステリアスな楕円グリルには、アメ車的なスピードへのロマンというよりも、翼をもがれた飛行機屋の無念を感じてしまいます。
結局、現在に至るまで国産の大型ジェット旅客機は生まれることはありませんでした。
(小型機では三菱重工のMU300やホンダジェット、ほかに自衛隊の輸送機C-1、哨戒機P-1など、ジェット機自体はいくつかあり、三菱重工がMRJを開発中)
コメットは、日本航空も発注を行いました。デ・ハビランドの輸入代理店は、なんと
コーンズ。イギリスですからね!
しかし栄光の時は連続墜落事故によって悲劇に変わります。
高高度を飛ぶ全室与圧キャビンの金属疲労、という当時としては未知の原因により、2度(もしくは3度)の空中分解事故が起こりました。ここで、日航機の発注もキャンセルされてしまいました。
(詳しくは
wikipediaコメット連続墜落事故などをご覧ください。)
対策型のコメット Mk. IIIおよびMk.IVはイメージの悪さとライバル勢の台頭によりセールスが振るわず、メーカーのデ・ハビランド自体が買収されてしまいます。
改装型の対潜哨戒機・電子戦機
HS.801 ニムロッドがつい最近まで現役だったことを思うと、基本設計自体は悪くなかったのでしょう。
新技術における未知の欠陥を見つける難しさを痛感します。現在飛行停止中のボーイング787のリチウムイオンバッテリーのトラブルが予想以上に長引いているのも、想定外を想定する、という過去の教訓が生きているはずです。

追記)かつて存在したパンアメリカン航空の機体には「クリッパー・アメリカ」などの愛称名「クリッパー・ネーム」が付けられていました。これは同社が戦前に長距離航路を
マーチンM130飛行艇などで運行していた名残り。つくづく飛行機に縁のあるクルマだと思います。
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デザイン | クルマ
Posted at
2013/04/25 18:38:00