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イイね!
2013年10月17日

赤い国から来たスパイ

赤い国から来たスパイ 今日は一つ、ソ連のロータリーエンジン車の話でもいたしましょう。

まずはこちらの動画をご覧下さい。

クルマはLADA2110。おなじみのロータリーサウンドが響いています。


そして、LADA21018のエンジンルーム。

オーストラリアによくあるような13Bスワップかと思いきや、これらのクルマはソ連で作られたロータリー搭載の乗用車なのでした。

ソ連のロータリー搭載車にはいくつかありますが、たとえばこんなクルマです。

見たことがあるような、ないようなエンジン。


比較用にルーチェレガートのエンジンルームを載せておきましょう。あまり綺麗ではありませんが。

デスビの位置が全然違うほか、クラシカルな機械式リンケージによるチョークなどが付いています。また電動ファンなのは冷えすぎが心配な寒い国ならではの装備なのかもしれません。

カラーリングでピンと来た方も多いのでは?

コレですコレ。元ネタはFIAT124。ま、こちらは色々変えてあるようです。

Googleさんに聞いてみました。ボンネットの“ГАИ” は交通警察という意味とのこと。パトカー専用車ですね。

"Wankel-powered VAZ-2106s (VAZ- 411 engine with two-rotors) and Ladas, mostly to security services"とある。security servicesって警備会社じゃないですよ。

気になるスペックは2ローター1308ccで115~130馬力。オリジナルのLADA2101のエンジン(OHV4気筒1,197cc・65馬力)の倍近い出力を誇っていました。

詳しいバリエーションについては以下のサイトをご覧ください。
ソビエト宇宙征服「ソ連 ロータリーエンジン乗用車」
AUTOVAZ (Lada) rotary powered cars from Russia/USSR
LADA EVOLUTION Wankel motoros Lada
ユーノスコスモより先に実現した3ローターエンジン車、しかもKGB専用、など興味深いクルマが色々あります。ここで個別に紹介するとキリがないので、詳しくは上記サイトをご覧下さい。

これらの存在を知って以来、私の興味の対象は西ドイツのワンケル社で開発され日本のマツダで実用化されたロータリーエンジンがいかにして『鉄のカーテン』を越えてソ連で生産されたか、という点でした。もちろん、ワンケル社から正式にライセンスを購入したわけではありません。

ソ連の崩壊まで、西側諸国には「対共産圏輸出統制委員会」という制度があり、軍事に転用できる技術の輸出は厳しく制限されていました。これをココム規制と言います。日本から工作機械が輸出されたおかげでソ連の潜水艦のスクリューの加工精度が上がり、米軍のソナーに掛からなくなった「東芝機械ココム違反事件」も記憶に新しいところです。

自動車のエンジンがこの規制に該当するかどうかは調べがつきませんでしたが、東西冷戦下において正規ルートでの技術導入は難しかったはずです。

そんなことで、ソ連のロータリーエンジンについてアンテナを張っていたところ、一冊の本にこんな記述が見つかりました。

軋んだ車体―ドキュメント・東洋工業 (1978年)梶原 一明

P170 昭和51年春、東洋工業のロータリー・エンジンにソ連陸軍が目をつけるのである。(略)高速で移動できる戦車があれば、きわめて大きな戦力になる。それに振動が少なければ照準がつけやすい。

P172 東洋工業を訪れた五人のソ連のスタッフは、モルザホフ中央技術局次長をはじめ、トリアッチ・ボルガ自動車工場の技術次長、工業所有権輸出入公団の副総裁といった専門家で、三日間の研修を東洋工業で受けるのだが(略)

ソ連のロータリーエンジン購入の申し出に対して、当時の松田公平社長が直々にソ連側の技術者を工場見学に案内するなど、篤くもてなしています。輸出ビジネスになる、という思惑から日本の自動車メーカーには秘密にしていたような実験施設なんかも見せてしまった可能性がありますね。

当時のソ連は日本に対し核爆弾を搭載できる戦略爆撃機Tu-95“ベア”による偵察・示威行動を行っていました。これは毎週のように行われ、米軍からは通称“東京急行”と呼ばれています。また、昭和51年9月にはミグ25が函館空港へ強行着陸する“ベレンコ中尉亡命事件”もあり、東西間の緊張が高まっていた時期です。

おそらくソ連側は「マツダは俺たちを見くびっているのか、あるいは単なるお人よしか、どちらだろうか?」と戦々恐々としながら来日したのではないでしょうか。

対してアメリカの反応はハッキリしていました。『ニューズウィーク』誌 1976年2月2日号では次のように報じています。「マツダのロータリー・エンジンは、石油ショック以来、アメリカで急速に魅力を失いつつある。しかし、マツダはそのかわりに共産主義者たちに大もてである」

結果として東洋工業がソ連にロータリーエンジンを販売する“商談”は消え去りましたが、ソ連側は技術とノウハウをバッチリ吸収して、昭和53年にはLADAのロータリー車が登場した、と言うわけです。

そもそもエンジンの購入は期待せず、技術を盗みに来たんじゃないか…と思います。
むろん真相は闇の中でしょう。
ブログ一覧 | 海外 | クルマ
Posted at 2013/10/17 21:26:44

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この記事へのコメント

2013年10月17日 23:27
また興味深いブログに驚きです。

私もソ連RE車には大変興味があり、ソビエト宇宙征服のサイト見たり画像検索して拾い集めたり、動画検索したりでも中々言葉の壁もあり中々難しいですね。

しかしマツダとソ連に接触があったとは知りませんでした面白い話ですね~ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

しかしソ連RE車はコンパクトなFF車とかに搭載されたりとかあったりが素晴らしく、世の中の景気に左右されずに着実に進化してたのに魅力を感じますね手(チョキ)ぴかぴか(新しい)

東洋工業がもし世の流れに左右されずRE車造ってたらって思いと重なったりしますほっとした顔
FFファミリアのRE車、3ロータNEWロードペーサーなど…(笑)
コメントへの返答
2013年10月17日 23:57
そうですね。ソ連のRE車の耐久性がどれほどのものだったか気になりますが、今でも実働車が残っている所からもそれなりのレベルだったのではないか、と思います。

なんだか複雑な気分です。

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