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2013年04月24日 イイね!

秘密のピリオド…自動車用ガラスの年式刻印について

昭和のアイドル歌謡のようなタイトルですが、今回は年式の話。

かつて、日本の自動車はアメリカ車とおなじモデルイヤー制度を採用していました。
いまでも慣例として「平成○年式」という言い方がありますが、ちょっと違います。

最大の特徴は、当時は製造年での管理という点です。年式の切り替えが前年の秋(起点日は10月→9月と変わる。全日本自動車ショーは翌年式のクルマを展示するイベントだった)など色々複雑な制度ですが、初度登録年度で管理している現在とは異なる部分です。

当時はフレームの車台番号を見るだけで年式が判る仕組みになっている、というのは有名な話。

この制度は1964年7月14日に廃止、とここまでは少し調べれば出てきますが、旧車趣味の先輩から面白い話を聞きました。

なんと当時は、ガラスにも製造年が入っているんですね。

こちらは1964年式のプリンス・グランドグロリアのウインドシールドに使われているガラスの刻印。書式は現在のものと同じですが、米国認証や欧州認証の表記がなくシンプルです。

(JIS) LP NIPPON SAFETY C-G-64

64という数字がバッチリ入っています。
日本板硝子製、LPは合わせガラス(ラミネート+ポリッシュ)ですね。

いわゆる“優良部品”だけでなく、たとえメーカー純正品であっても、事故や飛び石などで交換すると年式打刻のない補用部品となってしまうそう。この刻印は三角窓など全てのガラスに入っているから、アメリカ車でいうナンバーズマッチ、みたいな感じですね。

草ヒロとなった古いクルマの刻印をチェックするのも楽しいです。

そして、こちらが年式打刻制度廃止後のウインドシールド。日産セドリック(130型)のものです。

旭硝子製のテンパーライト。これは強化ガラス(TP)です。年式表記はありません。

しかし、上が1968年で下が1969年と、見る人が見ればすぐに判ってしまうそう。

さて、違うところはどこでしょう…(制限時間15秒)



実は、ASAHIの「H」と「I」の下にこっそりが打たれたピリオドが製造年を示しているんですね~。
一年ごとにピリオドが右へ移動して、またAから始まります。

実はこれ今でも続いているとのことで、確認したら…あっ!
見えない世界が開けたようで、ちょっとワクワクします。

よく見るとTEMPERLITEのMとIの上にもピリオドが打たれているのがわかると思いますが、こちらは製造月です。

刻印は完成検査の終了時ではなくガラスの製造時に入れるものなので、年末年始をまたぐ場合はそのクルマの製造年と合わないこともあるはずです。

古い雑誌に解読方法が出ていたので転載しておきます。

そういえばピリオドやハイフンで偽装した製造日を識別していた某老舗もあった…と、つい余計なことを思い出してしまいました。
Posted at 2013/04/24 22:12:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | パーツ | クルマ
2013年04月02日 イイね!

マルちゃん正麺と昭和の自動車広告

マルちゃん正麺というインスタントラーメンがヒットしてますね。
食べた方おられますか?

この商品のテレビCMには、ちょっと驚かされました。


これまでのCMといえば
「ゴマの香りがどうのこうの」、「ラーメンの鬼、○○がプロデュース」といったように、スペックを並べ立てる、あるいは名声を借りることで間接的に商品の優位性をPRしていました。

しかし、このCMはあからさまに「美味い」と言うだけ。
色々なテクニックを使ってはいるものの、訴えの中心は「美味い」。

なんなんだ、このCM?と、しばらく考えて結論に思い当たる。
これは昭和の広告への先祖帰りですね!

ギザギザのフキダシが「ウマイ」と点滅するような昭和40年代のCMや、「これは美味い」と自分で書いちゃった屋台の看板を現代風にスタイリッシュに表現。これがこのCMのコンセプト。

そして、結構ウケている。

CMの描いた夫婦像のように、普段インスタント麺を食べていない人が久々に食べて「美味い」とつぶやき、それが次の購買を刺激する。そんな構図に見えます。

試しに食べてみたけど、鈍い私には他との違いがあまり分かりませんでした。
インスタントラーメンというのは、そもそも美味いものだから。


さて、広告業界といえば、ヒット作が出ればそのパターンが流行るのはいつものこと。

ズバリ、次に来るのは自動車のCMでしょう!

「堅牢な構造と確実な経済性!」
「100円のガソリンで38キロも走行!」
「最小の経費で最大の働き!」

こんな、マイカー時代以前の、夢も希望もない広告が再びやって来るに違いない。
(昭和34年モーターファン広告より)

と、ここまで書いてふと気づく。



・・・・・・・・・もう、とっくに来てました。ここ数年、こんなCMばっかりです。
Posted at 2013/04/02 23:48:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 時事 | 日記
2013年03月01日 イイね!

軽自動車枠は「奴隷の鎖自慢」か?

税金が安いのはありがたいし、スバル360はカワイイ。それでいいんじゃないか?
と言えばそれまでなのだけど、もう少し突っ込んで考えてみます。

旧車好きとしては廃止反対という立場ですが、頭の整理なので、極力ニュートラルな立場で書いてみることとしましょう。

1.小型車の良さ
スバル360はカワイイ。では、普通車登録のフィアット500やパンダは?カワイイですね。

つまり小型車の良さ≒軽自動車の良さ ということ。

現代の肥大化した軽自動車が必ずしも日本の国情に合っていると言いがたいように思います。
近所に昭和40年代の建売住宅が並ぶ街区があって、玄関先にちょっと古い軽とスズキツインがズラリ、という風景が数年前までありました。
(660新規格の軽自動車が置けないサイズで設計されている模様)

2.しかし小型車が小さくない現実
親がK11マーチを買い換える、というときの話。候補車をいろいろ考えたものの、今の小型車はどれも幅が広い。最有力のデミオは全幅1,680mmと100mm近く幅広。5ナンバー枠(1,700mm)ほぼ一杯です。どこがコンパクトなのか。愕然としました。結局、諦めて中古でマーチの最終モデルを買いましたとさ。

そういう意味で、現行のK13マーチはよく出来ていると思います。
逆に言えば、軽自動車しか選択の余地が無い、という事態に追い込まれている、とも考えられます。

3.燃費
今回の話がTPPによるアメリカの外圧の一つ、ということから「軽自動車を廃止したところで、デカくて燃費の悪いアメ車が売れるわけがない」という反発をよく見ます。

アメ車好きとしては、いまだに70年代と変わらない論調がまかり通っているのが残念ですが、それはともかく、燃費の良くない軽ターボが結構売れていたりします。ついに車重が1トンを超す軽自動車が登場しました。軽は重量税額も優遇されていて、それでも1トン以下のロードスターあたりより安いです。なにかがおかしいと思いませんか?

3ナンバー車の自動車税が安くなった途端に2000ターボや2000スーパーチャージャーといった車種が姿を消したことを思うと、高コストなこれら過給機付きのモデルをメーカーが好んで作る理由はスポーツカー以外には、あまりない。

とはいえリッターカーと無過給の軽自動車の燃費を同じ条件で比較したことがないので、この件保留。

4.輸入
もし軽自動車枠が撤廃されたとして、得をするのはどこ…?アメリカでは無いでしょう。そういえば、軽自動車枠の廃止を提唱していた日本のメーカーがあった…。

これ以上書くと根拠のない陰謀論になってしまうので、与太話はさておき。軽自動車が撤廃されると日系メーカーのタイ工場製のクルマが今以上に増えることになりそうです。世界各地からAセグメントカーが日本へ輸入されることになるでしょう。

5.輸出
「輸入」という立場で言えば、海外のクルマで黄ナンバーが付く車種は皆無に近い(スマートKぐらい?)
「輸出」という点では、国内専売車種になってしまう辛さがあります。

2013年度の軽自動車市場は前年比7%減の180万台の見通し。

メーカーでは損益分岐点台数を下げるためにOEMやプラットフォーム共通化を進めています。国内専売車種を細々と作るか、輸出も見込める小型車に移行するか。しかし残念ながら、今の円高で海外に打って出る価格競争力は無いのでしょう。

そういう意味では、5mを超すフルサイズカーばかりだった80年代までのアメリカを笑えない。ガラパゴス路線で生きのびるのも一つの選択でしょう。しかし、日本の自動車メーカーは国が保護しないと生き残れない絶滅危惧種なのか…?だとしたら悲しいことです。

6.税金の問題
税金が安いから軽、という選択。結局そこに尽きるのでは。

4ナンバーの軽と5ナンバーの軽で税額を変える政策(物品税)は、軽ボンバンブームの到来で半ば有名無実化した経緯があるので、それも難しいでしょう。

「たら、れば」の話ですが、軽自動車の廃止で登録車の税金が大幅に下がるなら…?

甘いでしょうか。しかし、このような条件付きとなると撤廃にNO!と言えない自分がいます。

しかし、日本の軽廃止とアメリカのトラックの輸入関税廃止をトレードオフしても、今や全く割に合わないという悲しさ。ハイラックスもダットラも、日本にはもうありませんから(涙)
Posted at 2013/03/01 22:43:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ニュース
2013年02月28日 イイね!

“クラウンRE”と日本メーカーの豪州車

朝日新聞のバックナンバーより調査メモ

1972.01.08朝刊 「三菱自工、クライスラーを輸入販売へ」
日本での組立販売の当初計画を中止して、輸入販売を行う。

1972.07.15朝刊「三菱自工、高級車二車種を発売」
クライスラー318 396万円
チャージャー770 373万円 将来はノックダウン生産を予定。

1973.10.26朝刊「いすゞ、GM車を輸入販売」
12/1よりステーツマン・デ・ビルを販売。三菱クライスラーに次ぐものとして年間300台の販売計画。
ホンダもフォード「ムスタングII」「ピント」の輸入販売を交渉中。メーカーによる輸入車の販売について、三菱では既存の代理店とひと悶着あったと言われる。
注)当時のクライスラー輸入代理店は「黒幕」小佐野賢治の国際興業

1974.04.29朝刊「東洋工業RE大型車発売へ、GM系列のボデー使用」
豪ホールデンの車体にロータリーエンジンを搭載するもの。
クラウンにRE供与の交渉がうまくいかずGMに話を持ちかけた。
GMはすでにいすゞと資本提携しており、この計画はいすゞも了解済み。

注)ロードペーサーに関する第一報。既にいすゞ・ステーツマンデビルが発売されていたこともあり、マツダは開発前にいすゞの了解を得たことが示されている。

1974.05.17朝刊「GM・いすゞ・東洋工業の三社合併説を否定─いすゞ社長」

1975.03.18朝刊「初の低公害車」
ロードペーサーAP、4/1発売。50年度規制に適合する初の大型車。
注)当時の大型車はセンチュリー、プレジデント、クラウン2600、セドリック・グロリア2600など。

1975.05.22朝刊「低公害大型車トヨタも発売、三社出揃う」
注)センチュリーの50規制車

1975.12.17朝刊「いすゞ・東洋工 提携の可能性」
GM、伊藤忠を仲介に。日産-プリンス合併に次ぐ自動車業界の再編成につながる可能性を秘めている。

1976.03.03朝刊「いすゞ、GM車を販売へ 77年型を早ければ年末から」
ステーツマンの輸入は排ガス規制に対応できないこともあって、昨年末で取りやめている。

1977.10.5朝刊「東洋工業が新車発売」
ルーチェ・レガート

【背景】
・オイルショックと業績低迷
・通産省主導による業界再編への動き
・ビッグスリー、2度目の日本上陸の野望
・企業防衛のためのフルライン化
・日本版マスキー法への対策で忙しくなりウヤムヤ

マツダ クラウンREのうわさ話(独自研究のおそれがあります)
・試作してみたものの、あまりにも出来が良すぎてトヨタが恐れたとかマツダが震えたとか…
・ルーチェレガートがクラウン風なのは、この時の…(以下略)
・このあたりのドロドロ具合は山崎豊子の小説「不毛地帯」もオススメ

梶原一明『軋んだ車体 ドキュメント・東洋工業』 P217
昭和四十七年七月、耕平社長はトヨタから会談申し入れを受ける。豊田英二トヨタ自工社長、神谷正太郎トヨタ自販社長はロータリーエンジンの購入、株式の相互持合い、さらにRE生産のための共同出資会社の設立など、かなり深いトヨタ、東洋工業提携の"原案"を提示したのである。(略)そのためにトヨタ車のクラウンのためのREの単体購入ということだけに終わってしまう。
Posted at 2013/02/28 22:41:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 調査中 | 日記
2013年02月18日 イイね!

プリンス自動車の海外生産について

プリンス自動車と日産自動車はご存知のとおり昭和41年に合併しました。その後も残るプリンスの名前といえば、「日産プリンス自動車販売」やプリンス海運の自動車輸送船「ぷりんす丸」が有名ですが、昭和61年まで「プリンス」を名乗る工場があった、というと知らない人も多いのではないでしょうか。

かく言う私も初耳でしたが、そういう工場があったんです。驚きですね。
その名はプリンスモーター・タイランド社(Princemotor Thailand Co., Ltd., )

同社での昭和50年時点の生産車両は次の4車種。

E10チェリー
C240キャブオール
T20ホーマー
780トラック

ボンネット型の780トラックを除くと、いずれもプリンス自動車の血筋を引く車種が並んでいます。

プリンス自動車の海外生産は昭和37年に設立されたプリンス・フィリピン社が最初の事例になります。ここでは商用車のマイラーとクリッパーをノックダウン生産していました。しかし、日産との合併後も長く存続したのはタイの工場だけでした。

プリンスモーター・タイランド社は昭和40年7月に現地のキアングアン社(60%)とプリンス自工(35%)、住友商事(5%)の共同出資によって設立され、翌昭和41年2月にスカイライン1500のノックダウン生産を開始。8月には日産と合併ですから、かなり際どいタイミングでした。

一方、日産は一足早く昭和37年に現地資本の販社と共同でサイアム・モータース・ニッサン社(Siam Motors & Nissan Co Ltd.)を設立。ブルーバード310やジュニア40トラックのノックダウン生産を始めていました。

昭和50年時点でのサイアム・モータース・ニッサンの生産車両は次の4車種。

B110サニー
710バイオレット
620ダットサントラック
230セドリック

こちらは見事に日産系の車種ばかり。2社を合わせるとかなりの車種がタイ国内で組み立てられていることになります。

日産との合併後もタイでプリンスの名前が残った理由は、設立当初から歴史の違う2社の日系自動車メーカーが存在した所にありそうです。もしくは合弁企業を立ち上げる際に「最低でも20年間撤退しないこと」といったような契約が交わされたのかもしれません。

その後、プリンスモーター・タイランド社はサイアム・モータース・ニッサン社に吸収されます。日本から部品メーカーを誘致してタイ国内での内製比率を高め、ノックダウンからライセンス生産へと進みます。また、パキスタンやブルネイなどアジア向けの輸出をタイから行うなど、着実に力を付けていきます。

現在のタイの方針は「アジアのデトロイトを目指す」です。そして、同社は日産の海外拠点の一つ、タイ日産自動車株式会社 (Nissan Motor Thailand Ltd, NMT)になりました。ここでは日本向けのマーチのほか東南アジアおよびオセアニア地域へ向け多くの車両を製造しており、今では日産の世界戦略に欠かせない拠点となっています。

自動車メーカーの誘致から約半世紀、タイは日本とは違った形で自動車産業が根付いた国となったようです。



2013/5/11追記

昭和40年3月発行『プリンスのあゆみ』に見るプリンス自工のノックダウン生産
・南ア連邦(マイラー)
・アイルランド(スカイライン、クリッパー)
・フィリピン(乗用車) …車種不明

本年予定として
・タイ、ニュージーランド、オランダでの現地組立開始。
Posted at 2013/02/18 22:52:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海外 | 日記

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