和歌山県串本町町長の
田嶋勝正さんから直接お話を聞かしてもろて
感銘を受けた
知ってる人も多い話やと思うけど
僕自身は初めて知って驚愕の連続
司令官オスマン・パシャを特使とする一行が
皇帝親書を明治天皇に奉呈
帰路につくにも乗員はコレラに感染
木造軍艦エルトゥールル号は航海に耐えへん状態
おまけに台風シーズン
日本側は航海延期を勧めるも強引に出航
どうもこの皇帝の意思やったらしい
案の定1890年(明治23年)9月16日夜
紀伊大島の樫野崎で座礁
3回水蒸気爆発を起こし沈没したと言われてる
死亡者、行方不明者、合わせて587名
生存者が流れ着いたんは
大島村にある
樫野埼灯台の下
40メートルの崖を登って
灯台守に助けを求めたらしい
当時の大島村の世帯数はわずか60軒程度
村民総出の救出活動
海から灯台までの崖が最難関
3人1組で
1人はトルコ人船員を担ぐ
1人は上から引っ張り上げる
1人は下から押し上げる
必死の思いで村のお寺、学校、灯台に収容出来たトルコ人69名
豊かでもない漁村
乏しい食料、卵生ます為の鶏、自分たちの浴衣etc.
惜しまず遭難者の為に差し出したと言う
救出された69名は神戸の病院に入院後
品川湾から
日本海軍の比叡と金剛に分乗して無事故国
これは
大島村のお寺の開かずの金庫から近年出てきた手紙の控え
推察するにトルコ政府から
大島村に来た手紙の返事らしい
薬代とか治療代請求して欲しい言うてきてるのに
惨事を前に頑張っただけやから
お金は結構です
その分亡くなった方々の保証に当ててくださいて言うてる
何とも誇らしい人々!!
Posted at 2013/07/31 10:26:25 | |
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