
1966年10月のカローラ発売以来今年で40年目、
「カローラ生誕40周年」
初代:日本のハイコンパクトカー「プラス100ccの余裕」から現在は9代目:New Century Value「変われるってドキドキ」である
そして今年10月、10代目カローラが発売される。
28年前、私が初めて乗っていた車がカローラクーペ1200DX
それは、兄が中古で買った車(10万キロ近い走行距離で10万円)を譲り受け、「思い出のくるま」ではなく「人生の岐路に立たされた車」であった。
当時の車には
チョークが付いていて、冬にはチョークを引き燃料を濃くして、エンジンを掛けたものだった。
また、若かった私は今で言うタイヤをツライチ(ちょっと出ていたかも)にして走り回っていた...
それは27年前、二十歳前の3月某日
大学を中退後、母親の紹介で見習で勤めていた会社の帰り、午後五時頃の出来事
...単独事故
(この事は、会社にいた昼以降の記憶が無い、事故によるショック性記憶喪失だという)
現場の交通量は少なく、片側一車線の直線道路で乾いた舗装、タイヤはスパイクタイヤ
飛ばしていた...らしい
先行く車を抜き、そして車がローリング、対向車線を越え路肩を横転...一回転した所に運転席側から木の電柱に激突。
車のフロント、両側のドアのガラスはバラバラに飛び散り、車体は“くの字”に折れ曲がり、タイヤは垂れ下がり、ほとんどがバースト状態。
当時、シートベルトをしている人は殆どいなく、私もその一人であった
身体の方は、胸をハンドルに打ち、右太ももがハンドルに挟まれたりの全身打撲で左鎖骨骨折、左肩甲骨・左腕不完全骨折、また、粉々になったガラスで指などを切っていた。
車中にいる私を助ける為に何人かの人がドアを開けようとしても、なかなか開かなかったらしいが、それでも何とか開ける事が出来た。
救急車を待たず、助けてくれた人の車に乗せ、しばらくて対向して来た救急車に乗せ換えた
(車中、意識はあり救急隊員の質問には答えていたという)
当然私はICU (集中治療室) に入れられた
自分が記憶にあるのは、事故から二日目...
入院二ヵ月半、その間色々考える時間があり過ぎた
退院後、1週間ほど職場復帰したが自分にこの仕事が合わないと思い辞めた
しばらくして、試験を受け今の仕事に就いた
事故での痛みはあったが、事故前後の記憶が無い
その記憶は蘇らないで欲しい...
Posted at 2006/08/23 02:47:46 | |
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追憶 | クルマ