
数ヶ月ぶりとなる旧車いじりには、
「走るマヨネーズ( __)/ ゴメン」とも異名をとった
いすゞ・
ピアッツァを取り上げてみたいと思います。
学生時代、このクルマが欲しくてほしくてしょーがなかったんですよ。
必死こいてバイトで貯金した約60万円の資金では、中古でも30万円ほど足りなかった、次点のTE71レビンも20万円ショート。結果、
珍車オースターを選ぶことになってしまったのですが...
あまりにも有名なクルマなので、アウトラインはサラっといっときます。というか、
実際にステアリング握ってないので、走りが語れない...
・巨匠
ジウジアーロ作のコンセプト「
アッソ・ディ・フィオーリ(クラブのエース=別にカリスマダンサーという意味ではありません、念のため)」を、当時の市販車としては驚異のレベルで再現された美しいボディをまとって’81年にデビュー。
・位置づけは、これも巨匠作・日本車史上燦然と輝く
117クーペ後継車。
・プラットフォームはFRジェミニのものを流用し、こなれた(というか、当時としてもすでに旧世代の)2リッター・4気筒・8バルブのDOHCとSOHCを搭載。サスはフロント・ダブルウイッシュボーン、リア・3リンク式リジッドアクスル。
・メーターには、高級車(レパード、ソアラ等)に大流行となったデジタル表示を採用(FL管かな?)。メーターバイザー両側にエアコン・ワイパー含む各種操作系をクラスタ上に集中配置した運転席は、まるで
航空機のコクピットのようでしった。
いっぽう、洗練されたスタイル、未来的なコクピットとは裏腹に旧式の足回りを流用したせいか、乗り心地は洗練度を欠くものだったとか。
’84年からモデル終焉の’91年までまでの間に、2L SOHCターボ(180PS)、イルムシャー仕様、ハンドリングバイロータスなどバリエーションの追加がなされました。最後期、”Lotus”仕様のサスは5リンク式に変更され、かなりしなやかな足になってたそうです。
「半目を空けた」ような独特なセミリトラクタブルのヘッドランプは、とりわけヤナセ扱いとなる
「ピアッツァ・ネロ」の4灯タイプ(写真の輸出仕様と同じ)がマジかっこよかったっす。ネロ=黒、ブラックのボディカラーが選べたのも「ネロ」だけの特権でした。
非常に残念ながら、
後継モデルはFFジェミニのプラットフォームを流用し、ジェミニのクーペというポジショニングになっていまいました。経営状況が深刻化したのは、これ以降(戦犯は2代目FFジェミニとも言われてますが)のこと。
日本の巨匠(??)中村史郎氏の手にかかったそのボディデザインは北米を意識したちょっとクドい系路線。コンセプトレベルから変わってしまって残念感を強く持った記憶だけが残っています。中村氏はこのFFピアッツァ・PAネロ(ヤナセバージョン)を起点にあの
「ヴィークロスの暴走デザイン(゚ロ゚ノ)ノ」を経て、日産に移籍されたことは有名な話しですね。
時代背景とプラットフォームの制約から、小さめで奥に引っ込んだタイヤを除けば、今でも十分通用する流麗なボディデザインだと思います。当時の
最先端空力ボディ車=アウディ100並みにフラッシュサーフェスを徹底した、グラスエリアとボディパネルの繋ぎの部分が特に秀逸だと思いませんか?(v^ー°)
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Posted at
2010/10/31 15:10:26