この写真は、
立山黒部アルペンルート、日本最高標高
区間を走るトロリーバス、
立山トンネル内の様子です。
トンネル内はバス1台片側通行幅しかないので最深部
には、すれ違い区間が設けられています。左壁に見る
黄色い標識灯は「
立山の直下」を示しています。また
難工事だった「
破砕帯」を示す青い標識灯もあります。
この
立山トンネルの「60m の
破砕帯」突破に一ヵ年を要したほどの難工事だったそうで
今では、この
破砕帯の地下水は、観光の拠点、
室堂平にも供給され、立山から滲み出た
水温2~5度の天然水は訪れる観光客に「
立山玉殿の湧水」としても親しまれています。
(閑話休題)
時は1959~63年、戦後の電力不足を解消するため数々の難工事を乗り越え延べ1000万人
もの人によって造られたのが
黒部第四発電所ダム(通称、
黒四ダム、
黒部ダム)でした。
中でも難関を極めた工事が、
後立山連峰の直下を深く貫く全長約5.4キロ、
関電トンネルの
「80m の
破砕帯」突破でした。
掘削途中半ばで遭遇した「80m の
破砕帯」は夏でもなお手が凍えるほどの大量の地下水
が噴出する軟弱地盤帯でした。掘削面が崩れたり、大量の泥水や土砂流出に苦しめられ
死を覚悟するほど前進は困難を極めたといいます。工事の遅れ、あきらめと苦悶の日々。
ようやく
破砕帯突破に成功し、
黒部ダムの建設資材運搬のためのトンネルが全貫通して
巨大ダムが完成した時の歓喜も悲しみも、筆舌を越えるものだったに違いありませんが
しかし、不屈の闘志と人間ドラマに迫る「プロジェクトⅩ」の挑戦者的美談とは裏腹に
当時の工事現場責任者(現在91歳)は、破砕帯に阻まれ工事が進まなくなった精神的な
重圧で円形脱毛症になったそうで、名もなき英雄達も、やはり一人の人間だったのです。
(閑話休題)
立山の直下を貫く
立山トンネルと、
後立山連峰の直下を貫く
関電トンネルは、日本屈指
の山岳観光ルート、
立山黒部アルペンルートの重要な移動区間をなしていて、全線地下
トンネルを走るトロリーバス(日本ではこの2路線のみ)が観光時期に運行されている
のは、ご存知の通りです。
信州側出発地、
扇沢駅をあとに、
黒部ダム区間の関電トンネルをトロリーバスでゆくと
どこまでも続く堅牢なるコンリート壁の一角に、
破砕帯を示す青い標識灯を見ることが
できます。工事歴史等を説明する車内放送に耳を傾けつつ、観光トロリーバスは
破砕帯
区間を何事もなく通り過ぎていきます。
関電トンネル左右に掘られた水抜き坑には、今でも最大毎分660リットルもの大量の地下水
がゴウゴウと流れているそうです。一般の人がそれに触れる機会はまずないでしょうが
あまりの冷たさ勢いに驚くといいいます。黒部開発の死闘を思うとき、あきらめること
をしない人間の意思の強さに圧倒されるばかりです。そして、長い長い
関電トンネルを
抜け出たあと、深く急峻な峡谷に造られた巨大な
黒部ダムを見下ろすとき、その思いは
さらに強くなります。171 名もの犠牲を出したというダム堰堤近くにある殉職者慰霊碑。
悲しくも壮大だった黒部の開発を静かに物語っています。(合掌)
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Posted at
2009/07/01 22:43:27