
往年の名車、プリンス スカイライン。
のちに日産スカイラインとなり、今日
まで、GT-R伝説とともに幾多の栄光
と苦難を歩んできたビックネームですね。
ところで、この「スカイライン」という
名の起源を先日はじめて知りました(^^;
この画像、
以前にもブログにUPしましたが、志賀高原の横手山、渋峠付近からの
草津白根山です。
え? まさか、この山が「スカイライン」のふるさと? って思いましたか?
プリンス自動車の源流は「立川飛行機」と「たま自動車」という名の会社。(へぇ~w)
中島飛行機から分離した富士精密工業と提携して、プリンスセダンを開発、1951年に
「たま自動車」(ブリジストンの石橋正二朗社長がオーナー会長だったそうで)に改称。
そこに入社したのが、あの桜井眞一郎氏。入社1ヶ月後には、プリンス自動車に改称。
ま、コロコロと社名の変わる会社だったそうな・・・
当時の先輩技術者たちは、航空機技術に関しては優れていたが、クルマに関しては
そうではなかったようです。(桜井氏の回想)
「スカイライン」の命名は、ブリジストンの石橋正二朗氏ということに表向きはなって
いるようですが・・・実は、真の名づけ親は、そう、あの桜井眞一郎氏だったという。
新生 富士精密工業 初モデルの車名は社内公募だったという。
桜井氏曰く「3月20日ごろに志賀高原の横手山に登り、その頂上から草津方面を
眺めると、見事な稜線(スカイライン)が連なっていました。あのときのスカイラインは
光り輝いていました。そこで、東京に戻って数日後、新型車の名前にスカイラインと書いて
応募したのです」 ということは・・・
こうして1957年、プリンス・スカイラインが誕生した。命名の決定者はオーナーの
石橋氏だったが、真の名づけ親は、横手山に登り草津方面を眺めた桜井氏だったことは
意外に知られていないそうです。
その桜井氏が見たという「スカイライン」は、ひょっとして、この草津白根山の稜線?
だとしたら、横手山、渋峠方面から見た‘草津白根山の稜線’が、「スカイライン」という
ビックネームのふるさとだったわけで、これには、「へぇ~へぇ~」と、トリビアもの
でございました(^^;
Posted at 2005/12/02 22:58:10 | |
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