• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

鯨海酔候のブログ一覧

2009年08月07日 イイね!

ガダルカナルでの戦闘勃発・ジェット特別攻撃機「橘花」初飛行の日

今日は8月7日。何があったのか調べたら

ガダルカナルの戦いが始まった日なんですね。

海戦に於けるミッドウェーと同様、日本軍の進撃が止まり、優勢だった状況が思い切り逆転した戦闘でした。

作戦参謀として指揮を執っていたのは辻政信

この戦いでは米軍の規模を甘く見て、兵力の逐次投入、制空権が危うい中でのお粗末な(潜水艦や駆逐艦を使った)補給。

作戦に異議を唱えた現地指揮官を更迭したり、無茶な命令を幾度も下したり、全くとほほ。何が「作戦の神様」なのか理解不能。
ノモンハン事件の時も彼が作戦参謀で。

もう、ダメダメ。牟田口廉也と同レベル。

このガダルカナル攻防戦で亡くなった将兵、その多くが餓死でした。
日本軍、兵站を軽んじる悪癖がありました。
インパールもそうですが、こんな稚拙極まりない作戦に従軍し戦死あるいは餓死した兵士達があまりに可愛そうです。

この事実を「ガ島攻略失敗」と報ぜず「ソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年8月以降、激戦敢闘克く敵戦力を撃摧しつつありが、その目的を達成せるにより、2月上旬同島を撤し、他に転進せしめられたり」との大本営発表。この辺から実際の戦局を報ぜずおかしくなっていきました。



シン・レッド・ラインという米国国内で作られた映画がありました。過去見に行ったのですが、最近の硫黄島からの手紙ほどの出来ではないですが参考までに。

話は時代ががらっと変わって安土桃山時代の太閤秀吉の明国制覇の野望による朝鮮出兵、文禄の役で加藤清正が豆満江を渡り満州に入った所まで侵攻できたのは、石田光成の緻密な兵站の計算があったからだそうです。ただこの二人、非常に仲が悪かったそうですね。

次に、日本発のロケット特殊攻撃機、橘花


ドイツから技術を購入し、何とか作って1945年8月7日初飛行一応成功なのですが、その8日後に終戦。空しいものです。

(まあ他にも秋水なんてのもありますね、こちらは迎撃戦闘機。ただ、まあどちらも殆ど朴李。)

余談ですが、遣独潜水艦作戦といって、日本からドイツに「エニグマその他技術を教えてくれ~」て目的で伊号潜水艦で東シナ海・インド洋・喜望峰回りで大西洋に出、フランス(当時はドイツに占領されてました)のロリアン軍港まで遠路はるばる行った事が4回、そのうち無事に帰還できたのは1回だけです。技術提供にはかなりな額をドイツ政府がメーカーに立替払い。ただドイツの欲しがっている錫やゴム等資源も少しでしょうけど提供したんだったかな。

この話については昔祖父から聞いたのですが、ドイツ海軍の技術者が伊号潜水艦のエンジン見て「よくこんな太鼓叩いてここまで来れましたね」と言ったそうです。勿論海軍部内での又聞きでしょうが。Uボートではエンジンと船体をマウントで支え、エンジン音・振動が低く抑えられてたのが、伊号のそれは船体に直接接合だったそうで。技術の開きは歴然だったんですね。しかしドイツ側は日本側一行に非常に丁重な歓迎をしてくれたそうです。

話がずれましてすいません。もう寝ます。

Posted at 2009/08/08 00:51:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年07月07日 イイね!

盧溝橋事件、サイパン陥落の日

今日、何と近代史で起きた2大事件の日なんですね。

先ず、盧溝橋事件


1937年の今日勃発した紛争でありその後の昭和戦争の導火線となってしまった事件です。

最初の一発を撃ったのは誰か、何処の勢力か。
諸説ありますが私的には毛沢東率いる共産党勢力だったのではないかと推察します。


次いで、1944年の今日、サイパン陥落
民間人を巻き込んだ悲劇の戦闘。
真珠湾攻撃機動部隊を率いた南雲海軍中将もここで自決してるんですね。


貴重な証言がある。以下ウィキから引用。
よくこんな証言してGHQから消されなかったなあ。

ただし、サイパンの戦いに従軍した田中徳祐(陸軍大尉・独立混成第47旅団)は以下のような米軍による残虐行為を目撃したという主張している[2]。

 ①「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台 のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。

 ②滑走路に集った老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火がつけられた。忽ち阿鼻叫喚の巷と化した 滑走路。我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。

 ③火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で 突き飛ばして火の中へ投げ入れる。二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を 持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂き にされた日本の赤ん坊とそれを見て笑ふ鬼畜の米兵士。

 ④こんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。

 ⑤マッピ岬に辿り付いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串さしにされた婦人を見た。 更に自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて倒れてゐるのを眼前に見た。  米軍の残忍非道から名誉と身を守るために「天皇陛下万歳」を奉唱してマッピ岬から太平洋に見を 躍らせた老人、婦女子や、左腕に注射針を刺し、君が代と従軍歌「砲筒の響遠ざかる・・・」を斉唱 しつつ自らの命を断った十余名の従軍看護婦達の最期を田中は見てゐる。

正に鬼畜米英!

前にも書きましたけど、アメリカが日本を軍国主義から開放してくれた、自由って素晴らしい、なんて思ってる人にこそこういう出来事を知って欲しいんですけど。

しかし戦闘が激しくなればなるほど兵士って残虐になるのはどこの国も一緒、我が国も恐らくそうだったのでしょう。ソ連は言うに及ばずイギリス、ドイツ等所謂激戦地では特にどこも似たようなことを仕出かしたのではないのでは、と推測します。

先の大戦で亡くなった方に哀悼の意を示すものです。

ああ、平和っていい。有難い。

でも「9条信者」にはなれない、ぜったい。
Posted at 2009/07/07 21:13:36 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年07月04日 イイね!

1944年の今日、インパール作戦中止

今日は疲れが溜まりに溜まっていて殆ど寝て過ごし、憂国、いや夕刻、晩飯を外に食べに行きました。久しぶりの本格的イタリアンレストラン。ピザが実に美味い事。

こういうのを「小さな幸せ」とでも言うんでしょうか。
平和な世の中があってこそ。

これが日本憎しで固まっている所謂“特ア”に占領、そうでなくとも政治をリモートコントロールされるようになっちゃうとそれどころでなくなります。

そうならないためにも、しがない平民、社会人ですが色々考えます。
教科書は歴史。
日本史と世界史をリンクさせて「流れ」を掴むと自ずと見えてくるものがあります。

ただ、これは個々で見解が色々分かれるものです。
機会があれば、そういう異論の持ち主の方のご意見も拝聴したいなあ、と思うのですがなかなかそういう場がありません。

幸い現実の友人は歴史に明るい人が多く、また価値観がほぼ同じなので、お酒飲んだりするとある意味心地いいのですが、異論を挟んでくれる人が居たりすると、更に「ああ、こういう見方もあるんだな~」と視野が広くなれるように思います。

そうそう、「歴史に学べ」」という人に限って実情や世界情勢を全然知らない人が多い気がします。

前置きが長くなりました。1944年の今日の事。

1944年 大本営が「インパール作戦」の中止を命令。日本軍10万人がほぼ全滅し撤退

もうこれ、悲惨極まれ李。作戦能力や人徳が無い、いやマイナス100と言ったほうがいいような司令官(牟田口廉也)が指揮を執り結果こんな尊い犠牲が。

こういう事を反面教師にし学ばなきゃいかんと思うのです。
Posted at 2009/07/04 22:57:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年07月02日 イイね!

1863年の今日、薩英戦争勃発

なんだか2日連続で歴史物、というか戦争物をネタにしてしまっております。

薩英戦争

英国ではアングロ=サツマ戦争と呼んでいるとは知りませんでした。

これも蒙古襲来と同じく知らない人は少ないんではないかと思います。
ただ、この大事件、そして幕末~戊辰戦争~明治維新って意外と最近なんですよね。
長い歴史の中では、幕末から今日までの間なんてほんのちょっと。

人的被害はイギリスの戦死者13名負傷者50名(なお旗艦ユーリアラス号艦長・副長も薩摩の砲撃で戦死)、薩摩の戦死者5~8名、負傷者18名程と人的損害に関しては勝利したといえるのですが、城下は長射程のアームストロング砲等の攻撃でほぼ全焼、被害甚大。ただ英国艦隊も大破一隻、中波二隻。

英国艦隊来寇に備え砲台など武備を充実させ調練に励んでいた薩摩隼人に対し、英国艦隊は荒天で操艦が上手くいかなかった事、薩摩の大砲の射程内に入ってしまった事、威圧すれば薩摩藩が屈服するとたかをくくっていた事がこの結果になったのでしょう。

しかし、局地戦とはいえ7つの海を制しているヴィクトリア王朝の英国がここまで苦戦を強いられたというのはそうないのではないでしょうか。

ただ私がぞっとするのは・・・
イギリスは薩英戦争以降、薩摩藩側の兵力を高く評価するようになりフランスに対抗する政治的理由の観点から従来の徳川幕府支持の方針を転換、薩摩藩との関わりを強めることとなる。

うーん、あぶねえあぶねえ・・・
Posted at 2009/07/02 22:23:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年07月01日 イイね!

1281年の今日、元寇終結の日

大昔の話です。
鎌倉時代中期~後期にかけて。
元寇という大事件、というか日本国始まって以来の国防戦争がありました。

相手はその版図、これまでの世界史上、世界一、強大な騎馬戦術で広大なロシアも占拠、ヨーロッパにまで攻勢をかけた国。

最初の元の来寇が文永の役、2度目が弘安の役。
今日はその弘安の役終結の日なんです。(旧暦と新暦の違いはありますが)

これ、流石に知らない人は居ないと思います。
しっかり日本史の教科書に記述されています。
で「あー元ってモンゴル帝国でしょ、それが服属を求めて国書を何度か発したけど鎌倉幕府時の執権、北条時宗が無視して、しまいには使者切ったんだよね」

ここまで知ってれば充分。しかし実は、な史実が隠されています。
上述の元寇のリンク(ウィキペディア)読んでいただければ判ると思うのですが、端的に以下に転記します。

『高麗史』及び『元史』によれば、高麗の(のちの忠烈王の)執拗な要請があり、蒙人の高官は兵力不足を懸念して南宋攻略を先にすべきと主張したが、高麗を経由する東路からの日本侵攻が決定されたとされる

大昔も今も憎いんですねえ、我が国の事が。そして宗主国様におもねる。
で、高麗兵、対馬・壱岐で暴れまわりました。
その所業はウィキにてどうぞ。

しかし、敵の敗残兵、モンゴル人と高麗人は切り捨て、南宋人は故国に返してあげたとは。
異国との戦に赴いた武士、あるいは幕府、判ってるなあ。

今も対馬を虎視眈々と狙い、不動産買収をばんばん進めています。
何で政治家さんはこの現状を何とかしないと、と思わないんですかね~
北条時宗が聞いたら烈火の如く怒りますよ。
Posted at 2009/07/01 21:57:29 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記

プロフィール

「小野田寛郎元少尉に、黙祷」
何シテル?   01/18 18:49
げいかいすいこう、と号します。1112、トヨタ プログレ NC300ウォールナットパッケージ(緑)からスバル レガシィB4(赤紫) GT Sパッケージに乗り...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/11 >>

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

リンク・クリップ

今日は何の日~毎日が記念日 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2008/12/05 22:13:01
 
篠塚建次郎(シノケンさん)応援プロジェクト 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2008/02/04 20:45:09
 

愛車一覧

スバル レガシィB4 スバル レガシィB4
初めてのスバル、水平対向エンジン搭載車。まだ一週間ほどしか乗っていませんが、今の私にはい ...
トヨタ プラッツ トヨタ プラッツ
2年ほど前に、妻が使う事が多くなり、中古をトヨタDにて購入しました。車重が軽い(1t余裕 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
今年1月17日納車、2月28日悪戯被害、3月28日ディーラーに引き取り、正に空母信濃並の ...
トヨタ コロナ トヨタ コロナ
初めて自分が乗った家のクルマ。生憎GT-TR(ツインカムターボ)モデルではなかったが、直 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation