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鯨海酔候のブログ一覧

2009年06月25日 イイね!

1950年の今日、朝鮮戦争勃発

1950年の今日、6月25日、朝鮮戦争勃発の日なんですね。
先ほど知りました。
敗戦後5年弱の日本は朝鮮特需に潤いましたが・・・・

・・・お気の毒な事。
日本が敗戦した後もあの半島では各勢力が己の正当性を主張し曲げず争い、結局米VSソ中の代理戦争の様相を呈してしまったんですね。

国内の争いに他国が介入するととんでもない悲劇となります。
日本敗戦時や、明治維新の時ともえらく違います。

いろいろ考えさせられます。
Posted at 2009/06/25 23:00:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年06月23日 イイね!

沖縄戦終結から64年・・・

先ずはこのタイトルを見てご覧頂いた方に御礼申し上げます。
こんなしんきくさい、思い起こす事も忌まわしいネタなのに。

沖縄戦終結から今日で64年です。
今、マスコミが流す当時の悲惨な状況については

・日本軍による集団自決の強要
・日本軍によるスパイ嫌疑による住民殺害

などなど、多くが私たちの祖国のかつての軍・沖縄守備隊が“身内苛め”に徹した悪の権化のような見方をすることが多いように思えます。しかもかなりの脚色・作文の結果と思しき物が多数です。

日本軍将兵として圧倒的多数の米軍相手に戦い死んでいったあまりに多くの兵士達(知覧や鹿屋から出撃した特攻隊志願兵、大和・矢矧他菊水作戦参加艦艇乗組員も含め)への黙祷の気持ちが薄過ぎるのではないでしょうか。沖縄に限った話ではありませんが。

戦争ともなると双方相手方を貶めるスローガンを掲げるもの。

日本→アメリカ「鬼畜米英」
アメリカ→日本「リメンバーパールハーバー」

実はアメリカのそれはこんなもんじゃ済まないのです。

Kill JAPS, Kill JAPS, More kill JAPS, and Make any monkey meats!

ウィリアム・ハルゼーというアメリカ海軍の猛将の口癖です。

これなんかほんの一例。
真珠湾攻撃の時は「あの黄色い連中が!」というのが多くのアメリカ人(アングロサクソンを中心とした白人)の反応だったそうです。
その他は聞いてると気分悪くなるのでもう止めます。

ちなみに。
戦争中でもないのに日本人相手に侮蔑的表現を日常的に使う人達の国が3っつあります。この3カ国の人達の我々に対する侮蔑表現を知らない人は極めてお人よし、物事に疎すぎます。

平和を保つ事が一番ですが、昨今の情勢を鑑みるに、彼らがそういう目で我々を見て、内側から崩そうと画策しているように思えてならないのです。

話がずれました。
沖縄戦に斃れた方々に黙祷、敵味方・兵士民間人問わず。


Posted at 2009/06/23 21:47:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年06月06日 イイね!

64年前の沖縄からのある電文

あー、疲れた、でも楽しかった。
半島に旅行に行ってきました。プログレに乗って。
で、疲れてるんで眠ろうかと思ったのですが、ふと気がつきました。
今日、6月6日なんだ・・・。

じゃ書かなきゃ。
3月25日、硫黄島攻防戦について書きました。
その流れからいくとこれは記さねば。

凄惨な沖縄戦については誰しも知っている事と思います。
(まあ今の若者、かつて日本がアメリカと戦火を交えた事知らない人もいるようですけど)

で、64年前の今頃、沖縄南端に追い詰められつつありました。
もはや全滅確実。残る選択肢は・・・玉砕、米軍言うところの「バンザイアタック」。


ちょっと話をずらします。
例えば。
ここまで激戦の末追い詰められたとします。
枢軸国であったイタリア軍なら、米艦隊が沖縄に来寇する時点で降伏しているでしょう。
ドイツ軍なら、持てる弾薬使い果たした上で降伏するでしょう。
当時の日本軍は違いました。
当時の日本兵には「戦陣訓」というものが叩き込まれておりました。
それ以前に、サムライDNAがまだいくばくかあったのやもしれません。

で、本題です。
一部に有名な決別電文があります。
太田実海軍中将

本物は漢字とカタカナで読みにくいので、敢えて平仮名で。

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左の電××次官に御通報方取計を得度

「沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告せらるべきも県には既に通信力なく、第32軍司令部又通信の余力なしと認められるに付緊急御通知申し上ぐ。

沖縄島に敵攻略開始以来、県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりけり。

然れども県民は清壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差支なき場所の小防空壕へ避難。風雨に晒されつつ乏しき生活に甘んじありたり。

而も若き婦人は率先、軍に身を捧げ看護、炊事婦はもとより、砲弾運び、挺身斬込隊すら申し出るものあり。

所詮、敵来なりなば老人子供は殺さるべく婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生別れ娘を軍衛門に捨つる親あり。

看護婦に至りては軍移動に際し衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助け、作戦の大転換あるや自給自足、夜の中に遙かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々と雨中を移動するあり。糧食6月一杯を支ふるのみなりと謂ふ。

沖縄県民斯く戦えり。

県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを


牛島軍司令官へ
「敵戦車群は我司令部洞窟を攻撃中。11日23時30分、玉砕す」 

日本帝國海軍少将 大田実


よく、多くの方が目にする写真は、米軍に投降し救助される子供、民間人や、集団自決とされる凄惨な場面の物が多かろうと思います。

また、「日本軍は住民をスパイ扱いし虐殺した」などという確信犯的な証言をする一部勢力もいます。

しかし。
実情は「鬼畜米英」そのもの。負傷し捕らえた日本兵を並べて戦車で轢いたり、(一説には米軍指揮官バックナー中将がジープで移動中、日本軍速射砲の攻撃で戦死した事への報復とも言われる)その他蛮行は山ほど。多分書いて読み出すと食欲無くすと思うのでもう書きませんが。

「アメリカが日本を軍国主義から開放してくれたんだ、自由って素晴らしい」

まあこう思ってる人、多いと思いますけど、GHQのウォーギルトインフォメーションプログラムにまんま脳みそやられちゃってる事、気づかないんだろうなあ。
Posted at 2009/06/06 22:40:09 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2009年04月07日 イイね!

戦艦大和の最後から64年

戦艦大和の最後から64年今日は「あの日」から64年。
私の人生が39年。
ほんのちょっと前の事なんですよね、先の大戦。

戦艦大和

これほどまでに第二次大戦時の日本の艦船で有名な、そして日本人の魂をゆさぶるフネは他にはなかろう。その名前は永久欠番なのではないだろうか。兄弟艦、武蔵と共に。

1941年12月、真珠湾攻撃の直後に竣工。
その後は前線に出撃する機会もなく、トラック泊地では、海軍の高官が座上するので「大和ホテル」などと揶揄されたりもしていた。

その後レイテ島沖海戦に出撃するもアメリカの戦艦と砲撃戦を交える事もないまま、つまりあの巨弾、46サンチ砲を敵艦に見舞い、轟沈させる機会など殆ど無かった。
サマール沖海戦では偶然遭遇した米艦隊を攻撃、護衛空母か駆逐艦を轟沈させたという記録があるにはあるが、定かではないだろう。大和一隻で攻撃していた訳ではないし。

そして菊水作戦、沖縄水上特攻。
何と無謀な。
当時の海軍はもはや敗戦を確信していた、しかし終戦後連合国に接収されるのがいたたまれなかったのだろう。
この作戦の将、伊藤整一中将も頑なに拒否したそうだ、こんな無謀な作戦があるか、と。
しかし軍令部の「要するに一億総特攻の魁となってもらいたいのです」との言葉に折れたそうだ。

大和乗組員の3000人強が犠牲に。(他にも軽巡洋艦や駆逐艦が沈められている)

私に言わせれば降伏直前に自沈させればよかったのに、と思う。
しかし、菊水作戦での壮絶な最後ゆえ、ここまで語り継がれる戦艦になったのだろう。

世界最大最強の戦艦、大和。
確かに最大だ。総排水量などミズーリに較べてもはるかに大きい。
しかし最強かどうかは・・・
46サンチ砲が数弾命中すれば敵がミズーリでもひとたまりも無かっただろう。
しかしアウトレンジからの砲撃で命中弾を与えるのは難しい。
そうこうしているうちに、敵の砲撃圏内に入れば沈められるのは大和の方ではなかっただろうか。
米軍戦艦の射撃システムはレーダー照準。一方大和は測距儀(母方の祖父(大和建造に携わった)から聞いた話だが大日本光学の製品だったそう、今のニコンです)。極めて不利である。

まあ戦艦対戦艦なんていう一騎打ちみたいな海戦はもはや無かった筈。
機動部隊が海戦の帰趨を制するのは真珠湾、マレー沖で実証したのが日本。
それを逆にしてやられたのがミッドウェー、マリアナ。

あ、実際、航空母艦を最初に建造したのも日本(鳳翔 がそう。)
空母ウリナラ起源ではないのです。

時代遅れだったのだろう、大艦巨砲主義は。
しかし、それでも大和は私にとって特別な存在だ。

兵器というのは使わないに越した事はない。
だが、人の命更に国の命運が罹っている訳で、極限の設計がなされている。
大和、何とかくも力強く美しい艦なんだろう。
当時の日本の兵器には美しいものが多い気がする。
四式戦闘機疾風なんかもそう感じる。

最後に「男たちの大和」のシーンを。
乗組員達も1945年の桜を万感の思いで眺めながら出撃したのだろう。切ない。








Posted at 2009/04/07 21:41:08 | コメント(4) | トラックバック(1) | 歴史ネタ | 日記
2009年03月25日 イイね!

硫黄島攻防戦終結から64年

二日連続で家に帰ってパソコン開きました。
何とか持ちこたえてます。

持ちこたえる、といえば・・・
嗚呼、硫黄島攻防戦終結から早や64年なんです、今日。正確には明日26日かな。

【父親たちの星条旗】


【硫黄島からの手紙】


黙祷・・・

栗林忠道、市丸利之助、バロン西。
何と貴重な人材を、そして多くの犠牲者を出してしまったものか。
あの戦争全体がそうでしたが。
もっともそれは当時敵であった米国もそうですが。

しかし。
米国が5日間で陥落させられると見切っていたものを、36日間も守り抜いた事は語り継ぐべきかと。制海権制空権を完全に握られ、多勢に無勢としか言いようのない状況下で。

歴史教科書では硫黄島(いおうとう、です、ほんとは。カミカゼも元来しんぷうだった筈)なんてこれっぽっちも触れてなかったものなあ。

で、クリント・イーストウッドの作った上の2作品、ほんとよく描いていると思う。(細部の台詞では「こうは当時言わなかっただろ?」と思うが)

栗林忠道演じた渡辺謙に言わせると「これ(硫黄島からの手紙)こそ、日本人の手で作らねばならない映画だったのではないか、と思う」と。ほんと同感。

西竹一(バロン西)を演じた伊原剛志、実は在日2世か3世、で、日本に帰化した方なんですよね。こうして立派に帝国陸軍軍人を演じているのを見ると、そして数年前の大河「新選組!」で幕府見廻組の佐々木只三郎を演じているのを見ると、「おぉ、並みの日本人より魂は日本人のそれだ!」と感心することしきり。

軍人役といえば中村獅童、この人も凄い。(この映画では結末はとほほだったが)。小野田少尉を演じたり、男たちの大和でも好演していた。レッドクリフでもそう。

いずれにしても。
亡くなった方々、今のこの国の体たらくをどんな思いで見ておいでなのだろう。

話はずれますが。
栗林忠道、我が理想の上司。
上司として勘弁してほしいのは・・・
牟田口廉也。
Posted at 2009/03/25 21:53:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記

プロフィール

「小野田寛郎元少尉に、黙祷」
何シテル?   01/18 18:49
げいかいすいこう、と号します。1112、トヨタ プログレ NC300ウォールナットパッケージ(緑)からスバル レガシィB4(赤紫) GT Sパッケージに乗り...
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