• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

鯨海酔候のブログ一覧

2008年12月24日 イイね!

阿川弘之さんの誕生日なんですね

今日は、作家・阿川弘之さんの誕生日なんですね。
司馬遼太郎半藤一利吉田満と一緒で私が好きな作家のうちのお一人。

御年88歳。
長生きして頂きたい方。
しかし恥ずかしながらまだ彼の本を読んだ事無いんです。
私的には興味ありありな分野なんで、いずれ読んでみたいです。

大江健三郎と犬猿の仲との事。
うーん納得。
馬が合うわけないよな~
無論私が支持するのは阿川さん。
大江は半島か大陸にでも亡命すればいいのに。この国がそんなにお嫌いなら。

あ。
福島みずほも誕生日か~残念!

追記
鈴木貫太郎の誕生日でもあるんですね。


Posted at 2008/12/24 21:46:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2008年12月14日 イイね!

大河ドラマ「篤姫」が終わりました、坂の上の雲は?

先刻まで大河ドラマ「篤姫」最終回が終わりました。
あーよかった。
やっぱ幕末モノはいいわ~
新選組!は三谷幸喜の作品でだんとつに面白く思いいれもあります。
「尽忠報国の士、天晴れ也!」が今も忘れられない。

そう、篤姫。
まあ史実から結構脚色されている感は否めなかったが、素直に面白かった。
幕末の人達はほんと真剣に生きていたんだな~と率直に感心する。

ただ、気になった点が2点。

①最後の将軍、徳川慶喜が不当に悪い情けない奴に描かれていた。確かに一軍の将としては江戸に逃げ帰ったのは如何かだが、一国の政治指導者としては引き際をよく弁えて英断を下し、英明で大局を見る目があったと思う。

②薩英戦争、一方的に薩摩が負けたように描かれていたがあれは間違いかと。人的損害はイギリス艦隊の方が多く、薩摩藩は善戦したはず。市内焼け野原にはなってしまったけど。

ま、それは置いといて、島津斉彬はやはり私が尊敬する人物だ。
富国強兵、殖産興業という言葉は彼が幕府への建白書にしたためた文言。

今の世にも通じると思う。これを忘れると国は危うくなる。行き過ぎてもまずいが。

来年は直江兼続ですね~まあこれも期待してみたい。

にしても、超・大河的ドラマといってもいい「坂の上の雲」どうなちゃったんだろう、NHKさん実現してください。どっかの半島人にとっちゃ面白くない話だからと変に遠慮して止めたら駄目ですぞ~

あ、今日は赤穂浪士討ち入りの日なんですね~忠義はいいがやっぱ幕末か戦国。
一番大河に向かない時代は平安時代かな~

Posted at 2008/12/14 21:46:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2008年12月09日 イイね!

元英大尉「恩人」の墓訪問

昨日の読売夕刊の記事が目に留まったので以下に紹介します。

昭和戦争中、現インドネシア、ジャワ島のスラバヤ沖海戦で乗艦が撃沈されて漂流中、日本海軍の駆逐艦「雷(いかずち)」に救われた元英国海軍大尉サムエル・フォールさん(89)が、7日、埼玉県川口市にある「雷」艦長だった工藤俊作・元海軍中佐の墓を訪れ、66年ぶり“再会”を果たした-写真-

1942年3月、フォールさんらが乗った英軍艦「エンカウンター」など2隻は攻撃を受けて沈み、乗員のうち422人が24時間以上も油まみれの海で漂流した。近くを通りかかった工藤さん率いる「雷」が漂流者たちを救助。雷の乗組員は、重油まみれのフォールさんらの体をふき、衣服や温かい食事も与えた。

フォールさんは帰国後、自らの体験を英国内で紹介し、知人を通じて工藤さんの消息を捜した。2003年には自ら来日。しかし、工藤さん自信が周囲に話さなかったこともあり、行方が分からないままだった。

以下省略。

とやかく、「日中戦争、太平洋戦争の日本軍は残虐だった」と喧伝する勢力がいる。そりゃ戦争だもの、残虐じゃない戦闘なんてある分けない。しかしだ。こんな話もあったりする。

他にも美談は実はいろいろあろうが、そこは「負ければ賊軍」てことで封印されてしまい、残虐だった面だけやけに強調される。

そもそも残虐でない戦争などあろうはずがない。
そんな中での美談を忘れてはならないと思う。
まだ当時の日本人には武士道精神が残っていたんであろう。

昨日に続きこの手の話題で、興味の無い人も多かろうが敢えて書いた次第です。

にしても、アサヒじゃこんな話、絶対記事にしないだろうな。
Posted at 2008/12/09 20:36:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記
2008年12月08日 イイね!

真珠湾攻撃から67年~祖父の一言



67年前の本八日の払暁、アメリカ領ハワイ・オアフ島の一大軍事拠点、真珠湾を往時の帝國海軍機動部隊が奇襲攻撃を敢行し絶大な戦果(結果的には“戦禍”)を挙げました。

何とか日米開戦は避けられなかったのかな~たまに思ったりするのですが、もう67年前の歴史的事実は覆りません。

宣戦布告が戦闘開始より1時間30分くらい遅れたので、“卑劣な奇襲攻撃”とアメリカでは喧伝されてしまいましたが、仮に戦闘開始直前に通告しても結局同様だったでしょう。恐らく。でも今も昔も我が国の外務省は・・・駄目だな~しっかりして下さい!

安易な省庁批判はマスコミとそれに洗脳されちゃった人の専売特許と思っている、しかしここは自分も厳しく見ざるを得ない。

話が逸れた。

しかし当時の日本人の多くが溜飲を下げ、世界を驚愕せしめたのもまた事実。
そして当時の日本海軍機動部隊は世界最強の戦闘部隊であったであろう。較べるのはステージが違うし無理があるが、ナチスドイツ機甲部隊よりも評価に値する戦闘部隊であったろう。
機動部隊ではなかったかも、だが、マレー沖海戦でも英国の作戦航行中の戦艦プリンスオブウェールズ、レパルスをいとも簡単に沈めてしまったし。(正確には急降下爆撃と水平爆撃の違いもある)少なくともミッドウェー海戦までは。


我が父方、母方の両祖父は海軍軍人だったが、今回は父方の祖父の話。

祖父は戦争の始まる直前の頃、アメリカに派遣されていたそうだ。
ある任務を帯びて。
ハワイや米国本土の軍港の規模を調べ上げろと。
で、書き物、写真は一切残すな、「目」で見て幅や深さを正確に把握し「脳」に刻み込め、と指令を受けていたそうだ。

で、あちらでの活動の際、やはり日本の駐在武官が行くという事で、とにかくFBIに尾行された、州境では彼らが引き継いでくるのがよ~く見て取れて面白かったそうである。

で、祖父が67年前の今日、ぼそっと「日本は負ける」と言ったそうだ。祖母が「何で反対しなかったのですか!?」問いただすと「それを主張したら今頃自分は殺されている」と言ったとの話を聞いた。

正に海軍三羽烏(山本五十六・米内光正・井上成美)と同じ意見だったのだ。
そんな祖父は空母「赤城」(まさに真珠湾攻撃の旗艦だったかな?)の対空砲火にある「細工」をして、それが評価され陛下から賜った、所謂「恩賜の短剣」と「感状」を頂いたそうだ。

話が逸れたが、歴史を振り返るのはやはり人として持っておきたい思考かと思う。


追記
歴史街道という月刊誌の雑誌があって先週末発売された。
http://www.php.co.jp/magazine/rekishikaido/

総力特集 真珠湾攻撃 日本人を立ち上がらせたもの

冒頭でいつも漫画家、黒鉄ヒロシ氏が短いエッセイを記しているのだが、今回のが恐ろしく秀逸だったので、以下に転記する。

歴史ランドジャズが止まる時

面白い、あるいは遊びとしての歴史がある。
一方、学問的と云うのか。
客観的な記述としての歴史がある。
後者は、確立するまでに時間がかかるようである。
時の経過を味方にしなければ手に入らない情報の不足と、
ともすれば当事者達は主観が流れ易いから、
その意見が現実ではあっても
事実ではない憾みがある。
出来事の湿気が蒸発して熱が下がって、
やっと歴史となる資格を獲得する。
真珠湾攻撃はどうであろう。
昭和二十年代を子供の身分で過ごした体験では、
小、中、高、大と、腫れ物の如き扱いであった。
他方、遊びの範疇に含まれるべき情報は、
体験者達の談話、小説、映像その他は、身辺に満ちた。
約六十年を経過した今、
前航空幕僚長の論文が問題となっている。
論文の中身について述べる紙幅はないが、
随分と面白い内容であった。
前航空幕僚長にして、あの論文である。
タブーに属しながらエンターテイントメントの成分を
栄養として今日まで来た真珠湾攻撃を、
そろそろ歴史として眺める時期が来たのではなかろうか。

この記事は、布哇海戦(真珠湾攻撃;Attack on Pearl Harbor)から67年 について書いています。
Posted at 2008/12/08 18:44:16 | コメント(3) | トラックバック(1) | 歴史ネタ | 日記
2008年11月21日 イイね!

我が前世、そして大河 新選組!の場面

私、結構前ですが、非常にリアルな夢見ました。

多分江戸時代中~後期頃のかな、40才前後の武士なんですが、丁度切腹するんですよ。

自分が切腹するんです。あ~夢とはいえ嫌だな~
背景は、何か濡れ衣着せられて凄く悔しい思いをしながら追い込まれて切腹。
脂汗が出まくり動悸がしてしょうがなかった。

夢にしては嫌にリアルすぎた。
刀を腹に付き立てたところでガバッと飛び起きた、そんな状態だった。あの瞬間介錯されたんだろう。

そんな訳で前世ってのがあるのなら、自分の前世は江戸時代の武士だったのでは、と思っている。

実際「君はサムライっぽいね~」とたま~に言われる事がある。何がそう感じさせるか自分ではよく解らない。別に剣道や居合道やってた訳じゃない。

話はそれるが、機会があるなら天然理心流に入門したい。4年前の大河ドラマ 新選組!好きとしては。
そんなのあったけ?って方がおられては、と思い以下にメインテーマの演奏動画を添付します。この曲、聞いたことはあるのではないでしょうか?



新選組!の前半で芹澤鴨が桜田門外の変で死んだ水戸藩士に、最終回で原田左之助が斬首される直前の近藤勇に「尽忠報国之士、天晴也!」と叫ぶシーンが忘れられない。

私も「尽忠報国の士」でありたい。単なるクルマ好きな一会社員では終われない。
話が逸れた。

だからという訳じゃないが、薩摩の郷中教育、会津の什の教え等、武士道精神はこの国の教育に生かすべきだと思う。日教組は去るべし。半島にでも。

別に武士であろうが農工商であろうが、昔の日本人には「道」が貫かれていたのだと思う。昔の人達、精神文化に学ぶべき時なのだと思う。

「道」と言ったが例外はやはりある。
あの半島の何かが、「武士道は元々韓国のもの」だったとか言っていたが、どういう精神構造がそんな事言わせるのだろう?
「外道」は鮮人のはじまりニダ。残念!
Posted at 2008/11/21 21:29:08 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史ネタ | 日記

プロフィール

「小野田寛郎元少尉に、黙祷」
何シテル?   01/18 18:49
げいかいすいこう、と号します。1112、トヨタ プログレ NC300ウォールナットパッケージ(緑)からスバル レガシィB4(赤紫) GT Sパッケージに乗り...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/11 >>

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

リンク・クリップ

今日は何の日~毎日が記念日 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2008/12/05 22:13:01
 
篠塚建次郎(シノケンさん)応援プロジェクト 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2008/02/04 20:45:09
 

愛車一覧

スバル レガシィB4 スバル レガシィB4
初めてのスバル、水平対向エンジン搭載車。まだ一週間ほどしか乗っていませんが、今の私にはい ...
トヨタ プラッツ トヨタ プラッツ
2年ほど前に、妻が使う事が多くなり、中古をトヨタDにて購入しました。車重が軽い(1t余裕 ...
トヨタ プログレ トヨタ プログレ
今年1月17日納車、2月28日悪戯被害、3月28日ディーラーに引き取り、正に空母信濃並の ...
トヨタ コロナ トヨタ コロナ
初めて自分が乗った家のクルマ。生憎GT-TR(ツインカムターボ)モデルではなかったが、直 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation