
「
ライドバック」っていうSFアニメを見ました。特殊なバイクが、重要な役割を担っている物語で、クルマ好きな自分の心をビリビリ刺激するものがあり、20分×12話を一気に見終わっちゃいました。
舞台の背景は、近未来の日本、新世界秩序のもと、国連に成り代わったGGPという組織が、日本を軍事支配している状態。そんな中、天才バレリーナだった主人公が、怪我で道を閉ざされて、大学に入るも、そこで、「ライドバック」という、人型2輪バイクロボットと出会い、それをきっかけにして、対GGP抵抗運動に深く関わっていくことになるというものです。
いろんなメッセージが含まれていますが、自分が気に入ったのは、「人にはそれぞれ舞台が用意されている。それを見出し自ら手を動かせば、自分の世界も変わるし、外の世界も変わっていく」、という前向きなものでした。
初めて「ライドバック」を乗りこなした時の主人公の恍惚とした表情や、60年代安保闘争を思わせる反体制運動の中で、次第に闘いに魅入られていく、心の動きの描写が印象的です。ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」の「キエフの大門」(ピアノ版)が主要モチーフとして、いろんな所で効果的に使われていて、品位と美的な感じを与えています。
バイクが自由の象徴として使われてますが、自分もクルマに乗ると、いろんな束縛から逃れて、束の間の自由を掴んだような気になるので、共感するものがありました。
同じように、バイクが使われている映像作品というと、やはり、アメリカ映画の「イージー・ライダー」を思い出してしまいます。
映画の中で、下のようなセリフがあって、印象に残っています。
「アメリカ人は個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由な奴を見るのは怖い」
「彼らは、君ら(ライダー)が象徴している自由を恐れている」
「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ」
完全な自由なんてあり得ないから、「自由」の意味は人の数だけありそうです。その各々が線引きをしている自由の線を越えた奴は、秩序を乱す悪い奴です。本当はうらやましい。けれど、自分の惨めさを認識させられてしまう。自分の才能だけで上にのし上がるとか、アメリカンドリームなんて、本当はウソだと分かっているから。
それゆえ、憲法で所持する権利を保障されている銃で、自分が信じるところの自由を守ることになる。
自由と民主主義、空しい言葉ですが、これを錦の御旗にして、国が、他国の政権を転覆させ、支配する。こうなるともう笑えませんね…。
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クルマに関わる話 | 日記
Posted at
2012/08/10 14:38:47