2013年11月03日
超短編「満願」から太宰治の巧みさを探る
「満願」は3頁にも満たない1500文字程度の作品で、太宰治の中でも最も短い小説かもしれません。今はネットでも読めるので、お時間があったら、覗いてみて下さい。
( 「太宰治 満願」で検索 )
さて、それでは太宰治作品の魅力について、「満願」をベースにして自分なりに書いてみたいと思います。
(1)言葉のリズムがいい
これは太宰治についてよく指摘される所ですが、文章のリズムが良く読みやすいです。短文を重ねていったり、長文でも淀みなくすうっと頭に入ってくるような絶妙な文の作りが特徴です。例えば、「満願」では、こんな具合です。
「裏口からまわって、座敷の縁側に腰をかけ、奥さんの持って来る冷い麦茶を飲みながら、風に吹かれてぱらぱら騒ぐ新聞を片手でしっかり押えつけて読むのであるが、縁側から二間と離れていない、青草原のあいだを水量たっぷりの小川がゆるゆる流れていて、その小川に沿った細い道を自転車で通る牛乳配達の青年が、毎朝きまって、おはようございます、と旅の私に挨拶した。」
文の構成、適切な句読点により、長いですけれど読みやすいです。
(2)自虐性
太宰治の場合、自分を卑下したり、みっともない事をわざわざ書いたりしています。「満願」でも酔っ払って自転車を運転してケガをしてしまう所が冒頭に書かれています。この自虐性はある種の親しみの感じと、同情心、そして実際は怪しいですが、正直さを感じさせます。そのためそれから始まる文章全体に対する信頼性も増すように思えます。
(3)心の内を描いて深みを出す
こんな短編でも、太宰治は自分の心情をしっかりと描いています。冒頭で医者と大笑いする場面がありますが、それは双方とも酔っ払った上での事です。やはり普段の太宰は、うっとうしい胸のうちを持っているのです。「それでもお医者の善玉悪玉の説を聞くと、うっとうしい胸のうちが、一味爽涼を覚えるのだ。」という文から、もし世の中が単純な善悪2元論で割り切れるのだったら、いかに良いかという太宰治の思いが伺えます。
(4)私小説的なリアリティ感の演出
(a)時期
「満願」のストーリーのヒントになるような事は実際にあったのかもしれません。でも事実そのままでは無くフィクションとして作っているはずで、リアリティ感を増す工夫が随所に見えます。
例えば冒頭の「いまから、四年まえの話である。~ロマネスクという小説を書いていたころの話である。」と書いてある部分です。
(b)登場人物
「私」が出遭ったお医者さん夫婦、もしこの2人だけしか登場していなかったら、まるで理想的な夢のような話になってしまうので、リアリティ感を増すために、「奥さんの弟で沼津の商業学校にかよっているおとなしい少年がひとり、二階にいた。」という、話にかかわらない一文をわざわざ付け加えています。
(c)理由付け
いくら仲が良いとは言っても、「私」が毎朝、医者の家に立ち寄るには理由が必要です。そのため、「五種類の新聞をとっていたので」という理由を付け加えています。
(d)強調
立ち寄るのが朝であるということをイメージで強調するために、「牛乳配達の青年が、毎朝きまって、おはようございます、と旅の私に挨拶した。」という一文があります。
(5)巧みな表現力
(a)オノマトペの多用
太宰治の作品にはオノマトペが多いように思います。「満願」でも、「クスクス」、「ぱらぱら」、「ぐんぐん」、「さっさと」、「くるくるっと」、「ゆるゆる」などの言葉を使って、イメージがわき易い文章にしています。
(b)イメージしやすい描写力
作者が見た美しいものですが、こんな風に描写されています。
「八月のおわり、私は美しいものを見た。~ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。」
これ、目の前にイメージがはっきり浮かぶようで、爽快感がこちらにまで伝わってきます。ここだけ現在進行形のような文章になっているのが理由のひとつで、巧みだと思います。
(6)劇的構成
(a)暗い時代背景を想わせる序盤
「満願」を読んで巧みだと思うのが、短編にも関わらずドラマティックな展開を感じることです。まず、太平洋戦争前夜から4年前の1934年の話であり、既に日中戦争の泥沼にはまりかけていた頃である事が分かります。「若い女のひと」が、「簡単服に下駄」といういでたちであるとも書いています。また、「うっとうしい胸のうち」という文もあります。これらから、暗く鬱屈した時代だという感じが伝わってきます。
(b)鮮やかな場面転換
前半はちょっと鬱屈した感じですが、それが、「八月のおわり、私は美しいものを見た。」という一文で、雰囲気ががらりと変わり、鮮やかな場面転換をしています。
(c)美しさの強調
作者が見た美しいものは、「年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。」という文でさらに強調されます。冒頭の「4年前」、そして戦争前夜という背景の伏線が生きて、際立つ美しさを感じさせます。
(7)ちゃぶ台返し
太宰治は、それまでの話をひっくり返すようなオチをつける事があります。「満願」でも最後に、「あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない」という文で終わっています。
これは夫婦生活を許すように奥さんが夫の医者にお願いした、というのが普通の解釈ですが、それまでの物語を全部、奥さんのさしがねにしかねない力があります。つまり毎朝通うように「私」に勧め、女の人の事を話し、この物語の目撃者となるようにしたのは、すべて奥さんのさしがねであったかもしれないという暗示になってます。
これは太宰治流の照れ隠しであるように思えます。「走れメロス」の最後にも似たようなちゃぶ台返しのオチがあります。(なんと、最近の教科書では、このオチを削ったものがあるそうです。)
でもそれらのちゃぶ台返しや、自虐性にある、過度の謙遜や自己卑下は、太宰治の強烈なプライドの高さの裏返しでもあるように思います。
以上、1500字ちょっとの小説の解説に、3000字弱も費やしてしまいました。素人解釈、ご容赦ください。
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Posted at
2013/11/03 11:20:02
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