2014年09月26日
一風変わった太宰治の「トカトントン」
太宰治の作品で「トカトントン」という奇妙な題材を扱った短編があります。戦後すぐに書かれたもので、全体的に暗く少し不気味な感じのする作品です。ただ比較的短い作品で、太宰治らしさが表れているので採り上げてみたいと思います。
太宰治があるとき、読者から奇妙な手紙を受け取ります。特にどうという才能もない郵便局に勤める青年が、何か新しいことをやろうと思い立つと、決まって「トカトントン」という金槌で釘を打つ音に似た不思議な幻聴が聞こえ、それまでの意欲がスーッと消えてしまい、何もやる気になれない、困っているという手紙です。
この青年の症状は今でいう、統合失調症(精神分裂病)のようにみえます。だんだんと意欲が無くなり廃人へと向かう破瓜型のようですが、幻聴もあります。
この短編を書くにあたっては、実際に読者から簡潔な手紙を受け取り、それを膨らまして太宰治がこの短編を作り上げていったように感じます。
手紙の内容を紹介したあと、この話は太宰治のこんなアドバイスで終わります。
「気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです」
一見的外れに思えるアドバイスですが、これは狙ってこのようなアドバイスにしたのです。
「あなたは心の病気ですね、病院に行って下さい」で終わらせてしまっては、小説になりません。ですのであえて、人生におけるもっとも大事な面に向き合えない人の、勇気の問題として、回答を書いているのです。理想主義の太宰の気持ちが伝わってきます。こうして、精神病にかかった一人の青年の奇妙な物語ではなく、敗戦によって空虚な気分を抱いていた一般の人々向けの物語へと転換させているわけです。
この太宰の言葉は、こんな意味合いでしょうか。「人生に真面目に向き合えないディレッタント気取りの怠け者さん、そのような事で、もっともらしく大仰に悩むべきではない、もっと高い視点で悩むがよい。そしてそれは勇気の問題である。さすればその悩みは思想にもなり得るだろう」
この最後のメッセージに至るまで、「読者」の悩みが生々しくつづられているのですが、それがまた巧みです。「読者」はある女性に恋をするのですが、この恋愛も「トカトントン」という音で、一瞬にして消え去ります。そして、「読者」の手紙は、こんなどんでん返しで終わります。
「なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです」
こうして「読者」の数々の悩みのほとんどは、太宰治のフィクションであった事を間接的に告白しているわけです。
太宰治は臆病者でウソツキかもしれませんが、同時にバカ正直なところもありました。だから小説の最後で、わざわざ自分を貶めるようなことを、たびたび繰り返しています。世渡りは上手くはない人だったのです。「勇気をもて」という最後のアドバイスは、己に向けたメッセージでもあったのでしょう。
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Posted at
2014/09/26 10:54:35
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