
先だって放送されたトップ・ギアで、ジェレミー・クラークソンが、昔と今(2004年)のスーパーカーの乗り比べをしていました。昔のクルマとして、マクラーレンF1、フェラーリF40と、ジャガーXJ220、そして今のクルマとして、ポルシェ・カレラGT、エンツォ・フェラーリ、パガーニゾンダが登場していました。
ジェレミーは、現代のクルマは、子供達に明るく健康な未来を約束するという(偽善的な)CMやスピーチのようだと述べています。
そして本来のスーパーカーの目的は、アーサー・スカーギル(イギリスの労働運動家)を轢くことであり、貧者を殺し、地を汚染し、オゾン層を破壊し、野生動物を絶滅させ、第三世界を不毛の砂漠にすることであると続けます。
過激ですが、本質を捉えた発言だと思います。スーパーカーは、貧者や第三世界の人々の搾取の上になりたった工業製品の頂点に立つ最たるもののひとつなんでしょうね。
マクラーレンF1に乗りながら、ジェレミーは言います、「核ミサイルにまたがるような感覚、コントロールできない(と感じるほどのパワー)、もうすぐで悲惨な結末を迎えそうだ」と。
人間は悲惨な状況下での感情に打ちのめされますが、あまりにも濃密な快感にも耐えられないように思います。しかし死ぬことが分かっていても、ドーピングされた快感を求めてしまうことがあります。
そのためのひとつの手段として、ある種のスポーツカーがあります。電子制御による安全装備もなく、ひたすらシャシーを上回るようなパワーを感じさせるクルマ、このままだと死ぬかもしれないけど、アクセルを踏み続けてしまうクルマ。メフィストフェレスに魂を売って背徳的な快楽を手に入れるようなものです。
そのうちスポーツカーもハイブリッドが主流になり、ターボは無くなってしまうかもしれません。数値上は確かにハイブリッドスポーツカーのほうが、加速も最高速も上回るのでしょうが、どっかんターボのような人間の感覚がついていけないような加速感のクルマは最早、出てこないでしょう。
ガソリンエンジン自体も無くなっていくのでしょう。引火性の高い危険なガソリンを燃料として使い、その爆発力を使ってクルマを駆るという、暴力的で効率の悪い内燃機関も、モーターなどの他の動力装置にいずれ置き換わっていくのかもしれません。
電子制御や自動運転装置のおかげで、新幹線のようにひたすら安全で速いクルマにはなりますが、むき出しの暴力性を失ったスポーツカーは、ひとつの可能性ですが、ただ単にファッションとステータスを表すアクセサリーとなっていくのかもしれません。(^^;
Posted at 2013/12/21 11:25:44 | |
トラックバック(0) |
クルマに関わる話 | 日記