
この間、BS日テレの、ベストモーターTVを見ていたら、日産の開発の方が、こんな事を語っておられました。
「思った通りに動いてくれるクルマが自分の理想で、クルマの癖を、『これが味だ』と言って楽しんで乗るのは、クルマが御主人様で、ドライバーが使用人になっている状態だ。」とのことでした。
確かに、クルマをA地点からB地点まで、安全に手軽に早く到達する道具としてみれば、その通りです。ニュルのラップタイムを縮めるためにも、そうあるべきなんでしょう。
でも趣味の対象としてクルマを見れば、その人が良いと認める価値は人それぞれ違ってくるはずです。また、先のように、速く移動する道具と捉えたとしても、違った見方ができるのではないかと思います。以下に述べます。
仮に、クルマをインターフェースとして捉えると、人はそれを通して、世界と繋がっているわけです。そして、「思ったとおりに動く」ための究極の姿は、インターフェースの存在を、可能な限り、意識させないものとなるはずです。具体的に言うと、手足はほぼ使わずに、脳とクルマが直結していて、イメージした通りに即座に動いてくれて、感覚情報はまるで、ほぼ360度の視界が開けているようなものです。(エヴァみたいですね。)
これが究極の、「乗り味」を排除したクルマのあり方かもしれません。でもインターフェースそのものを、独特の乗り味として楽しむ人は当然います。そんな人には物足りないでしょう。昔、アメリカの開拓時代では、馬は移動するための道具として使い捨ての存在で、死ぬまでこき使われたそうです。しかしクルマが登場した事によって、馬をスポーツとして楽しめるようになりました。当然、クルマもスポーツとして楽しめます。
また、ラップタイムを至上とするとしても、それに秀でたクルマは、インターフェースを通じたフィードバックも正確に行われているのではないかと思います。すなわち、路面情報やクルマの動きが、クルマを通して常に正確にドライバーへ伝わり、的確に操作することによって、常に自分の予想した通りに動くという具合です。たとえ、そのインターフェースに癖があったとしても、それがいつも同じ状況で同じように発生するのであれば、構わないような気がします。たぶん(^^;)
リアエンジンレイアウトは、確かに理想ではないかもしれないし、911特有の癖もあるでしょう。でも日産車にも何かしらの味はあると思います。共通しているのは、どちらも正確な情報をドライバーに伝えて、的確な操作をすれば、イメージどおりに動いてくれるということではないかと思います。(^^)
すみません、偉そうなことを申しました。一素人の妄言です。m(_ _;)m
Posted at 2012/12/25 12:10:23 | |
トラックバック(0) |
クルマに関わる話 | 日記