2019年02月26日
山城の國(京都)と伊賀の國(三重)との県境
こんなに、はっきりクッキリとした縄張りも珍しい!
二本杭と言い、徳川幕府のお役人が出張って
境界線を決めたようです。
以前は、木柱が背中合わせに建っていたそうです
大和街道は狭小路過ぎて車の全景が撮れない(汗
関所跡も在りましたが伊賀領内なのに大和街道とは?
深く考えずに伊賀市へ…
昼ご飯は、言わずと知れた「山菜そば&かやくオニギリ」
市内では来月3日までの
伊賀上野 城下町のおひなさん を
昨年に引き続き、懲りずに見物(^^)v
帰る途中で、月ヶ瀬梅渓に立ち寄るも
発表通り「5分咲き」
しかしながら
暖冬と春の訪れが早いのか、今年の季節は前倒しのようですね!
おひなさんは、こちら
梅まつりは、こちら
そう言えば
2月22日は、忍々の日。
そのニンニンの日に伊賀鉄道は、駅名を変えとりましたが…
おちょくって、いるのか…大まじめなのか…
おもろい街やなぁ(^0_0^)
Posted at 2019/02/26 20:51:44 | |
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秋づき 「温故知新」 | 旅行/地域
2019年02月14日
大坂城 残念石(ざんねんいし)
1620年 津藩主 藤堂高虎が、京都は加茂町の
大野山より花崗岩を切り出し
大坂城石垣修築に携わり
赤田川から木津川、淀川を筏で運搬し
城壁の為に活用された石ですが…
400年経った現在も
河原に、ほったらかし に、されとります。
切り出し過ぎて、余ったのか?
予備の為にストックしたのか?
はたまた、
筏に積む際、落水させて
落下石は落城に繋がり、縁起が悪いので放置したのか?
考えれば可哀そうな石ですね!
今や、木津川河口に有るので
土砂堆積の要因となり
保存か、撤去か
本当に可哀そうな奴らでした。
全国にも同様の残念石が散在しているそうですが
残念無念な面持ちかな^^;
帰り際、目についた石柱
最近は、どうも道標に
喰い付いてしまう(笑
Posted at 2019/02/14 14:18:23 | |
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秋づき 「温故知新」 | 旅行/地域
2019年02月08日
大阪でも、ついに出てきましたか
希望ナンバー制に対応したものかな
これは?
さんじゅうケィ なのか?
さんびゃくケィ なのか?
ふと、
前方走行中のプレートが視野に入り
何か変だなと信号待ちで見てみると
ケーーーーーーー!?(・o・)
クルマもプレートも、真新しい。
調べてみたら
A C F H K L M P X Y
が、今後乱立して出てくるのか…
時代も変わったものだな(-.-)
M T S H (゜゜)
新元号の
あるふぁべっと は、何でしょうね~
Posted at 2019/02/08 15:42:52 | |
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秋づき 「塵壺」 | 日記
2019年02月07日
大阪市から阪奈道路を登り
奈良方面の旧道へ入り込むと
古堤街道(ふるつつみ)
河内の國(大阪)と大和の國(奈良)に位置する
府境界に出会います。
両側に石柱が在ったのね!知らんかった
ちなみに、この橋は両国橋でした。
北河内郡、奈良縣の文字が読み取れるので
明治期に建ったものでしょうか…
さて、
ここまで来たついでに
一年ぶりの十三峠に来ましたが
府県境の表示板は一切無かった
のね^^;
そして、
帰るとき、魔の阪奈道路下りを
走行しようと思いましたが
気乗りがせず
避けるためにR163へと向かいました所
ナビには事故表示が…
旧国道へと迂回させられました。
あの直線トンネルで
どういう状況で事故ったのかなぁ~
Posted at 2019/02/07 15:51:38 | |
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秋づき 「温故知新」 | 旅行/地域
2019年02月04日
洞ヶ峠 (ほらがとうげ)は、
河内の國(大阪)と山城の國(京都)に位置し
今も、国道1号線の府境として存在する
標高70mほどの峠です。
何十年も、この峠を越えていましたが
洞ヶ峠茶屋の存在は知っていたものの
立ち寄る事もありませんでした。
ので、
ついぞ行って来ました…が、
10時半だと言うに、飯の準備が出来ないとは(>_<)
殿様商売かい!
年季の入ったサンプルを見ただけで撤収ぅ~~
もう二度と行かん(-.-)と心に誓うも
ぼたもち は、しっかり購入しました(笑
噂通り、デカいな…
半分だけ食べて、胃がもたれる。
Posted at 2019/02/04 14:04:58 | |
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秋づき 「温故知新」 | 旅行/地域