2013年05月08日
さて、9条改憲についての記事、結局、第3段をお送りします。
前回記事と、前々回の記事では、改憲に対する本質的な問題について、焦点をあてました。
平和憲法の理念は、戦争を無くすという至上命題、安全欲求における、人類の普遍的な高次欲求であり、
かつての左翼運動とは、いわゆる、綺麗事、倫理観における高次欲求を実社会で追求していくという運動でした。
この高次欲求の根拠は、人類の進歩にありました、人類の進歩により、良い社会を実現するという思想の普及
これが、本来の左翼運動。
今現在、忘れられているように思いますが。
この本来の左翼による視点での、平和憲法に対する日本の立場という物は、過去の戦争への自主的な反省と、反省から産まれた新しい理念、人類の恒久平和への挑戦です。
そして、この自主的な理念を他国と共有していく運動というのが、本来の平和憲法という理念というか、建前だったように思います。
この平和憲法を持つ本国にですね、戦後攻撃を続けているのが、中韓露という形なんですが、それに抗議さえしないというスタンスを取る左翼って、これ本当に左翼なんでしょうかという話。
前回の記事でまとめました、同軸の安全欲求で低次の欲求を満たせない時に、高次の欲求は破壊されるですね。
本来は平和憲法の理念を元に、特に中韓露の行動を、国際的に、世界レベルで高次欲求の共有と題して、抗議していくべき問題なんですよとも、前回の記事では書きました。
主張抗議すべき事をしないで、訳の解らなくなった平和憲法だけを主張する今の左翼ってなんなんでしょうか、おまえら存在意義あるのと。
さらに、改憲というのは、この左翼思想に対して問題があります。
平和憲法の本来の理念に対して、問題行動を中韓露が起こしましたと、これになんら抗議主張もせずに改憲するというのは、それは自主的な憲法では無く、自主的な理念でも無い、戦争への内省もなかったのか、本来の建前から、こんな事が他国から言われるようになるのでは無いでしょうか。
個人的には、それが正論と思えます。
建前自体はいつかの教科書にも書いてあった記憶がありますが、この理念はどこかに消えてしまっているようです。
ここに、まず、今の日本のは、政府による中韓露への抗議を放棄する事で平和憲法の論拠を、日本の世論的に失っていると指摘しておきます。
さらにです、近年、侵略行為をしている国の内の中韓がですね、非常に面白い事を指摘しています。
96条改憲は、9条改憲を視野に入れた軍国主義である。
9条とその理念を直接攻撃している国家郡が、9条を曲げるなというダブルスタンダードによって、日本の平和理念に対するスタンスの矛盾を指摘しているんですね。
何故、平和を主張しないんだ、何故、主導権を放棄するんだと言ってるんです。
9条改憲に対してはですね、左翼的には、世界中が、日本のスタンスに懐疑的にならざるを得ないというのは、このような理由からです。
まず、本当に自主的な平和憲法の理念があるならば、主張するべき所を主張する。
それが、本来日本の取るべきスタンスです、そして倫理観における正論を述べるのが本来の左翼であると。
この本質を見失っている今の日本の左翼は、左翼ではない、常々言っているファッション左翼であると私は思います。
今、ヘイトスピーチ云々を言っている方々はですね、左翼云々を自称するなら、ヘイトスピーチの元凶になっている中韓露の平和理念の破壊行動に、一度目を向けてですね、抗議行動をしない自分自身に内省をしていただきたいと思います。
ヘイトスピーチという結果に目を向けて、行動を規制批難しても、元凶を放置し、自らの責任を放棄したら、反感を残すだけで何も変わりはしませんね。
左翼を自称する方々が、いつ正論に気づき、いつ左翼に戻るのか楽しみです。
私は、今現在の日本の左翼による中韓の否定は起きないと思いますが、平和憲法の改憲に対しては、平和理念による内外の世界的なジャパンバッシングが起こるだろうと予想します。
何故、政府、そして潜在的には左翼は、中韓露に回避的な姿勢を取るのか、責任を放棄して、平和理念を自ら侵害するような行動を取るのか、
何故、適切な行動を取らないで、そのまま9条改憲の議論をするのか、ここら辺の建前の議論さえ自主的に起こらない理由は何なのか、
これは、マスメディアに対しても同じ事が言えます。
かつての、左翼の思想が完全に退廃し、目的が手段となってしまったからだと思います。
そして、これらの指摘の解決が、実質的な9条約改憲のプロセスともなるでしょう。
9条改憲のボトルネックから問題点とプロセスについてでした。
以上。

Posted at 2013/05/08 23:43:50 | |
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2013年05月07日
現実問題と高次欲求は対立するのか、対立軸を論点に、論理を構築したいと思います。
まず、記事のスタンス確認のために、前回の記事を必読して下さい。
前回の記事は、マズローの自己承認をベースに、同一カテゴリーの低次欲求による高次欲求の否定が、パーソナリティを傷つけるという仮定を元にですね。
これが、9条改憲のボトルネックになりますよという話でした。
例えを出すと、コーヒーの質を落とせないだとかですね。
自己承認という欲の倫理観版です。
さらに、前回の記事では、倫理観における高次欲求は、しばしば現実問題を超越すると指摘し、欲求と現実は軸の違う概念であるとしました。
ここから、私は個人的に9条改憲は当分出来ないであろうと予測しました。
それと、書き忘れましたが注意点ですね、平和憲法という普遍の高次欲求への干渉は、国外の左派からしても地雷です、改憲に際してはこの地雷を自ら踏む覚悟も必要。
それで、前回の記事で現実問題と高次欲求の軸は違うとしましたしたが、対立は成立するんですよね。
「カテゴリを安全欲求とした場合に、低次欲求を介して高次欲求を覆せる可能性がありますよ。」
ここまで書いたのに軸が違うとは、これ如何に。
私、失敗していました。
9条での最たる例が、中露韓を主とする領土、領空侵犯です。
Wikiから拝借
『2006年度には、ロシア軍機を原因としたスクランブル発進が196回、中国軍機を原因としたものが22回、
台湾軍機を原因としたものが8回、その他、韓国軍機・米軍機などを原因としたものが13回行われている』
この回数は中国を中心に増え続けています。
低次欲求を触媒に、現実問題が高次欲求を破壊する。
まあ、現実を超越しようとする高次欲求と現実問題の、良い塩梅の均衡とも取れますが、
この侵犯や領土の諸問題は、明確に9条という高次欲求と対立しています。
地雷は既に踏まれているんですね。
本来は、国際的な主張問題なんです。
この侵犯の内の、明確な不正は、普遍的に人々が共有してる高次欲求→平和憲法に銃を向けていると国際的に主張すべきなんじゃないかなと思います。
そんな当たり前の事も、これから焦点になるのではないだろうか。
前回に続き、この論点の付け足しですね。
つまらない最適解だと思いますが、9条改憲の話題についてはそんな所感。
人口論による水戦争からの逆算で、今の内に正式な軍隊を持つべきというのも、正論ちゃ正論とは思いますけれどね。
この欲求と現実にどう向き合うのかが鍵になるでしょう。
以上。

Posted at 2013/05/07 23:47:45 | |
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2013年05月04日
先にお断りしないとなりませんが、何が正しいとか、そのような話ではなく、
死刑制度反対と9条改憲、二つのボトルネックの類似性ですね。
近頃、なにやらの改憲が焦点になっておりますが、9条改憲を考えると、マズローの承認欲求のコンセプトを思い出します。
彼の言い分では、メンタリティにおいて、欲求が満たされるとより高次の欲求へと移行していく。
このモデルは、一部欠陥品なんですが、凄く面白いアイデアなんですよね。
民主主義への、平和憲法というコンセプトのアプローチは、明らかに時代を先取りした高々次の欲求でした。
自己承認に対して、低次と認識出来る欲求には拒否反応を示す、個人のメンタリティが傷つく。
9条改憲の議論では、倫理観において、そんな事が起こっているのではないでしょうか。
この類似例は、国外が主になっている死刑制度の反対運動です。
必要性云々の前に、低次的な欲求を新たに受け入れると捉える時に、人は傷つくのです。
これが私の思う改憲のボトルネックの正体ですね。
高次欲求は、民主主義の爆弾というか強力なプロテクトです。
私は、団塊の世代が居る限り、この高次欲求、越えられないんじゃないかと思います。
イギリスの墓まで揺りかごの高次欲求を、サッチャーは越えましたけれどね。
さて、この高次欲求をプロテクトと解釈した場合の破壊方法を考えてみましょう。
マズローによると、低次欲求が満たされない場合には、高次の欲求にたどり着かないとあります。
まず低次的な欲求が、満たされていないと主張するアプローチが有効なのかなと思います。
平和憲法に対しては、安全欲求に対する安全の欠如ですね。
死刑制度においても、安全欲求の欠如が有効なのかなと思うと、やはりマズローって凄いなと思うんです。
これらの、民主主義的な倫理観のアプローチは、しばしば現実問題を超越します。
例えば、おい!残酷な兵器はダメだろ!!です。
高次欲求と現実問題は軸が違うんですね。
それで、まあ、この記事で、現在問題どちらに対してどうこうだよね、という、主張をしたりはしません。
ただ、何事においても、綺麗事って、破壊されない、破壊しにくい、高次欲求という欲なんですよ、忘れがちかもしれないけれど、という世間話をしたいかなと思いました。
やっぱり一度慣れ親しんだコーヒーの質はなかなか落とせないなというのと、一緒なんですけれどね。
私も倫理観においての高次欲求って美徳だと思うんです。
9条の場合に、改憲の焦点の本質はここになるでしょうね。
今回は、そんな小噺でした。
以上

Posted at 2013/05/04 18:25:32 | |
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2013年05月02日
えーとですね、富が無限に増えていくってのは、貨幣数量説と資本の需給の均衡から
はた目に見てもあり得ません。
大抵は、物価で均衡してしまうんですよね。
というのは、貨幣量の増大に従って、交換対象が価値を失ってしまうからです。
売り手側、供給側はですね、価値の無いものをいくら売っても生活が出来ないので、大抵はインフレさせて均衡させますよと。
売り手が生活のために、インフレさせるんですよ(よって生活水準と相関の購買力平価説が成り立つ)、ここまで知識的について来られる方が居ないという、残念な実状が国内にはあるようですが。
これは普通の経済のお話で、この均衡に対して、お金が無限に増えていく、そんな世界をですね、体験している人は居ないでしょうか。
とあるボトルネックにより、物価で均衡しない、これ現代の経済なんですが、無限増殖というのは、システム上のバグです。
普通なら均衡に向かうベクトルが、働くので、無限増殖しません。
自然界の中で無限に、増殖している物はないでしょう?
さて、今回は、最近のお金の無限増殖バグについてのお話です。
貨幣数量説により、貨幣の物理的な限界が富のボトルネックになっていたという話があります、
これリフレ政策の根拠ですね、政府は無限に信用(貨幣)を作り出し続けられるので、何らかの方法で、デノミし続けちゃえば良いじゃないという話。
これ、FRBの話なんですよねえ(笑)
経済は均衡に向かうので、リフレ政策は貿易赤字を通して、財政インフレに収束します。
→大抵は国債問題
になるんですが、均衡に向かうハズのベクトルは、資本収支及び貿易赤字に分散します。
この分散を逆手に取った出口戦略についてもどこかで書きました、貿易赤字と資本収支さえ何とかすれば、国債金利と財政インフレは抑えられる。
この答えが、金融化による資本の膨張と格差社会です。
アメリカ経済の本質は、リフレ政策による通貨膨張と同時平行に行われている、資本膨張及び擬似緊縮財政なんですね。
通貨危機を向かえたアメリカ経済が当分不調ですよというのは、資本膨張が一時限界に来たから、もっともそれも量的緩和で穴埋めしましたが、それでもう片方の出口である貿易赤字ですね。
どうしても、この貿易赤字、個人の需要、消費は削減せざるを得ないと、
アメリカ経済は通貨問題を抱えると伝統的に不調になる、いつもの事ですよね。
それでドルの価値に不安を覚えてるんですが
財政の崖、シェールオイルによる貿易赤字の縮小という流れになっています。
ここまでを簡単に言えば、使いすぎたから、節約するという話。
さて、このままドルを無限増殖させるには、貿易赤字の回収という行動が伴わなければなりません。
対円に対しては、アメリカ国債の買い取りという方法、中国に対してもそうですよね
基軸通貨の立場を利用した、負債の拡大という方法が取られてきました。
これも、無限増殖と捉えると、そろそろ立ち行かなくなる方法になります。
それでですね、無限増殖のために、これから、どのような方法が必要になるのかというと、
まあ、こういう所が、今の論点になるんですよねえ。
これらは、進みつつある貨幣の無限増殖がバグだと認識した場合の視点になります。
今はバグだバグじゃないんだという議論が必要なんでしょうね。(笑)
私なんかだと、バグだと認識しちゃうという話。
以上

Posted at 2013/05/02 21:30:53 | |
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2013年05月01日
えーとファッション左翼、いや、インセンティブ関連の話題です。
これ、正確にはステータス高めごっこ、皆さんも、やった事があるんじゃないでしょうか。
インセンティブの隠しパラメータ探し、ステータス高めごっこです。
まあ、ステータスと言っても、多くの方々は、なんのこっちゃと思われるんでしょうが、こちら今回使うステータスの定義ですね。
ステータス[(高い)地位、身分、状況、情勢などの意味]
普段ですと、ベンツはこの業界のステータスなんて良く使いますよね。
普段パラメータの事を、ステータスと言っている層も居るかと思いますが、今回の話は、人生の隠しパラメータ、ステータスですね。
という事は、私たちは、ステータスというパラメータ想定をしているという事になります。
インセンティブを金銭的報酬と勘違いなされている方々も居ますが、インセンティブは、ステータス高めごっこの方が、余程本質に近いかと思います。
インセンティブを、現状維持バイアスと唱える学者も居ますが、新たな分野の開拓、取り組みにおいては、現状維持は当てはまりません。
この中に、ステータスを求める活動が含まれて居ると見るのが自然なんですよね。
社会のステータス、意識していなくても、子供の頃にこの隠しパラメータ遊びをしていた記憶は無いでしょうか。
自尊心の健全な育成ですね、特別な物を見つけだしたりして地位を高めたりします。
これらの強制的な否定もあったりしますが。
そして、ステータスごっこは、私たちの日常にも溢れています。
相対的な自己評価の向上に繋がる行動ですね。
方法を間違ってる場も良く見ますが。
ステータスに繋がるから、インセンティブが生まれる。
これを先日やった需給に繋げると、インセンティブはほぼ完成すると思うんですが
このインセンティブという勘違いの多い言葉、調べるといかにもという感じで、金儲けの匂いがプンプンします。
ちょっと今触ると怖いと言うか(笑)
でも、端から見ると新しい分野で面白いですね。
さて、インセンティブを需給とステータスという概念に変換した事で
パラメータに落とし込む事が出来るようになったハズですが
どうしたら、対象にやる気を出させる事が可能でしょうか。
という所ですね。
おそらくステータスにもカテゴリを持たせる感じになるんでしょうけど、後は完全に人様の領域になります。
自分でやってみると、これ楽しいんじゃないかなという話ですね。
インセンティブは調べてみると、擬似科学未満の状態で、報酬や他のパラメータで引っ掛かるので答え合わせしませんよ。
報酬は大きく相関が無い事が結論付けられてますし、休憩もパラメータの根拠が不明。以上。

Posted at 2013/05/01 21:00:52 | |
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