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ゆーりっく2のブログ一覧

2013年04月25日 イイね!

より、強い刺激が欲しくなるもんだよ。雑談

何かと禁欲生活を強いられてる友人がいまして、その友人との会話で、
かつての浪費家である彼が主張した事なんですが、ちっさい刺激になれたなら、あんまり上の刺激は欲しくならなくなるだなんて言ってました。

インセンティブ関連の、需要と似てますよね。
どこかの記事で大抵は、個人の許容量の総計から需要しますよという内容を書きました。
特に知的生産では、アウトプットならともかくインプットなんて、ある程度以上は需要しない事ばかりです。

この需要の面に、想定出来る満足という秤があるんでないのかと思います。
これについては、人は想定出来る供給を、需要しますよとも書きました。

許容できないのに(キャパオーバーするのに)需要しないでしょという簡単な話。
これ、経済でいうまんま限界効用の話ですよね。
そして、馴れから普通需要できるキャパが増えていくとも書きました。
小説の量なんて、当てはまるんじゃないかと思います。

何れにせよ、許容量ベースから需要され、供給が行われるという話なんですが、この中で、人の欲という話ですね、
許容量が際限なく増えていく性質のものであると。

なんかギャンブル依存の原理かと思ってしまいますけど、山登りも変わらないでしょう?

この需要について、研究するのがインセンティブのお話。
日本では、なんか胡散臭い定義が増えてしまってるんですけれどね。

ここでの、興味的な点は、許容量が増える契機、需要の動機付け、供給の質くらいとなります。

この許容量が減る事ってあるんでしょうか。
友人の話しはこれ、供給の質で減っていくって話なんですよね。
身の丈を知るって言うか。

そして、これまんま逆にして
供給の質で許容量が増えれば、自然に需要するようになるとも思うんですよねえ。

それと、供給の質の変わらないハズのギャンブルで依存するほど、許容量が増えるってってなんなんでしょうか。

今回結論や仮説立て、なんてありませんよ、雑談ですから

以上。
Posted at 2013/04/25 20:56:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年04月25日 イイね!

均衡故の修正主義

修正主義と言うと、マル経経由の差別用語になるらしいんですが、
経済は、基本的に均衡に向かう
故に、均衡から外れるベクトルをもつ政策は修正を求められる。
これが人類の歴史です。
修正側が勝ち残ってきた歴史からすると、修正主義ってちょっと、もったいない言葉ですよね。
科学なんかも、修正を続けてます。
均衡に向かう所は、人間の社会も、自然と変わらないのかなという実感があります。

均衡と言っても、おおらかな波動の形を取る収束ですね、この収束の仕方は、景気循環からもマクロ経済学からも明らかなんですが、
一般人の方向けに、ここら辺を紹介する層が皆無だという現実がありまして、財政均衡の歴史を誤魔化してる人達が大多数です。

当ブログを、お読みなる方は、既にご存知の事かと思います。
リフレ政策は、景気循環を取って財政均衡に収束するですね。
かと言って一部が倹約しても、通貨共有の観点では、他の誰かがその分の贅沢をして価値を喪失してしまうかもしれない。
こちらは、欧米の金融バブルと崩壊が主な例ですね。
この修正がバーゼル3。
波動の形を取る勝手に均衡が経済という形になりますが、偏ったベクトルをもつ政策ではその修正が不可欠で、特に放漫財政の帰決なんかの例は類が多すぎて、誰でも例を出せる話題なんですよね。
バブルも変わらないんです。

では、訳の解らない大多数が一般人向けに、何を説明していないのか、お解りになるでしょうか。

大多数は、片方しか紹介しない原理主義の形を取るんですよね。
要は2頂対決でリンクが貼られてないの。
対立構造は、関連項目で得られる情報が狭まる。
この不完全性はネット社会の特徴でもあります。

経済では、倹約と贅沢は、セットで語る物なのです。
これは、市場VS政府でもリフレ政策VS反リフレ政策でも語られませんよね。

さて、均衡関連で、マル経で言う所の利潤、人が産み出し続ける富が、実は均衡を取ろうとするという予想をしました。
スティグリッツやバーナンキは違いますよね、彼らの説明は、右肩上がり。
まあ、GDPも右肩上がりですから、そう思う人もいます。
これ、右肩上がりはリフレ政策のせいですね。

では、本来向かうべき均衡とは、どこなんでしょうか。
本来、取るべき政策って、なんなんでしょうか。

この解決策を、アダムスミスが言ってるんですよね。

所謂、功利主義です。
市場は功利主義で均衡する。

向かうべき均衡は、それぞれの欲求が、需要と供給を通した頂点にあるという事です。
これ労働価値説ですよね、
利潤が本来の均衡へ向かうには、それぞれの欲求、マジョリティの供給と需要と欲求が必要だとアダムスミスは言ってるんです。
この欲求が反映されない場合に、市場は均衡から離れていく。
近年の傾向です。
まあ、欲求が反映されすぎると、貿易収支に響いてしまうんですが。

ここから、私なんかは小さな功利社会を主張します。
その根拠が元締め利潤調整なんたらなんですね、功利主義の社会構造論になります。

そして大多数の不労所得の市場介入は、この均衡から外れます。
不労所得を得るための方法が限られてるからなんですが、不労所得の多くは人々の欲求を抑制して自分に回すという形をとります。
そのせいで、需要=支出が抑制されますから循環として不完全になるハズなんですよね。

何でも株式化することによる不労所得の拡大は、小さな功利主義と相反するものです。

倹約省エネ、マジョリティの功利バランスと投資効率の追求ですね、突き詰めると経済政策ってそこら辺になるのかと思います。

均衡理解の修正主義、何となく合ってる感じで修正していくって大事な事ですよね。
それが人社会の伝統でもあるんですし、失敗続きの原理主義よりは、修正主義でもっと適当で良いじゃないのかなと

政治ネタなんですが(笑)
最近の政治でというか世の中の思想を見て、思う事はそんな所ですね。

結局誰が正しいではなく、経済は均衡へ向かうという話でした。以上
Posted at 2013/04/25 00:04:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年04月11日 イイね!

節約すると、景気は良くなるの?

普段の生活でですね、ここで節約すると、貿易収支的にどうなるのかなと、良く考えたりするんですが

景気の話でも書きましょう。
まず一つ、リフレ政策、通貨膨張の帰決ですね。

放漫財政による貿易赤字を伴った好景気は、緊縮財政と通貨問題という不況のサイクルに帰決します。
要は使った分だけ、必ず、何れかの方法で、返しますよという事。

リフレ政策は長期的な、財政景気の循環サイクルというゼロサムゲームです。
戦争や震災に関わる特需景気に、景気循環の波動サイクルが組み合わさる、財政を使った分だけ、波動サイクルが生まれる、
波動なんてのは、胡散臭く聞こえますが、これは単にサイクル理論の話で、経済の基本定理ですね。

この特需景気サイクルの内の緊縮部分、つまり節約を指した場合には、必ず不況になります。

通貨面では、通貨の額縁が増えた分だけ、支出が止まらなくなり、庶民の生活という出来上がったランニングコストの増大で、後から赤字がやってくる。
多くの場合で問題になるのが、後からやってくる赤字、つまり通貨価値の低下により、借り換え債を外資に頼っていた場合に財源が枯渇する事です。

これが近年でも問題になっている国家デフォルト。

『そして、この財政景気の循環サイクル説から、マクロ経済学では、節約は貿易収支が改善するにも関わらず、一般に向けて必ず不況になると説明されます。』

さて、考え直してみましょう。
通貨という債権の支払いにおいて、どの次点で、誰が、誰に、決裁するのか。
普段、私たちの生活では、お金というものは、節約した分だけ、後で使えます。
そして、ミクロとは違うと主張されるマクロ経済学でも、先に使った分を、循環サイクルによって、何れかの方法で必ず決裁します。

※金融政策や格差社会は、リフレ政策の決裁

では、緊縮局面でない時の普段の小さな節約は、どこに繋がるのか。
先に知られている景気循環の波動サイクルを除いた、後の好景気にきまっているでしょう?

余程の事が無い限り、債権は執行されるのです。

そして、何よりもリソースにおいて、消費されたら戻らない資源が節約されます。
通貨面では、貿易収支の改善、減価面が少なくなりますよ、その分後で使えますよ。

じゃあ、節約して何が問題なのか?

分業面では、節約により働く必要が薄くなりますね。
前に分業資源と書きましたが、儲ける手段もしくは、その額縁が減ります。
多くの人の生活水準が低下します。

これらの事を加味して言えば、債権価値は、そこで働く人々の生活水準と生涯で使いきれるゼロサムに補正されていく。
節約すれば、出来るのは即ちリソースの節約と、通貨赤字の負担軽減くらいである。

その上に、通貨発行という財政インフレがある。

今、日本は貿易赤字という事で、先ず節約して、稼ぐ方法を考えなければ、今の生活水準はいずれ破綻しますよ。

これは、普段の私たちの生活の感覚となんら変わりませんよね。
社会保障も破綻します。
最近では効率化や雇用の国外流出による、国内分業資源の枯渇→デフレが騒がれてますが、
今の大きな経済問題は、貿易収支の悪化→コストプルインフレです。

となると、各自、出来る範囲の節約を、徹底しながら分業資源のために制度を深めましょうという当たり前の話で終わるのです。

そうやっていって、プラスサムで人生が終わった場合には、経済は勝手に成長していきますよ、それがWW2後のアメリカで豊富にあった貯蓄の理屈ですね。

フランスとか制度的に、先を行きすぎた変態国家と感じてしまいます。

節約の話でした。

以上。
Posted at 2013/04/11 11:48:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年04月05日 イイね!

勉強、インセンティブ、やる気でない

本当にロクでもない、記事名になっております。

初めての方は、引っ掛かりましたね。

前回の続き、勉強におけるインセンティブはということで、大体の構造を需給から焼き直して、つまらない勉強を4つ出してみました

過剰供給、インプット不活用、アウトプット不活用、需要不足。

これらの需給の構造の中で、インセンティブを定義するとき、ボトルネックを考えてみましょうとしました、
興味を大きくするとき
興味をうしなうときですね。
その部分を契機として、ピックアップして考えてみよう、で、今回の記事と相成りました。

需要に対して、ボトルネックが大きすぎるから供給を得られずに興味を失う。
そもそものボトルネックが大きいから、必要な供給を想定して興味を大きくする。
これ、いわゆる慣れですね。
書籍類で欲しい供給量が段々と大きく変わるのは、慣れによるものです。

欲する供給量(需要)は個人に合わせて、変わってくる、刺激の問題となります。
刺激の大きさ、本の大きさって選ぶときの重要な要素ですよね。

対して、供給の質にも高次の構造体があります、ある程度きちっと理解しないと、次の過程で理論を組めない。
これも理解には、大きなボトルネックになります。

他にも、焦り、不安、自分以外と自分の相対比較によ自己評価、個人的なメンタルがボトルネックになる場合もありますね。

これに対しては、私の経験則からしてスポーツなんですが、難しい事をやらせないで、目的をはっきりさせ、本人のボトルネックから逆算して、まず、やらせない事を決めて出来る事を教えていくと。

人の特徴は、比較的早い高次の拡張性にあります。

要は苦手意識を飛ばす方法なんですが、難易度の高い作業を求めないで、単純作業の拡張を目指すと、その分野では早くクオリティの高い人が出来るよと。

まあ、持論ですね限界はありますが、苦手意識として失敗した事がない。

理解出来る前提だから、面白くなる、ある程度はね。

このように障害、つまりボトルネックは、需要の阻害、増幅、供給の阻害。
という、2対1の大まかには阻害方向の特性を持っています。

・特殊なモチベーションの持ち主

ボトルネックを苦にしない人間が、世の中には居ますが、アウトプットでの検証に圧倒的に強い人間ではないかと思います。
アウトプットの仮説検証にはサンプルが多い方が良い。
サンプルは比較対象の数に比例します。
供給のために、ボトルネックを利用する方向ですね。
このモチベーションの持ち主は、莫大な需要と仮説を産み出します。
ボトルネックは、需給の変換機で、個々の需給の違いは、ボトルネックの変換効率の差によるものかもしれません。
ボトルネックで需給阻害を物としない需要増幅を、知っている人間ですね。

もしくは、供給の効率が良い、理解が早いなんてのも、障害を少なくする要素です。
才能があるなんてよく言うでしょう?

ボトルネックの特性の理解を心得ると、理解の需給がうまくいく、そんな事もあるかもしれませんね。

以上。
Posted at 2013/04/05 08:37:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年04月04日 イイね!

さて、勉強、二段階不活用とインセンティブ。

何故つまらない事があるのか?

理解に対するインセンティブってなんでしょうという話。

インセンティブは
テストの点数?
それとも、何からの報酬?
不活用の言ってみれば、ゴミ理論を、経験する意味は何?

因みに、点数の活用方法は、活用を使わなくても、自己愛や社会評価に際してありますけれどね。
この活用方法は、理解へのインセンティブとはほど遠い物です。

それについては、最近似たような記事を書きまして、哲学で重要なのは、供給ではなく需要ですよとありました。

幸い私は、需要を持つことに対して、供給される幸福を知っていますから
インセンティブの多くが、需要と供給の関係にあるという事を理解できます。

・子供達は、望まない供給を喜ばない

勉強については、哺乳類の幼年期が本来持つと言われる特徴である知的好奇心を、過剰供給で殺している現状があるように思えます。
本来そこに需要はあるハズです。
望む物を与える過剰供給については、ネグレトの一種として知られる所ではありますが、勉強の需要問題が過剰供給にあるのか、
不活用にあるのか、疑問に思ってしまいますね。

さて、インセンティブに対して、需要と供給とボトルネックがあるという事は、ある程度の構造が予想できます。
にたような構造を最近やりましたね。

需要は何かしらで増幅され、ボトルネックがあり、不確実な供給が行われるというのがおそらく勉強に対するインセンティブ。

供給までたどり着かないor供給の質が悪いケースも多いんじゃないかと思いますし
供給が需要までたどり着かないケースもあり得ますね。

この場合の需要は、まず疑問を持つことにあります。
この需要に関わるのが、先に書いた二段階活用です。

仮に活用するなら覚えることは、前提となるので、需要が発生する。

仮に活用しないなら、覚える必要はなく、供給のみが行われる。

例えばこれが、つまらない勉強です。

第一のケース:過剰供給

需要の無い所に、供給する。
つまり、「いや、まだ何も聞いてないから(笑)それも、聞いてないから」

過剰供給で他に考えられるのは、発生した需要に対して不必要なほどの供給をする。
これは、私の得意分野です(笑)
ビジネスの場でも、結論や感情のみが求められるケースは多々ありますね。

そして、第二のケース:一段階目の活用不使用。

仮説検証による、経験→仮説の理論構築という知識の消化です。
得られた経験前提から、仮説を組み立て、正しさを、検証する。

検証方法は、経験反復もしくは既知の知識との照会となります。
第一段階の活用は、インプットの消化になります。
同時に、既知の知識を照会でアウトプットの活用。

普段の、私の勉強って主にこちらなんですが、楽しいですね(笑)

第三のケース:二段階目の活用不使用

となると、もう片方の活用がありますね、アウトプットでの活用。
実践か、知識照会での検証となります。
アウトプットで需要が生まれる事は、大前提と書きましたね。
ここは同構造の大きな部分です。

そして、
第四のケース:需要不足

「正直、覚えようとも思えないんだ」
興味の無いフラット状態です。

こう考えて見ると、現代の義務教育部分は、つまらなさで言えば、究極の水準に達していると言えます。
よくこなしたもんだ。

では、この構造の中で特に大きなインセンティブとはなんでしょう?

需給の構造で、まだ書いてないところがありますよね。
例えば、ボトルネックです。

私たちが、普段興味を大きくするとき、興味を無くすときは、どんな時でしょうか。

ちなみに、この分野の方いらっしゃるんでしょうけど、構造的に完全自炊で焼き増し可能分野なので、参考無しで作ってますよ。
予習しておくべきなんだろうか?
いやいや、予習無しで、焼き増してから、答え合わせするのが面白いんであって。

ボトルネックは、次の記事でやりましょうか。
Posted at 2013/04/04 12:00:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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