2012年09月26日
えーと、前の記事でやりました、利潤とは
ベクトルとして、貨幣の退蔵ですよと。
この利潤、命題的に自明であるからか注目している人が見当たりません。
利潤の内
投資と消費に向かう物以外が貨幣の退蔵と呼ばれる物になる訳です。
貨幣の退蔵に関して調べると、大前提として並んでいます。
但し書きをしておきましょう、貨幣の退蔵に関して共産的だと、勘違いして読まれる方のために、貨幣理論の側面である倫理問題の結論を先に書いてしまいます。
貨幣数量説から通貨の総量は、ほぼ(刷った分だけの)定量だとの推測が得られます(信用創造は利潤ベースのデリバティブと仮定)、命題の帰結として貨幣の退蔵自体は、経済学において普遍的な結論になり、これは共産的な仮説ではなく、現代経済学の前提であると、
その上で
貯蓄に対する指摘は、ケインズによる小文、ユダヤ人は何故嫌われるのか
ユダヤ人だけが退蔵をして利益を得られなくなったら他の地に持っていって、残されるのが貧困層だけだからだと。
私の立場はこの小文に同意し、自由資本に問題を投げ掛けた上で、貯蓄の倫理問題について
貨幣の退蔵が必ずしも二次元的な悪だとは主張しません。
この倫理問題提起の結論はこうです、過ぎたるは及ばざるが如し。
北朝鮮のデノミの根拠でも触れました、過剰な金余りもしくは過剰な金足らずが問題であるのだと。
一方で資本主義の原動力は、投資への通貨による権力の集中執行でもあります。
ここでシュンペーターが出てきます、投資に問題の起きている状態では資本主義は上手く機能しない、これが日本の0金利政策の失敗です。
兼ねてから言われている、投資効率の低下による機能問題、イノベーションの涸渇と、マルクス経済学の効率化による労働環境の涸渇です。
投資効率の低下による資本主義の機能生涯の時には、集中投機になる金余りは問題になります。
このような時に貯蓄を一ヶ所に集める必要は全くありません。
増大させなければならないのは、労働分配率です。
投資と消費の適正化なのです。
・貨幣の退蔵と利潤
ベクトルとして等しい両者がマクロ的には、押し合っているという面白い構造に注目してみましょう。
ここら辺は、フローとストックの問題。
フローとストックには上限があり、貨幣の総量が決まっている限りほぼ定量ですよ、
両者の間にある利潤とは、ドミノの出し入れと、貨幣の退蔵のことですよと。
そして、
利潤と貨幣の退蔵(貯蓄)は一本のベクトル上で押し合っています。
信用創造は利潤側のデリバティブで、利潤の相関でフローとストック側に、通貨として混ざると。
相関の内容は比例定数ではなく金融商品の質によって変わります。
信用創造の乗数効果と波及効果の部分の評価も、利潤ベースの相関で出せるハズです。
ここで利潤のマクロ評価に、景気を表す金利と物価が出てくるようですねと。
これらは需要理論の中に収められるハズです。
つまり、貨幣総量+バブルが出回っている通貨の評価だという事になります。
まあなんのこっちゃですが、まとまれば簡単に言い表せる時が来るでしょう。
重用なのは、一般的に言うところの利潤が、ベクトルとして貨幣の退蔵と同じ方向であり、貯蓄と押し合っていて、利潤ベースで信用創造が行われていると。
そして、普通の人なら、貨幣の退蔵より利潤の方に興味があるということです。

Posted at 2012/09/26 18:54:55 | |
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