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ゆーりっく2のブログ一覧

2012年10月30日 イイね!

何故、日本では経済学のパラダイムシフトが起きてないのか?ポスト新自由主義

山口二郎さん編書のポスト新自由主義という本がありまして、

アメリカの現状と政策について書いてあります。
認識として私と変わらないレベルでの話なんなんですが、

シュンペーターヴィジョン、つまり産業あっての経済政策という認識の欠落が、日本の経済学や政治特有の物であると書いてあります。

お隣韓国も基幹産業の基礎技術に関して防衛が徹底してますよね。

はい、低レベルなのは日本オンリーでした。

というか、経済面の政策は戦前では産業の育成はきちんとしてましたから、退化してるという。

まあ、産業の話は聖域なんだよね、属国だからという話。

あれは別のステージだから、声はかけちゃいけないよ、日本だけね。

非常に簡単な話。

その制限の中で、自分は正しいとかバカ言ってるのが日本の政治経済ですと。

さて、為替差における日本の雇用の流出は、アメリカドルの量的緩和の規模から、仮に金融緩和と財政政策を併用しようと為替面でのアプローチからの短中期的な解決は、不可能であると、まあ勝手に結論付けています。

この根拠は、その前に為替で雇用を途上国とバランスさせようとするなら、これ影響はプラザ合意からあるんですもの(笑)

という事なんですが。

大体属国がそんな事出来るかっての。

ですから、現時点での政策からの為替へのアプローチは物理的に無理難題、かつ、雇用は流出し続けますよと、恐ろしい事になってます。

他のステージからアプローチするしか無い訳で、こんな簡単な事も理解出来ない知識人が左にも右にも溢れています。

まず、政策に聖域つくってどうするの?宗教的理由からですかって話ですが。

ですから、笑える事に日本にはお金がありますが、方法がありません。

財政政策での延命以外にはね。

現状でこれが一番まともな結論と相成ってます。

延命策が正しい訳では無いですけどね。
Posted at 2012/10/30 23:39:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2012年10月30日 イイね!

んー疑問だ、頭の中どうなってんだろう?フシギ

この人らは、命題の意味をどう解釈してるんだろう?

こんなのは、只のプロテクトなんだから、プロテクトの組み方理解して、根拠で崩すだけの話ですよね。

否定出来てると思ってる?人は、教養が無いんじゃないのかなと疑問に思ってしまう。

労働価値説の否定。

これ究極にはセイの法則の命題否定ですよね。

このセイの法則の命題プロテクトの概要は供給が需要を生むんだと。
このプロテクトは相当固いんですけどね。

アダムスミス時代からの労働価値説の欠点は、供給を労働とした所かな、全部供給にするとどう?

金利や地代というのも供給というか、サービスの代価としたら、破れないでしょ。

キリスト教義は知らないから、当時の自由放任からは困るかもしれないけれど。

私からすると、不労所得自体には(何でも拡大は困るけれど)問題が見当たりませんし。

まあ、セイの法則、これ仮に破るとしたら簡単、供給をしないで需要すれば良いんです。

じゃあ破るとして、金を借りるとします、これ『供給してる』人を触媒にするんでしょ?

さらに貨幣は政府の公共サービスですよね、このサービスも省くのかって話。

政府は貨幣サービスの供給ために、税制をとっています、つまり需要してるんだから、供給してますよね。

供給は省く事が出来ないんです。

じゃあ盗めば良い、これも『供給してる人』を触媒にする。

そもそも需要って供給によるサービスの交換の結果なんですけどね。

これ私からすると、供給してないって命題上は人と接点を持たない、社会上に存在してないとかになりそうです。

そもそも破る気が無いんじゃないのかな?とも思ってしまう、プロテクトとして理解出来ないから。

ワラルスがそう言ったからとか、権威主義すぎてバカみたいな理屈ですけど、そもそも新古典派はセイの法則を捨ててなく、純粋に労働価値説のどこを否定したのかという話。

さてここで、労働価値説否定の論点を整理しましょう。

労働価値説の問題は、当時の背景とセイの法則を組み込んで、全ての物の価値が、労働投下量で決まると仮定したことにあります。

つまりセイの法則+物価の源泉は全て労働だとした複合命題。

まず、こちらの元祖労働価値説プロテクトを破るのは簡単だったと。

これがワラルスの需給曲線と限界効用です。

これセイの法則のプロテクトがどうしても残るから、これ労働価値説の『部分否定』だったんですね。

労働価値説は完全競争の世界として残ってます。

それで新古典派というのは、サプライサイド政策や、世界恐慌の政策から解るように、労働価値説からは完全に離れてません。

必ずしも、労働投下量が全てを決める訳ではないよね、例えばダイヤモンドの価値は、投下量と一致しないよね、希少性の需要と供給から決まる物もあるんだよね。

物価はともかく、潜在的にマクロ的な需要の総量で労働価値説を新古典は認めていたんだと、まあこれだけの話なんですが、世の中には需給曲線と限界効用によって、労働価値説は否定された!(果たして労働価値説が複合命題であることと、全否定と部分否定の差を理解してるんだろうか?)

と何だかよく解らない事を書く人がいるんですよね。

複合命題における部分否定というのは、まあ科学史から解るでしょ、普通は包括案による修正がなされます。

ニュートン力学は近似だから、実証主義から部分否定されてるの。
命題同士が『対立してない』なら包括案による修正モデルが通常の論理の流れ。

否定されたから、もう欠片も無いんだとかは教養の無さを自覚してない人の理屈。

じゃあ、需給曲線と労働価値説のどこが対立してるのか、こんなバカな話は無いんですから、理解のしようが、無いんです。

科学宗教(科学哲学)くらいモラルとして習おうよ。


ですから労働価値説に需給曲線乗っかりました。


新古典のその後を知ってれば、普通に、これでいい訳で。

何も知らない書きたがり屋さんが多いようですね。

願望丸出しのゴミを喧伝する理由がイマイチ解らないなと感じます。

その後セイの法則を元にした新古典派が、やっぱり恐慌を解決できなかったりしますが、
それだって、労働価値説のネタ元のセイの法則にまつわる需給の命題は、その否定を聞いた事はないですね。

労働価値説は否定されている!

なんのこっちゃと

内容の無い話でした。
Posted at 2012/10/30 01:08:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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