2012年12月18日
地理前提の、産業リソースからお送りしたいと思うー、日本の歴史観。
さて、日本の地理です。
・降雨量
季節風(モンスーン)、これは様々な理由による高気圧や、低気圧の発達がありまして、大気は高気圧→低気圧へと流れて風となります。
※経度帯ごとの大気大循環と、海陸風を参照の事
その間、海が有りますと、湿度を伴った風になり、湿度を伴った風は、雨をもたらします。
この風が山脈にぶち当たりますと、そこに、雨が降り、以降の地域は乾燥地帯となります、日本海側の豪雪地帯と関東地方の冬の乾燥なんかは、この原理。
このモンスーンによる降雨量と経度による温暖な気候により、島国日本は農業、豊富な人口を支えられる稲作が出来ますよと。※多くの地域では一毛作が限界
時代によって変わるんですが、条件付きの資源の活用ですね、水田による稲の栽培なんてのは重要。
稲の前なんかはサトイモやドングリ、粟(植林)を栽培してた可能性もあるらしいですね。
そして開墾の必要条件である鉄器。
さらには、日本の最たる地理的条件は、大陸貿易から穀倉地帯である畿内、九州、瀬戸内、琵琶、伊勢、山陰、日本海ルートから東北を結ぶ、巨大水運と、国土の約70%を占める山岳地帯になります。
平野がほとんど無いんです。
※黒潮に逆らい条件の厳しい遠州灘と親潮に逆らう九十九里で関東は、江戸時代になるまで、他所の水運から孤立(回船を参照の事)
えーと、水運なんてのは、とにかく文明にとって必須の物でして、道の整備されて無い所で、大量輸送に際して船は都合の良いものでした。
特に大河なんてのは、交易と農業両面の産業リソースになり、そして、水運は必ず海に通じています。
生存そのものに必要だったり、食料の長期保存に必須の塩ですね、海はこの塩も産出します。
地理的条件から陸運が難しかったのもありますが、江戸幕府は、陸運(馬車)を規制し、河川水運による物資の出入の検査のため、船番所を設けています。
特に重視されたのが、米、酒、鮮魚、野菜、硫黄、塩で、
この内、塩は戦略物資として、重要視されています。
中国の内陸部では、今でも政情不安などの問題があると塩の買い占めが発生するというNEWSを見ますよね。
中以降ヨーロッパの飢餓を救った塩ダラや、アメリカの南北戦争を左右した塩なんてのも、聞く話。
※キリスト教が肉食を禁止したとか、火薬作るのに塩など
これらの前提、つまり、農業、塩製造、交易(水運)、3つの産業(資源)リソースが、日本の文明の源流と言っても過言ではありません。
水稲耕作の開始により、余力の生まれた地方に、勢力が育ち始めます。
その前に、人類の大きな転機は、定住でした。
現代の遊牧民を見れば解りますね、彼らは必要以上の財産を持ちません。
縄文時代に始まった、漁業や土器による調理といった、安定したリソースの確保が、定住を可能にし、定住が蓄財を可能にした、縄文土器の不必要なまでの発展は、この蓄財によるところが大きいかと思います。
・弥生時代日本の4つの勢力
北九州、吉備、出雲、畿内
出雲は水運内にあり製鉄技術を持っていた。
他の3大勢力は、先に示した水運の範囲にあり、広大な平野(日本国内でね笑)を有する地域です。
弥生時代の戦闘の痕跡には北限があり、稲の生産量が関係したようです、食料の余力がない地域へは、戦争をする必要がないという話。※青森に稲作が伝わった痕跡があるという事は、水運を裏付ける根拠になると思います。
これらの条件を満たす地域を他に言えば、南九州は鬼介カルデラの噴火で一度壊滅しましたが、狗奴国の可能性として示唆されています、他にも狗奴国として指摘されてる伊勢と名古屋近辺、こちらは大規模集落が見つかっていて、案の定、琵琶の周辺の滋賀にも古墳があります。
水運内は予想通り。
余剰食料の無い地域へは、戦争を仕掛ける必要がない、ここは注目ですね。
・この人らは、何を交易してたの?
縄文土器の発展とかを見れば解りそうな物ですが、弥生時代には銅と鉄が通貨の代わりになっていたようです。
縄文時代は土器などでしょうが、通貨として使われたのは、国単位の大雑把なやり取りだったようです。
※援助の見返りに、銅の器機など。
・過剰供給が戦争を産み出す
これは面白い仮説。
戦争を交易の亜種と考えた時に、吹っ掛ける側は、過剰供給分の生産品が欲しい訳です。
考えてみれば、植民地の奴隷制度なんかも、過剰供給分の生産量を増やす行為。
交易は、過剰供給した分の生産品のトレードです。
あえて余剰と言わない所がミソですね。
デフレ不況の解決策も多くが戦争になりますし関連がありそうです。
まあ、投資して、何かを手にいれる、過程に何があるにせよ、戦争も生産活動の一種です。
やがて、マーケットが収束するように、古代戦争ビジネスも収束、政情も安定、日本でも、貨幣経済が発達していきます。
・どこもかしこも、過剰供給したら、トレードが成立しない。
この論理に比較優位を使うと、国際分業で人類が豊かになる根拠にもなります。
結果、グローバル化によって欧州で分業を受け持てない地域がグダグダになってるんですが。
・古代日本の中心になった勢力は、製鉄技術のあった出雲と、水運上で大陸貿易の拠点であった北九州である可能性が高い
俗に言う邪馬台国ですね、どこにあったのか、
この頃の日本というのは、朝鮮半島の南端も含んでいたようです。
※朝鮮半島の古墳を参照
これも優位性の問題。
畿内、吉備に確たる優位性があるかどうか、鉄と銅の出土品で言えば、北九州が多いようですがどうでしょうか、朝鮮半島の日本の勢力が当時の中心でもおかしくは無いですよね、水運の中心と言えますし、半島の南端には穀倉地帯があります。
重要なのは、中国が当時の資料を残していたという事で、邪馬台国は朝鮮半島ではなく、今の日本のどこかという話で決まってる以降は諸説分かれる所らしいです。
そして古事記は、当初出雲が中心だったと示唆させる内容。
地理と歴史で言えば、以降の日本の中心は、東北地方、関東地方の発展によって、伊勢、琵琶湖、東北の日本海側の水運がより強力になり、
中央政権は東に向かって行きます。
ここから、私は北九州が大陸貿易もあいまり、水運上で最もバランスの取れている所だと思います。
・疲弊した北九州勢力と台頭した大和朝廷
さて、朝鮮半島への出兵というのは、大和時代にも数多くされてまして、大陸貿易の利権ですね、戦争も古墳も公共事業になりますが、出兵のために、北九州では古墳が少ないのではとの指摘もされています。
つまり、この地域では、戦争が耐えなかったか出兵があった。
この大陸貿易が阻害されますと
東北や関東の成長もあいまりまして、水運のバランスは一気に東側に傾きます。
これは、オスマントルコの台頭による、オリエントとの交易の阻害を欧州諸国が外洋に求めた歴史と変わりません。
大航海時代に発展した国は、欧州の水運である黒海から地中海の外側に位置し、外洋に接していたポルトガルとスペインです。
仮に私なら、畿内の発展をこう位置付けちゃうよというもの。
水運の外側に位置した畿内が、今度は、東北と伊勢、関東との交易によって発展しはじめたのです。
それが大和朝廷だったのでは無いでしょうか。
・邪馬台国と大和朝廷
制度上質の違うこの二国は、同一の国家であるのか?
まあ、制度なんて革命もありますし、狗奴国の位置と魏への朝貢が論点になるかと思います。
晋に変わってほどなく、朝貢が途絶えた。
怪しいですねー。
狗奴国は倭の境界の尽きたその南にあるとされ、邪馬台国と争っていた。
狗奴国が南九州説というの、中々難しい問題、ひとつは火山の噴火があって、一度壊滅した事、よって穀物の生産量に問題はあるし、肝心の平野が少ないという事。
いかにも人口比で苦しいんじゃないのかなと思うんですよ。
イモでもあったのかな。
宮崎、奄美、琉球、大陸と独自の交易が発展した可能性は否めなくは無いが
大きな勢力があったろうなと思える所では無い。
ただし、当時道具として使われていた黒曜石の産出地としては、大分の姫島、が水運内にあり、加工された石器が、四国中国で出土しています。
黒曜石の産出地としては長崎の佐世保、佐賀の伊万里が挙げられますから、リソースが集中したとは思えない。
ただ、この南九州は中央政権に度々反乱を起こしています。
何かしらのリソースがあった可能性も否めませんね。
一番簡単なのは、北九州の北部が邪馬台国、南部(というか熊本県佐賀県)が狗奴国で隣接していた。
で、狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたという話。
後の日本書紀の東征が訳が解らない事になりますが、中々良い話。(特に遷都、好例が無いわけでは無い)
そして、もう一つが狗奴国畿内説、邪馬台国を、幅広い海洋国家とした時に、今の神戸か堺辺りを東端とした説、
日本書紀の整合性と遷都の理由付けが楽になりますすし、リソース的にバランスの取れるのはこの2論かと思います、ただし、後者は、邪馬台国の間に吉備が存在することになり、国防面で脆弱か。
これは、朝貢が途絶えた理由以外なら色々と都合のいい話。
狗奴国遷都説なら何故東に遷都したのかという仮説も必要になるでしょう、後の平家の話になるんですが、宗教的(象徴的)なリソースがそこにあったから、という捉え方もあります。
西国に本拠を構える平家の時代にはそれは天皇でした。
えーと、古事記では日本の古い神々が駆逐されて、新しい神々が外来から入ってきます。
土偶に見られるように自然信仰からですね、人、リーダーへの信仰に変わったのもこの時期です、この信仰の中心にあるものが、古墳だった。→より古墳の多い地域で執政なんてのも捨てがたい。
まあここは、ロマンの話になりますから放置。
水運の話になりますと、源平は、瀬戸内海系VS伊勢系VS北陸
戦国時代も構図変わらずと、巨大水運の利権対立を垣間見る事ができます。
そして世の中は貨幣経済へ、この貨幣の在処が問題になってくるのです。

Posted at 2012/12/18 23:55:13 | |
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