2013年09月07日
あれ、凄く古い話?
ローカルコモンズですよね、小さな共同体、共有財が互恵を作り出し、分業という大枠のコモンズに発展、=互恵という継続的な需要密度が都市(新たな産業)を作り出す
はい、ブレてませんね。
このコモンズを利用する時の、社会効用を最大化しましょうよ。
人口問題もコモンズの最大効用で繋がるんじゃないかな?
別として扱ってるかな?
このコモンズの形態には諸説あるようです、定義を確定しなければならない。
このブログでのコモンズは、階層と排除性、競合性、共有性、利益率、持続性で色分けした、人と人の繋がり、もしくは共有財をコモンズとしますよとしました。
つまり人が価値をつけられるもの、もしくは、つけるべきでないもの全てをコモンズとした訳です。
・既存のコモンズ論は拡大しないし、貨幣はコモンズではないが、当ブログからすれば、貨幣もコモンズである
こちらからすれば共有価値を持つものの構造は、その基礎が互恵にあります(あるハズです)から貨幣もコモンズの範囲に収めてしまいます。
この時のコモンズの定義はは動的な階層になりますね。
既存のコモンズ論は、静的でなければそれは定義出来ないという古風な発想があるみたいですね。
これは、市場経済が既存のコモンズを破壊したせいもありますが、コモンズ論と主流の経済学の分岐点でもあります。
コモンズを破壊したらそれはコモンズではないのか、ローカルコモンズの観点に立つと簡単に崩せる話なので、今なお市場経済をパラダイムシフトと置く定義は不思議ですね。
そのせいで、オープンアクセスが条件になっているコモンズもあるようです。
こちらからすれば、(ともすれば、あちらからすれば)独特のニュアンスを持っているのが、コモンズ論。
この代表例が、アンチコモンズの悲劇です。
分断された資産にそれぞれ複数の所有者がいる、交差所有権があるときに、交渉問題のコストは最大化され、効率は最悪となる。
コモンズの対極例と言われますが、当ブログでの説明では個人所有権に問題点があり、一部をコモンズとして扱い減価しろとしました、つまりこちらのブログでは、コモンズの延長問題がアンチコモンズの悲劇とした訳です。
要はコモンズは独立しておらず、下層のコモンズは、上層のコモンズに劣位である。
そして、個人所持とコモンズは両立出来るとした訳です。
例えば、上層コモンズの開拓時に、不要になる下層コモンズ(ローカルコモンズ)がある。
これまでのグローバリズムの話ですね、財政インフレも当てはまるか。
これだけで、既存のコモンズ論の問題点の核心をつくことができます。
そして今のコモンズ論の主流である不要になったコモンズの回復についての議論は、ほとんどが無駄に終わるでしょうと予測します。
これは大抵のコモンズ論で劣位の不要になったコモンズが、どのように優位性を回復するかの話をしてないからですね。
ポランニーの大転換にも触れたいところです、マルクス経済学よりよっぽど有用なんじゃないかとも思えますから。
現代では、このコモンズの代表格が企業になります。
繰り返しになりますが、労働力をコモンズとした時に、地域外のコモンズの独占による効率の悪化が懸念出来ますね。
これがデフレの原因になりますよと。
コモンズによる(下層)コモンズの独占、少々面倒な話ですが、あり得ない話ではないですよね。
社会効用の最大化に対しての定義もここから出来そうに思えます。
ここら辺からミクロ経済学をさらに突き詰めて、貨幣の正体にも迫ってみましょう。
以上

Posted at 2013/09/07 20:58:16 | |
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