2014年12月12日
長らく放置して居ましたが、民主主義というテーマを少し掘ってみましょうかね。
という記事になります。
前の記事を放棄してですが。
切っ掛けというのが、政策圧力というものを考えた時に、政権交代でも変わらない事案、つまり政権交代でも変革させるのに政治的な圧力が足らない事案があるとします。
例えば労働基準法の尊守ですね、出来ていなけれどという話、これは政権交代程度の政治圧力で変わりません、政党政治の限界でもありますが。
つまり意思決定に至るまでの必要な圧力が政策毎に違うと仮定したんですね。※以降当圧力を政策圧力とする
これね、至極当たり前の話なんです、反対する人が少ない法案は簡単に通りますよ、反対する人が多い法案は通りませんよと、政策毎に違うんですよと、そういう事を書いてます。
ところが誰も個々の政策圧力について評価されてませんよね、我々の政治体制は民主主義で政策圧力は重要な論点になるにも関わらないなのにです。
さて、この政権交代でも変えられない事案は、政策圧力において数の論理を超越することになりますが(※時に政権維持を考えない場合になりますが)、ではこの事案、政権交代でも変わらないなら、一体何で変わるのでしょうか?
本来の命題はこちら、いったい何と交換なら政策圧力は意思決定と釣り合うのか?
政権交代でも変わらない事案は、何と引き換えなら変える事が出来るのかです。
これは類推によって力学的な観点から、ある種の仮説が立てられる事になります。
それで、当然やってあるであろう力学的な政治圧力を軽く探してみたんですが中々見つからないんですね、埒があかないので民主主義の原理についてを調べた所、そもそも民主主義って一体何だろう?そんな疑問にぶち当たりました。
とにかく、納得出来るようなまともな事を書いてる人が居ない。
これが今回のテーマ民主主義とは何だろうの動機です。
リベラル内のイデオロギーで定義される民主主義ではなく、ガバナンス(統治制度)における民主主義の本質とは。
ここら辺に迫ろうと思います。
・ガバナンスにおける民主主義の定義とはなんなのか?
私みたいな考え方の人間は、他の制度に対する優位性と差異から定義を抽出します。
先に書きましたが類推的に言えば、民主主義でよく言われる数の論理は圧力関連を当てはめるのが通例なんですが、恐らく、力学的政治圧力というのは、軍事力学が当てはまる分野になるかと思います。
えーと、政権交代を越えるような個々の政策圧力にも越えてる上でさらに差異がありまして、その圧力を受け止める弾力性のある部分が人となるからですね。
そこで圧力の最前線となる議員が、責任を取らなくて良いなら任務は果たせず、圧力は瓦解する。
与えられてる役割は軍隊と同じでしょう?
この圧力に対する弾力性において、軍事力学を類推に当てはめられるであろうと、まあこれまた肝心の軍事力学が見つからないんですが。
民主主義の採決においての数の論理とは、利害の戦争であると仮定した訳です。
よく秘書等が死んでる世界なので戦争と変わらない世界なのかもしれませんね。
ここまでは誰でもたどり着けるような比較的単純な類推。
普段民意民意と言いながら、今、ガバナンスの定義として政策圧力の差異をベースに考えないで、何故、民意の反映が何故されないのか、どうこう言われてないのはもう謎としか言いようがない。
民意が反映されないのは、政策圧力に釣り合うような圧力が加えられてないからです、そして政権交代でなしえないならその圧力は既存の選挙、政治体系では得られない。
こういう事になりますね。
政策圧力という物にたどりつけた人からすればですが。
この政策圧力の概念をうやむやにしてる事が、昨今の日本における世間の政治不信に繋がっている原因なのです。
・歴史背景からする民主主義のガバナンス(統治制度)としての特徴的な優位性
リベラル的なイデオロギーから定義しようとしてこれを考えない人が多すぎる、要は他の制度と完全に違う部分での民主主義のメリットです、旧支配層が権力闘争から敗北して出来た制度が民主主義です。
敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北による物だと勘違いしがちですね。
これね、私も勘違いしてました。
有りましたよね、一人辺りの生産性が何ドルを越えると、その社会では民主主義への転換が起こるんだと。
演繹の弱点なんですが、仮に旧支配層の経済的敗北が現実に起ころうとも、統治機構の概念(三権)からして、単なる支配者層の経済的敗北だけでは権力の移譲される確たる理由にはなりません。
何故なら三権が上手く機能してさえいれば、統治制度として権力の移譲はしなくても良い、世の中は上手く回るからです。
では、何故支配層は被支配層に政治の分野で敗北したのか?
この何故の部分が民主主義の本質となるハズですね。
私自身、納得出来るような物を探しておりまして、これは決め手だろうなというものを見つけました。
選挙前ですべきでは無いかな?今何をされてるかは存じあげませんが
録な資料が見つからないので、YouTubeで遊んでた時にですね
https://m.youtube.com/watch?v=NaQXMXmxXIY&itct
題は透明性です、透明性なんですが、ボトムアップの公平性が社会を良くするんですよと、そういう事を言ってます。
えーと、発言されてる方は片山義博さんですね、取り上げさせて頂きましたので一応紹介しておきます。
このボトムアップですね、先ほど書きました支配層敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北、これは論理上、明確な理由にはなりえませんよと書きました、でもですね、背景にはなるんです。
経済膨張が背景にあるんですね、当時新しい産業が世の中に凄い勢いで増えたんだと、そういう時に間に合わなく物が現代でも三権の中にありますよね?
そう、立法だけは、経済膨張の世の中では確実に間に合わないんです。
支配層というのは封建制度下の貴族ですね、専門外の、というか世界に生きる全員が専門外ですが、何故なら新しい産業に対する立法に専門も何もないからですが、新たに産まれ続ける問題に対処できるような立法はまずトップダウン方式では産まれようがありません。
問題提起自体が出来ないからです。
何も解らないまま差配を決めるトップダウン方式の立法は、問題を何も解決しないどころかむしろ大きくするだけという事が多々あります。
これはそう、共産圏の失敗ですね。
共産圏の失敗を持ってトップダウン方式は民主主義に敗北しました。
今はその共産圏は立法をコピーして都合良く使って巻き返しています。
立法には確実に現場の意見が必要になります、これはアメリカでも知的財産権の裁判において、現場の意見を無視して判決を出したりしていますが、これは民主主義の特徴的な優位性とはかけ離れてますね、民主主義の新たな象徴的な問題にもなりますが、それは置いておいてつまりはボトムアップ方式。
御用聞き(ボトムアップ)がガバナンス(統治制度)としての特徴的な民主主義の優位性になりますよと。
リベラル的なイデオロギーではなくね、これが民主主義の本質なりますよと。
支配層は経済的敗北によって権力を放棄したのではなく、経済膨張によって不可能になった立法をボトムアップ側に委託したのです。
フランス革命もその過程の混乱と見て良いでしょう。
ろくに統治出来ないのであるなら統治するなという事ですが。
その上でですね、初めて数の論理を取り入れなくてはなりません。
まあ、同じようにボトムアップは民主主義で良く言われる事ではありますが、経済膨張における立法をボトムアップでサポート出来るからとにかく強いんだ、他とは違う民主主義の強みであり強みであるからこそ民主主義の本質なんだ、問題はそれ以外にあるんだと理解して頂けたら幸いです。
因みに、取り上げた動画で言われてるのは行政に近い司法的なボトムアップによるサポートです。
さて、このボトムアップ、民主主義ではボトムアップから中間集団を通して多数決によって、その問題提起を立法にまで押し上げるんですが、強みの性質から上手くいかないケースがいくつか考えられます。
では、ボトムアップが上手くいかないケースとは何でしょう?
次の記事は、民主主義は上手くいかない、そんなテーマで書こうかと思います。
以上

Posted at 2014/12/12 19:01:21 | |
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