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ゆーりっく2のブログ一覧

2012年10月31日 イイね!

あれ?見当たらない。借金の歴史。

さて、かの著名な経済学者ジョンメイナードなんとかさんは、貨幣の歴史を、借金の歴史と位置付けました。


交換と言うよりは、信用の歴史である。

それが1930年の貨幣論。

まあどっちでも良い、貨幣では交換も信用も成り立つんだから。

そして、ジョンメイナードなんとかさんは、その借金の歴史で最も大きな契機、つまり、財政支出、大っぴらに言えば戦争の経済への影響の経験則と貨幣論、及び貨幣数量説から

特需景気の理論である、ケインズ経済学を打ち立てます。

私達からすれば、とにかく仮説である理論側だけを学ぶ必要なんか無いから、とにかく根拠の方から残せ、解析はこっちでするから。

と言いたい所ですね。

で、戦争の側面での話でとにかく借金をお復習したいなという所、古くはローマ帝国から、

7年戦争※1756ー
フレンチインディアン戦争※1755ー
のイギリスの多額の戦費による負債、植民地からの取り立てを原因とした

アメリカ独立戦争※1775ー

この対植民地で財政危機を解決する構図は、日本の薩摩藩の財政危機の解消※1827ーにおける、奄美群島での植民地政策※砂糖の専売制の側面で、島民は奴隷として搾取された

や、

財政危機は絡まないけれど、奄美群島型の欧米資本による、アフリカの外貨獲得によって破壊された食料自給率などを連想させます。
※奄美群島では、薩摩藩は島民に食料の自給を禁じ、サトウキビの生産を強要、サトウキビは安値で買い取られ、島民は薩摩藩の統制する物価の下低水準の生活を強いられた。
これはアフリカと変わらないよね。


じゃあ、植民地の無い他のケースではというと、
一国で財政危機を乗り越えるのですから、緊縮財政→増税がいかに経済に厳しい物であるかと解ったり。

かの有名なWW1※1914ー欧州の戦費債権問題

→アメリカの金融恐慌の欧州への波及※世界恐慌1929ー

を通して、兌換紙幣の問題は、こちら側を知ってるから定義出来るんだとか。

では、WW1の物資の供給国側だった日本とアメリカはどうだったのか。

特需景気とは実際に何なのか。

さらに、保護貿易が何故その時、問題になったのか、
そして問題になった保護貿易が何故、今、アフリカでは適用されてないのか
※ジャマイカ楽園の真実などね

そして、アメリカの財政問題やニクソンショック、及びプラザ合意の原因とかね。

そういう基礎的な根拠、つまり歴史を覚える方がね

何を言うにも、とにかく先なんでは無いのかと

知識的なボトルネックは、ここにこそあるんですから。

これが無いと、何を言っても通じないよと。

だから、まあ

こんな本はあって当然なんですがあれ?本当の飯の種だから見当たらないな?

という記事。

凡百の糞理論より、債権の歴史本なんてのの方が今の世の中には役にたちそうですね。
Posted at 2012/10/31 22:14:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2012年10月31日 イイね!

アダムスミスを繰り返そう。セイの法則の命題

さてセイの法則について。

供給は需要を産み出すとかで、労働価値説のネタ元の話、セイの法則を続けてみます。

細かくやろうって話。

これ正しくは、

供給は需要を産み出す『可能性がある』

退職したおじいちゃん達の老後の無料サービス、ボランティアが既存の地域ビジネスを破壊する事例がありまして、お金の発生しない供給、これはサービスの交換を経済上ではしてませんから、需要を産み出してません。

おじいちゃん達による供給の増大と物価の圧力で需給曲線に影響でますよ、これは反証ですねって簡単な話。

供給は必ずしも需要を産み出さない、重要な命題です。


対して間違いの無い命題、『需要するには、供給しなければならない』

これはやりましたね、破られない、破りようがないプロテクト。
真理と仮定して扱いましょうという確実な命題。


まあセイの法則も複合命題です、需給の命題はいくつかやっておきましょう。


『需要したいだけ(需給曲線から物価と限界効用に従って)供給する(したい)』

この命題から、誰が、何を需要したいのかという話は、面白いかもしれません。

労働力が需要したい物は、消費、つまり生活水準ですね。

アダムスミスはこの労働力が欲する需要に対して、見えざる手を主張してます。

パン屋のおっさんが、功利主義で物価を適正にするよと言ってるんですね。

つまり、パン屋のおじさんが、需要したい分を供給するために、値段を決めますよと言ってます。

この命題の面白いところは、実際に正しい命題は、需給曲線と限界効用側だという事。

供給側を減らす日本の需給調整からも解りますよね、今回は言葉とした方が面白いので、こちらの言葉の命題としてます。

さて、私はこの物価を決める契機部分を重要視して、見えざる手は、契機部分でこそ働くんだよと書いてます。

元締めが世の中の利潤を決めるんだとしてますね。

この命題からは、物価を決める所、つまり元締めが何を需要したいのかが、市場原理において最も重要視される事が解ります。

私はデフレを、競争ベクトルと書きましたが、

見えざる手の内容的からすれば、企業化によるウォルマートのようなデフレは

『企業が何を需要したいのか』によって、物価が決まりデフレになっている事になります。

この根拠が差異を無くして、擬似完全競争を産み出す事になりますね。

たとえば、企業が需要したいのは、利潤なんですが、まあお金だけを目的とするというのも、実は面白い命題。
利潤の確保のため方法は、たくさんあり、安価な労働力や効率化もその方法の一つです。

この方程式に乗っかると、企業が需要したいのは、実は安価な労働力であると、手段と目的が逆になるんですが、そういう事にもなります。

安価な労働力による需要→物価が、他の労働力の欲する需要→物価と対立して、マクロ的な利潤を減らすんだと、

つまり、労働価値説によるマクロ的な需要の消失、デフレが進むんだと、そういう事になりますね。

これで完全競争に近づくというのはあくまで結果論。

供給をエントロピーの類いにするのは、もうそろそろやりましょうか。

では、通常労働力の産み出す需要(セイの法則ね)とは、まあ企業の商品ですね。

労働力の需要と企業の欲しい利潤とは必ずバランスしてしまいますから、いずれ企業は安価な労働力を需要出来なくなります。

もしくは、安価な労働力を需要し続ければ、利潤側が破綻、これが均衡です。

所が、一度利潤がそうなってしまうと物価は簡単に上げられなくなってしまうんですね。

これが需給曲線の下方シフト、つまりデフレの問題。

この利潤の確保の方法論である、安価な労働力に対しては、先にやった物だけが勝てる、利潤を手にいれられるという非対称性に問題があります。

これがユニクロやサムスン、他には外食チェーン店の優位性でした。

デフレで世の中的に需要は減り文化さえも需要、消費出来なくなり始めているのだと、まあ、アダムスミスの命題整理だけでも考える事が出来ますね。(需給曲線使ってますけど)

つまり、俗に言われるデフレスパイラルの原因を、『普通なら』アダムスミスの理解の時点で完全に説明出来ると。

選好率よりは納得出来る説のはずです。

限界効用に従って効率化が云々で資本主義がは、スミスを越えるので放置。


・じゃあ、今回整理するセイの法則の命題は3つ

供給は需要を産み出す『可能性がある』

『需要するには、供給しなければならない』

物価を決めるところが『需要したいだけ(需給曲線から物価と限界効用に従って)供給する(したい)』

これこそが市場原理です。

けっしてバカに出来る命題なんかではないんですけどね。
Posted at 2012/10/31 20:55:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2012年10月30日 イイね!

何故、日本では経済学のパラダイムシフトが起きてないのか?ポスト新自由主義

山口二郎さん編書のポスト新自由主義という本がありまして、

アメリカの現状と政策について書いてあります。
認識として私と変わらないレベルでの話なんなんですが、

シュンペーターヴィジョン、つまり産業あっての経済政策という認識の欠落が、日本の経済学や政治特有の物であると書いてあります。

お隣韓国も基幹産業の基礎技術に関して防衛が徹底してますよね。

はい、低レベルなのは日本オンリーでした。

というか、経済面の政策は戦前では産業の育成はきちんとしてましたから、退化してるという。

まあ、産業の話は聖域なんだよね、属国だからという話。

あれは別のステージだから、声はかけちゃいけないよ、日本だけね。

非常に簡単な話。

その制限の中で、自分は正しいとかバカ言ってるのが日本の政治経済ですと。

さて、為替差における日本の雇用の流出は、アメリカドルの量的緩和の規模から、仮に金融緩和と財政政策を併用しようと為替面でのアプローチからの短中期的な解決は、不可能であると、まあ勝手に結論付けています。

この根拠は、その前に為替で雇用を途上国とバランスさせようとするなら、これ影響はプラザ合意からあるんですもの(笑)

という事なんですが。

大体属国がそんな事出来るかっての。

ですから、現時点での政策からの為替へのアプローチは物理的に無理難題、かつ、雇用は流出し続けますよと、恐ろしい事になってます。

他のステージからアプローチするしか無い訳で、こんな簡単な事も理解出来ない知識人が左にも右にも溢れています。

まず、政策に聖域つくってどうするの?宗教的理由からですかって話ですが。

ですから、笑える事に日本にはお金がありますが、方法がありません。

財政政策での延命以外にはね。

現状でこれが一番まともな結論と相成ってます。

延命策が正しい訳では無いですけどね。
Posted at 2012/10/30 23:39:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2012年10月30日 イイね!

んー疑問だ、頭の中どうなってんだろう?フシギ

この人らは、命題の意味をどう解釈してるんだろう?

こんなのは、只のプロテクトなんだから、プロテクトの組み方理解して、根拠で崩すだけの話ですよね。

否定出来てると思ってる?人は、教養が無いんじゃないのかなと疑問に思ってしまう。

労働価値説の否定。

これ究極にはセイの法則の命題否定ですよね。

このセイの法則の命題プロテクトの概要は供給が需要を生むんだと。
このプロテクトは相当固いんですけどね。

アダムスミス時代からの労働価値説の欠点は、供給を労働とした所かな、全部供給にするとどう?

金利や地代というのも供給というか、サービスの代価としたら、破れないでしょ。

キリスト教義は知らないから、当時の自由放任からは困るかもしれないけれど。

私からすると、不労所得自体には(何でも拡大は困るけれど)問題が見当たりませんし。

まあ、セイの法則、これ仮に破るとしたら簡単、供給をしないで需要すれば良いんです。

じゃあ破るとして、金を借りるとします、これ『供給してる』人を触媒にするんでしょ?

さらに貨幣は政府の公共サービスですよね、このサービスも省くのかって話。

政府は貨幣サービスの供給ために、税制をとっています、つまり需要してるんだから、供給してますよね。

供給は省く事が出来ないんです。

じゃあ盗めば良い、これも『供給してる人』を触媒にする。

そもそも需要って供給によるサービスの交換の結果なんですけどね。

これ私からすると、供給してないって命題上は人と接点を持たない、社会上に存在してないとかになりそうです。

そもそも破る気が無いんじゃないのかな?とも思ってしまう、プロテクトとして理解出来ないから。

ワラルスがそう言ったからとか、権威主義すぎてバカみたいな理屈ですけど、そもそも新古典派はセイの法則を捨ててなく、純粋に労働価値説のどこを否定したのかという話。

さてここで、労働価値説否定の論点を整理しましょう。

労働価値説の問題は、当時の背景とセイの法則を組み込んで、全ての物の価値が、労働投下量で決まると仮定したことにあります。

つまりセイの法則+物価の源泉は全て労働だとした複合命題。

まず、こちらの元祖労働価値説プロテクトを破るのは簡単だったと。

これがワラルスの需給曲線と限界効用です。

これセイの法則のプロテクトがどうしても残るから、これ労働価値説の『部分否定』だったんですね。

労働価値説は完全競争の世界として残ってます。

それで新古典派というのは、サプライサイド政策や、世界恐慌の政策から解るように、労働価値説からは完全に離れてません。

必ずしも、労働投下量が全てを決める訳ではないよね、例えばダイヤモンドの価値は、投下量と一致しないよね、希少性の需要と供給から決まる物もあるんだよね。

物価はともかく、潜在的にマクロ的な需要の総量で労働価値説を新古典は認めていたんだと、まあこれだけの話なんですが、世の中には需給曲線と限界効用によって、労働価値説は否定された!(果たして労働価値説が複合命題であることと、全否定と部分否定の差を理解してるんだろうか?)

と何だかよく解らない事を書く人がいるんですよね。

複合命題における部分否定というのは、まあ科学史から解るでしょ、普通は包括案による修正がなされます。

ニュートン力学は近似だから、実証主義から部分否定されてるの。
命題同士が『対立してない』なら包括案による修正モデルが通常の論理の流れ。

否定されたから、もう欠片も無いんだとかは教養の無さを自覚してない人の理屈。

じゃあ、需給曲線と労働価値説のどこが対立してるのか、こんなバカな話は無いんですから、理解のしようが、無いんです。

科学宗教(科学哲学)くらいモラルとして習おうよ。


ですから労働価値説に需給曲線乗っかりました。


新古典のその後を知ってれば、普通に、これでいい訳で。

何も知らない書きたがり屋さんが多いようですね。

願望丸出しのゴミを喧伝する理由がイマイチ解らないなと感じます。

その後セイの法則を元にした新古典派が、やっぱり恐慌を解決できなかったりしますが、
それだって、労働価値説のネタ元のセイの法則にまつわる需給の命題は、その否定を聞いた事はないですね。

労働価値説は否定されている!

なんのこっちゃと

内容の無い話でした。
Posted at 2012/10/30 01:08:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2012年10月28日 イイね!

【我執故に大正義】競争原理の行く先は

前回の記事の続きですね、インセンティブの例から人は競争を好むといった傾向は、必ずしも真理ではないという記事をやりました。

まあ競争の条件付けの細かいこと細かいこと。


それでも競争の結果、今の世の中になってるんですけれど。

さて、競争原理といえば、淘汰が組み込まれているんですけれど、競争した結果、全滅したという珍しい例もあるんですよね、

ひとつには、眉唾物ですが恐竜の卵の固さ(笑)

対哺乳類で固くなって出れないという話もありました(笑)

まあ、確実なのは、前回の記事でやりましたよね。

高次哺乳類の絶滅した日本の山林と、モアイのある事で有名なイースター島です。

これ内容は、いい所で均衡しないで山林側が壊滅したという話なんですが、

自然の回復するサイクルに合わない慢性的な消費をした結果となっております。

まあ、北朝鮮の山林と同じなんですよね、こちらは山林が回復する前に燃料にしてしまうと。

そして全滅して然るべき国民には食糧援助をするので、いつまでも回復レベルに均衡しません。

これが競争と言えるのかが課題なんですが

シュンペーターはーイノベーション理論を通して、市場原理なんてのはイノベーションの創造以外は、只の均衡淘汰ですよと言ってますね。

競争なんてのは進化の派生以外は均衡淘汰でしか無い訳です。

バランサーでも無いわけで、この代表例が先の山林の全滅と。

じゃあ何で、競争原理が大正義に思えるのかというと、

競争という言葉に対する我執が
競争原理の神聖視に繋がってて、まあ例えは悪いかもしれないけど

信心すれば大勝利と。

どこかの宗教みたいな話になる訳です。

そして対立構造を持ち込んだ時点でまともな判断が出来なくなると。

では経済の競争の行く先と言えば、マルクス経済学ですね。

供給の方法が無くなれば、需要できなくなる。

効率化で供給の方法は無くなっていくと。

これに対して競争原理が何を産み出すのかも興味の無い人たちが、競争を信心すれば大正義なんて主張をしてれば、バイアスが増えすぎて中身も見えなくなっていく訳です。

じゃあ競争原理が資本主義において何を産み出したのか、バイアスを乗り越えて確認すれば良いじゃないですかと普通なら思うでしょう。

でもそれはシュンペーターがすでにやってるんです。

破壊的創造ですね。

それで派生したイノベーションがバランサーのためだったとは、今では誰も主張しないハズです。

普通なら死ね淘汰されろという層の、バランサーの役目は今政府なんですから。

だからこそ、別の視点からそのバランサーに言及したアダムスミスを普通に解釈しろというんです。

そのバランサーとはパン屋のおじさんの功利ですね、労働者による対国家功利です。

対競争原理とは、対完全競争である非効率な供給方法のエントロピーの増大です。

利潤なんてのは、誰かが供給を通して需要しないと生まれない物なんですから、適度に非効率にして利潤を回す世の中をつくればいいんです。

そのような世の中は資産税によって利潤を無理矢理回すような物ではなく、功利主義によるバランサーのまともに働いたインフレによって利潤の回る世界だと私は思います。

非効率性が供給というエントロピーの増大になるかは、次の記事でやってみましょう。
Posted at 2012/10/28 21:17:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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