2012年10月22日
頑固というか、なんというか、
理論や思想や表層意識というのは、色んな根拠部分の劣化コピー&ペーストみたいなもんで、仏教みたいな話になりますが、それを我執とも言います。
理解に尽くすという方針を取って、色んな人と話すと、その劣化コピー&ペーストである我執、その傾向こそが人の話の比率で大きいんですよと思います。
ですから、自分は何も知らないんだと、理解に尽くす姿勢もありますが、まず、ご自身の立場を明確にしなさいと。
これが最近思う思考や議論の最低条件ですね。
この理解に尽くすという根拠は反証可能性の有無、科学哲学から、まあだらだらと長い話になりますが、誰の心(頭)にも論理が宿っていると
その上で、立場によるバイアスからは誰も逃れられないのだから、様々な根拠が、表層意識にたどり着くまでに、こんがらがりますし、根拠自体が違うときもある、さらに、整理する力が未熟な場合もある。
でも、その事を理解していれば、人の話の理解に尽くすという事は、訓練さえ積めば、そこまで難しくないんだと、思うところであります。
ここに我執と理性の境界があると、私は思います。
この理解に尽くす行為が、相手の理解に繋がらないところが、また人生の面白さでもありますが、
相手の話を整理して理解する、さらにその間違い探し。
ですから、当ブログでも紹介しています、どんなに下らないと思っても、
先に哲学者診断でもして、自らのバイアスに気づきなさいと。
http://www.visualecture.com/type/index.html
ですね。
我執で自らを迷わせないようにです、はい、細かい説教。
私はこういう小言が好きなんです(笑)

Posted at 2012/10/22 20:17:59 | |
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2012年10月18日
さて、経済学全般を需要に直して整理してみましたが、
最近の傾向として
今、反科学が流行ってるんだろうな、と思う節があります、それは人類に対する呪いでもあり、まあピーターの法則からすると多数はそんなもんだろうというブラックユーモアみたいな結論も出すことも出来ると思います。
※ピーターの法則
何故、世の中は無能で溢れるのか→壁に突き当たるまで出世するからというイグノーベル賞をもらった法則
経済学においては、論理学を無視した等号も理解出来ない主張が、特に顕著なのかなと感じます。
今、一部の現実からかけ離れた主張が科学により不信感を持たせる原因になっています。
では、肝心の科学の歴史はというと、キリスト教のバイアスから逃れるための欧州の科学者たちの必要とした実証主義への流れから、反証可能性の有無という科学の定義が生まれるまでと、中世の呪いからの解放が科学の道でした。
その流れは、結局はギリシャ哲学から派生した論理学に帰決します。
結果として、学問の論理学への帰決でまともな答えは極少数になるハズでした。
現代に呪いが巻き起こるまでは、ですね。
私が思うにこの呪いは人の意思であるという事。
我々は呪いに注意しなければなりません。
経済学でも同じ事。
答えは極少数しかないのに、都合の良い呪いで溢れています。
もし現代にも魔法があるなら、それは真理などではなく、こちらの呪いの方なんだと最近とみに思います。
まあこれが原理を知ると私にとっても都合の良い魔法でありまして(笑)
何かしら思い付きましたら、また書こうかなと思いますが、モデルの方が一度完成しましたということで、
ペースは落ちますよと、しておきます。

Posted at 2012/10/18 10:04:19 | |
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2012年10月11日
ガソリンを入れに行くとね、自分達で生産性を落とすために頑張る人達が居ましてね。
※まあ、定員がカード作れと言ってくるわけですよ
でですね、マーケティングも多少はかじってるので、生産性の上がる可能性は多少は残しますが、
あれただ人が余ってて、何となく目標を設定してるだけなんじゃなくて?
成果主義というのは、成果のベクトルが間違っていても、成果を求めます。
なんだかなあ、と思ったという話。

Posted at 2012/10/11 18:28:55 | |
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2012年10月10日
バババと行きましょう。
新古典の需給曲線と限界効用を組み合わせまして、過剰供給が起こす、構造的なデフレ不況を、マクロ経済学上の負の需要の拡大として簡単に定義しました。
そのプロセスの一部である、『効率化』に集中して取り組んだのが、マルクスです。
効率化すれば、慢性的な過剰供給になるよね、新古典からの知識からして、需要が無くなっていくよねと。
→資本論での予想
一方、アダムスミスの自由放任は、物価を労働者の裁定に任せる事で功利主義によって見えざる手が働くよと言っています。
こちらは、企業化によって、労働者による物価の裁定、見えざる手が働かなくなるという予想でもあります。
これらと一線を画するのが、バブル理論。
木下栄蔵さんの負の経済圏も引用しましょう、利潤のデリバティブの成長と崩壊です。
この突発的に起こるバブルの穴埋めにはケインズの需要理論を
デフレ不況への問題提議は大きく分けて、この3つにわかれています。
デフレの理由でよく言われる選好率以前に、明確化された、経験則が多すぎると思いますけどね(笑)
これ出すのはグローバリゼーションの言い訳と違うのかと。
マルクス経済学の欠点は、消失する需要の代替案を、財政や、昔ながらの供給統制、アダムスミスの見えざる手にではなく、労働者による資本家への革命とした点だと私は思います。
まあ、最終的に彼がどんな経済圏を目指したかは知りませんが。
それでも失った需要の分、お金が資本家に移ると予想した所は立派。
利潤は空から降ってこないんだと、この点が貨幣中立説に則してます。
※何気にケインズの小文と一致
ここから大きな命題にまとめて、彼は資本家による利潤の搾取が起こると予想しました。
この予想の基礎理論が、
利潤の傾向的低下の法則です。
そして、効率化に従って起こるハズの同法則を覆すのが、破壊的創造、イノベーション理論だと、後のシュンペーターが主張しました。
ケインズの需要理論は、失った需要を財政政策によって、埋め合わせるという物。※利潤の埋め合わせと不良債権の処理
最近の経済が修正資本主義と呼ばれてる時点で、マルクス経済学がそこまで傍流ではないことも注目です。
では、マルクス経済学とケインズのマクロ経済学、枠組みとしての差違は何なのか。
これ、自分達がと言わなければ、あんまり差違は見当たらないんですよね。
論点が対立してないから。
利潤の傾向的低下の法則は財政政策をやめたら観測出来るでしょね、くらい
ここから提議された他の命題の方も興味があります。
両者が指摘しています、貨幣中立説的な問題からくる、後の自由資本問題。
それによって成立する搾取問題も取り扱った方が良いのかなと、そう思います。。
それでも、デフレ不況はデフレ不況。
『手遅れじゃないなら』供給調整くらい取り扱った方が良い世の中ですね。

Posted at 2012/10/10 23:46:33 | |
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2012年10月10日
さて、限界効用と利潤の関係をやりましょうか。
これは、極端に言えば、過剰供給による物価の低下により、利潤、生産性が赤字になるという物。
※農業、漁業の世界
この赤字をマクロ経済学に組み込むならどうしましょうねと。
伝統的な需給曲線に組み込むなら、限界効用のラインを需給曲線に設け、限界効用を越えた供給が物価の低下を経て需要を下方にシフトさせるという物。
当然考えられる、超簡単なアイデアですね。
※フリードマンの問題視する長期的な不況のモデルと酷似するハズです。
需給曲線上にラインがどこにも見当たりませんが。(笑)
これが需給曲線で簡単に指摘できる欠点です。
新古典なら新古典らしく限界効用を組み込もうよ。
ままま、過剰供給はアイデアとしては当然ありましたから、この供給を絞る政策は、世界恐慌で古典派の主張からやったそうですが、当時問題になったのは、虚業を起点にした金足らず、つまり、不良債権の増大による機能不全と雇用不足でした。
それを供給をごちゃまぜにして、供給側を削っちゃったんですね。
結果、悪化。
供給制限は平時にやろうよ(笑)
この出来事は経済の可逆性の問題を含んでいて面白いかと思います。
※シフトが戻らない
その後政府は財政政策で、需要を穴埋め。
インフレで不良債権が処理されサービス業が回り始めて回復します。
で、供給制限自体珍しい話で無いし、主な失敗例として上げられる世界恐慌は論点がずれてたという話ですね。
珍しくないというのは、カツオ(何でもいいんですよ?)を出荷制限したり、キャベツを潰したりです。
この利潤(生産性)の赤字をマクロ経済学で計上するのは少し難しいし、フローにすると、赤字はどこにいれるんだという話。
まあ難しい話ではないんですよね。
加算が出来るんですから、減算も出来ます。
この加算とは例えば財政政策。
当ブログの立場は一貫して、取り合えず需要に直しましょうね、効果は他で考えるとして、整地して考えましょうね、ですから、財政政策を需要だとして、そのまんま反転、波及と乗数効果で、一部の過剰供給によるデフレが経験則通り、不況の原因となる事を予想します。
※需給曲線+限界効用
というか、これがかつて欧州で繰り返されてきたデフレ不況でしょう、普通に考えて。
※縮小は、赤字の応用。
実は不況じゃなかったんだよじゃあ、マルクス経済学の生まれて来た前提が無いわけですから。
さて、ケインズ式の需要理論と需給曲線及び限界効用を組み合わせ利潤の赤字→デフレ不況を予想しましたが、マルクスは、この利潤の赤字を効率化のプロセスを抜き出して面白い解釈をしましたね。
次あたりは、そこら辺の需要理論とマルクス経済学のカイ離から利潤の傾向的低下の再定義に向けて、考えてみましょうか。
※デフレに対する見えざる手の長期的な機能不全は、産業単位の慢性的な過剰供給の話になると思いますが次回で。

Posted at 2012/10/10 19:05:37 | |
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