2013年02月27日
さて、最近の記事の続きになります、組織論ですね。
哲学史から、哲学が組織に実用性を求められながら、その実用性によって安定し始めた大きな組織運営から、逆に哲学が疎外されるサイクルを、組織の腐敗と仮定しました。
そして、組織の腐敗仮定である、権力の集中に対して、メリットとデメリットを定義。
そして、今回の記事は、組織論です。
まあWiki社会科学(組織)から
『社会科学において、組織という用語は様々な用いられ方をしており、唯一の定義が存在しないバズワードとなっている。学問領域や、組織を捉える視座によって、対象とする範囲や定義は様々である。
社会科学における組織
社会科学は、現代の制度や組織 (institution) を研究する学問である。人体を構成する器官のように、個々の組織は何らかの機能を持っている。一般的には、組織は「共通の目標を達成するために、計画的に調整される、人々の行動」のように、厳密というよりはむしろ緩やかに理解されている。この行動は、通常は公式的メンバーシップおよび公式的形態によって構成される。社会科学では、計画的な公式組織と、非計画的な非公式組織を区別するという特徴がある。制度の観点から組織を分析する前者の立場にたてば、組織は諸個人の永続的な形態と理解される。組織を構成する諸要素やそこでの行動はルールによって決定されるため、タスクは分業と調整のシステムを通じて実行される。
組織は、構造(メンバーシップ、階層構造、ポジション)、コミュニケーション、自律性、組織を集合的主体として行動ならしめるルール、などから定義される。諸要素を計画的に調整することで、組織は個人で対処できる能力を超えた問題を解決できる。組織の利点は個人の能力を強調・追加・拡張することであるが、計画的な調整を通じて惰性と相互作用の減少が生じるというデメリットももたらされる。』
最後のデメリットに関しては、別の話もあるんですが、概ねこのとおり。
さらに組織の定義を魅力的にするために引用を続けます。
『組織の特徴
組織は集団や群衆とは区別される。組織には、集団や群衆には存在しない、以下のような特徴がある。
共通の目標
組織には、組織に属する成員(メンバー)間で共有される、共通の目標が必要である。共通の目標がなければ、同じ時刻・同じ場所に居て同じ行動をとる人々の集まり(例えば劇場に集う観客など)も、組織とは言わない。
分業と調整のメカニズム
組織には、複数人で共通の目標を達成するにあたって必要な組織全体の仕事やタスクの分業と調整を行うメカニズムが必要である。共通の目標が人々によって共有されていても、個々人が個別的に仕事を遂行するならば、それは組織とは言わない。
分業:組織全体の仕事を分割し、個々人に割り当てること
調整:分割され個々人に割り当てられた仕事を統合し、組織全体の仕事として完成させること
組織構造
組織が大きくなる(組織を構成する成員の数が増える)につれて、組織は機能や目的に従って何らかの構造を持つようになる。構造は
組織図などによって明示化されることもあれば、暗黙的に生じることもある。』
組織の定義が出来ますね。
共通の目標を持ち、同じ運営内で動く複数人、これが組織といえます。
共通の目標も面白ければ、組織図も面白い。
今回は材料探しから始めるという事で、大体のまとめは既に出来ているのですが
まあ、流れと結論から。
組織では、目標を命題とした、選択された戦略と同じ構造の、組織図が作られ、それぞれの工程が、分業にかけられ組織図によって、精査されていきます。
※組織図も他の記事でやりましょうかね
この工程の精査の確率が問題。
精査は、相互、または広範囲で複数人によって行われてミスは減らされていきます。
汚職を、工程上のミスと仮定(色々考えたのですが、どうも結果論ミスと変わりません)
組織図により、トップダウン型とボトムアップ型の汚職の構造を解析。
組織図上で大規模な穴が空き
精査に欠陥が
出ることを、汚職と言うのだと、仮定しました。
結果、一部の人材が穴になる事により、精査の確率はガタ落ちになります。
そして、組織図上で確率の穴から、汚職を未然に解決という流れ。
材料は
戦略
工程精査を相互にかける事により変わる確率
組織図
ボトムアップ、トップダウンの汚職の比較
大体こんな感じで、次の記事から、まとめていきましょう。

Posted at 2013/02/27 17:18:32 | |
トラックバック(0) | モブログ
2013年02月21日
さて、構造解析を済ませてあるので
汚職を防ぐアイデアは簡単に出来るハズです。
前の記事では、公共事業と民間事業にカテゴリーをつくり、汚職が国家に大きなリスクを与えるケースを限定しました。
カテゴリーのお復習
カテゴリー4:国家レベルの集中投資でのみ可能な事業(中央集権でのみ可能と仮定)
カテゴリー3:地方自治レベル以上の投資でのみ可能な事業
カテゴリー2:地方自治レベル以上でより円滑に進むが、民間にも可能な事業
カテゴリー1:民間で円滑に進む事業
汚職が大きく国家に悪影響を与えるハイリスクなケースを、カテゴリー1に国家が介入するケースと、全てのカテゴリーで財源を無視するケースとしました。
汚職側と制度側の、リスクとリターンの、非対称性が問題なると書きましたね。
となると、この財源とカテゴリー1の汚職さえ防げれば、影響は限定的となる訳です。
一般的な欧州の解決策は、ご存じ、オンブズマンと、情報公開と、小さな政府となります。
ところが哲学命題からすると、問題は、汚職側と制度側のリスクとリターンの非対称性にこそある訳ですから、
汚職は根本的には解決しません。
本来非対称である、汚職側のリスクに伸縮性を持たせる事こそが、根本的解決の一手になると、まあ普通の人なら考えますよね。
例えば
それは
サイコロになります。
考えてみれば、カテゴリー1と財源の汚職は制度側にとって、致命傷になる訳です。
この致命傷にあたる制度側のリスクに対して、汚職側のリスクは限定的です。
この汚職側のリスクに伸縮性を持たせるには、定量的な量刑では端から不可能です。
そして量刑の伸縮性は人治の余地となって、法治主義に反します。
この伸縮性と法治の問題を、機会の平等であるサイコロが解決してしまうのです。
・カテゴリーとリスクに相対する機会平等のサイコロ量刑が、伝統的な、汚職制度を崩壊させる可能性がある
原理的な構造原因に対してアンチ構造で考えると、これも一手段ですよという話。
恐怖政治とも取れるんですが、公職が自らの職に畏怖や責任を持たないでどうするのという話でもありまして。
一般的な解決を進めると同時に、制度に負担を与えた上で、何も解決しない定量的な重罰化ではなく、多面ダイスの量刑に死刑に相当する刑を入れリスクに伸縮性を持たせなさいという話。
死生観的に冷たい提議かな。
以上。

Posted at 2013/02/21 22:07:02 | |
トラックバック(0) | モブログ
2013年02月21日
哲学史からの題材ですね。
国家と論理哲学の対立です。
その前に注釈。
何故、ギリシャ哲学を追い出したキリスト教圏が、再びギリシャ哲学を必要としたか。
Wikiのトマスアクィナスのページから引用
『神学
トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。
トマスは、このような時代背景の下、哲学者アリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナやアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として理論的に対決する必要に迫られていた。
また、トマスは、同様に、
アビケブロンのみならず多くのユダヤ人思想家とも対決をしなければならなかった
。トマスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのであり、哲学は「神学の婢」(ancilla theologiae)であった。』
イスラム哲学の発展とほとんど同じ理由なんですね。
これもWikiイスラーム哲学のページから拝借
『イスラム世界へのギリシア文化の移入(翻訳時代)
7世紀にイスラム世界が成立すると(この辺りの歴史は、イスラム帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝の項を参照)、ムハンマド
の死後、正統カリフ時代を経て、アラブ人至上主義を取っていたウマイヤ朝が750年に滅んだ後アッバース朝が成立した。アッバース朝は非アラブ系であったペルシア人からの支持もあって、アラブ人以外のムスリムたちにも道を開いた世界帝国へと変わっていった。この支配下には、ペルシアやエジプトといったギリシア文化の影響が色濃く残っている地域も含まれており、そこには哲学をはじめとする医学・数学・天文学などの諸学問が、ギリシア時代のものからエジプトやシリアなどの東地中海沿岸の各地に残っていた。アッバース朝は、バグダードにシリア人学者を招いて、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させた。イスラーム哲学の起源のひとつとして、アラビア語への翻訳活動があるというのは、見逃せない事である。
哲学に関していえば、キリスト教とギリシア哲学の対峙において、反駁のためあるいは哲学的方法によるキリスト教の思想的展開をさぐるため、ギリシア哲学の接受が行われた。シリアのに正当性を持たせるため、哲学的な方法を用いていたので、アッバース朝の支配下にあっても哲学の文献が残っており、イスラム教徒たちも利用することができた。
5世紀から10世紀にかけて、シリアのキリスト教徒(ネストリウス派のキリスト教徒)はアリストテレスの文献、ポリュフュリオス、
偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの著作をギリシア語からシリア語に翻訳した。これは主に
エデッサのネストリウス派またレサイナとカルキスの単性論派にになわれた。
832年にアッバース朝第7代カリフ・マアムーンはバグダードに翻訳を行う官庁をおいた。これがいわゆる知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)であり、ギリシア語や
シリア語、パフラヴィー語に加え、インドからもたらされたサンスクリット語
などさまざまな文献が集められ、これらを相互に翻訳・研究が行われた。特に医学の他に天文学・占星術関係の文献の翻訳が盛んで、天文台や図書館などの施設も併設されていた。日常の礼拝や農事暦に関わるなどに暦の制定にも天文学や占星術の知識は欠かせない存在であったため、この時代の翻訳業や観測の事蹟は後世のイスラム社会や諸政権にも多大な恩恵を与えている。また、同時にアッバース朝は
クーデターによってウマイヤ朝を打倒して誕生した政権であったため、自らの政権の正統性を立証するため論理学的な知識を欲していた面もある。これによって
アリストテレスをはじめギリシアの諸著作およびアリストテレス註解書がアラビア語圏に紹介されたが、ただの知的欲求というよりも、『オルガノン』や『トピカ』などに代表されるアリストテレスによって確立された論理学の方法論を体制側が学ぶためという現実的な要求もあった。しかし、同時にこれによって古代後期の新プラトン主義の影響が濃いアリストテレス解釈が紹介されることになる。
またさらに、このシリア語(中には、ギリシア語からの翻訳もあったが)がキリスト教徒らによってアラビア語に翻訳されていた。これにより、ムスリムたちにもギリシア哲学の研究が可能であった。この翻訳は、現在みても高水準の正確さのものもあった。これにより、ムスリムたちも、
ネオプラトニズム、アリストテレス、プラトン、プロティノスなどを翻訳することができるようになった。ただしムスリムたちがアリストテレスの著作と考えていた著作が、実際はプロティノスのものだというように、若干の誤伝があった。またムスリムの哲学者たちは、医者や数学者でもあったので
アルキメデスやガレノスなどの著作も翻訳された。』
ここでも、哲学に実用性が求められていることが解ります。
歴史としてみると哲学を必要とする時代が、輪廻してるようにも見えますね。※サイクルとしますが
・国家腐敗(汚職)の問題点
哲学を追い出すことが、腐敗なのかと言われると甚だ疑問なのですが、まず腐敗と仮定してしまいますよ。
汚職の問題点というか、取っ掛かりから、全体の構造を調べる事にします。
・腐敗を権力の集中と仮定して、中央集権制になるとします、中央集権制のメリットとデメリットとは?
持論なんですが中央集権のメリットとデメリットとは、投資効率とリスクの差となります。
ここら辺は、投資効率とすると、一般的に反論が多い話なので、先に階層を『つくって』しまいます。
カテゴリー4:国家レベルの集中投資でのみ可能な事業(中央集権でのみ可能と仮定)
カテゴリー3:地方自治レベル以上の投資でのみ可能な事業
カテゴリー2:地方自治レベル以上でより円滑に進むが、民間にも可能な事業
カテゴリー1:民間で円滑に進む事業
パッと1から4まで簡単につくりました、カテゴリー1を中央集権がやると、リスク分散の面でハイリスクという説で、かつての共産圏の失敗はここにあります。
一般に新自由主義の片割れが主張する民間にすべて任せるべきカテゴリー4と3は、実は民間では不可能とする説ですね。
まあ今作ったんですけど(笑)
この説の証左はインドのインフラ整備の後れと、中国のインフラの格差に現れています。
では、汚職がどこに該当するか、これは汚職の割合にしたがって、税が徴収されるだけで、根本的に投資が行われないという話になります。
投資を行わないメリットも実はありまして、結果的に緊縮財政となりますから、貿易収支の改善に繋がります。
さらには、カテゴリー2以上の投資誘致に関しての賄賂でしたら、リソースによりますが、投資が円滑に行われる可能性まであります。
やはり、問題はすべてのカテゴリーで財源を無視する場合と、カテゴリー1に汚職が及ぶ場合です。
結果的にハイリスクとなるハズですよね。
・では、哲学と汚職どこで対立するのか
基本的に、汚職は財源を無視した方が儲かります、または、経済の大部分を占めるカテゴリー1で汚職をした方が儲かります。
となると、ハイリスク、ハイリターンになるハズですね。
汚職側のハイリターンに対して、リスクを負うのは、社会制度になるので、この左右非対称性から、汚職は、財源とカテゴリー1に拡大していきます。
制度側がこれを止めるには、哲学上の倫理学もしくは、今作ったような同理論に理由を求めるしか無い訳です。
まあ、財源だろうがカテゴリー1だろうが、汚職の拡大に従っていずれ破綻する訳ですが。
ここから、汚職側は、哲学を追放してしまう傾向にあるのでは無いでしょうか。
つまり、根元に利益の最大化がある訳ですね。
次の記事では、汚職を防ぐには?を少しやりましょう。

Posted at 2013/02/21 21:27:56 | |
トラックバック(0) | モブログ
2013年02月21日
多少面白い提議が出来るかと思います、哲学史から。
国家と哲学ですね。
まず、やんわりと哲学史を見ると、ギリシャ哲学が残った事が大きいんですが、疑問に思うのが、中国と欧州の国家的な都合で消失した哲学。
この哲学が何故、当時のイスラム教圏において例外的に保存されたのかです。
調べるとイスラム哲学の発展が面白いんですが、宗教と哲学が共存しながら時として対立していたように、国家と哲学も共存及び対立関係にあったという事が解ります。
長い目で見ますと、初期から中期にかけて必要とされた哲学が、国家運営の安定に置いて中期から後期に追放されるという決まったサイクルが見られます。
ここを読むような変わり者の皆さんにとって、これはヨダレの出る話かと思います。
組織の硬直性というか、長年の権威から来る汚職ですね。
これにとって、哲学は非常に鬱陶しい物になるようです。
結果、権力側が組織に必須の哲学論理という概念を追放してしまうのです。
そして組織は、滅んでいくと。
そう考えると、小さなポリスの集まりであるギリシャで何故哲学が発展したのかの土台も面白い。
大国の論理が、哲学の目を潰していくようにも見えるんですね。
これは今の日本の教育にも見られるかと思います。
長期的にアカデミズムは、国家(内の権威)の敵である。
ローマ帝国の衰退も塩野さんにお話伺ってみたい所ですね(笑)
提議ここまで。

Posted at 2013/02/21 15:46:53 | |
トラックバック(0) | モブログ
2013年02月21日
論理学の成り立ちから
哲学史に興味を持ちまして、科学の成立まで、ざっくりまとめますので、ご紹介。
哲学というと何だか解らない方が多いかと思いますが、19世紀前半までは学問全般の事を差しました。
解りやすい分類としては
哲学は19世紀初頭に
形而上学(感覚ないし経験を超えた概念の学問)
と
現象学(具体的事象への分析記述)
の色分けが行われます。
この内、現象学が解釈学を通して、科学へと結実します。
17世紀のデカルト『方法序論』からの原則、またWikiから引っ張りますよ(笑)
『明瞭判明の規則:明らかに真理と認められたものだけを判断の基準とする。
要素分解:解決可能な要素に分解して考察する。
具体から抽象へ:単純なものから複雑なものへと順番に認識をすすめる。
総合:見落としがないことを十分に確かめて、完全な列挙と再構成により全体を再構成する。』
この原則と
20世紀前半のポパーの反証可能性の概念が結実、
科学と擬似科学をようやく区別出来るようになりまして
科学の成立と相成りました。
これで哲学の簡単な分類が解ったかと思います。
形而上学と現象学と
現象学内の派生である科学、そして擬似科学が
歴史から見た場合の哲学です。
※定義上の狭義では違うんですけどね。
科学の成立を先にやってしまいましたが、
哲学の前提条件から考えてしまいましょう。
・世界に独立派生した(であろう)哲学の多くは実用性を求められた、一方それらを結実させたギリシャ人はとにかく暇だった
哲学の前提条件となると、知識の蓄積及び共有が求められます。
まず記録媒体の成立及び
論理学となるんですが
重要なのは、その実用性でした。
・宗教に見られる形而上学とその実用性
形而上学と聞いてなんぞやと思われる方は多いでしょう。
経験や感覚を超えた概念の学問です、例えば魂とはなんぞやが、形而上学。
哲学史は尺度との戦いの歴史でもありまして、尺度のはっきりしない古代では、全ての哲学は形而上学でした。
形而上学が、まず何に使われたか、宗教→神学です。
・哲学には叩き台が必要だった
疑問に思うこと、驚きを持つこと、哲学には切っ掛けが必要です。
古代エジプトでは、定期的に氾濫するナイル川から
幾何学が発達、ピラミッドに発展しますが、
一神教から氾濫する宗教もまた、哲学(学問)の対象になりました。
・叩き台→実用性
人に本来備わっている、数式的演算による真偽の問い、これを発展させたのが論理学ですが、論理を用いて叩き台から実用性を見出だす事に哲学は使われました。
宗教で正統性となりますね。
この古代エジプト含む宗教哲学及び幾何学の隆盛のあった、古代オリエントのほとりにですね、水運でなりたつ交易と、貧乏な農業、そして奴隷性で成り立つギリシャがございまして、
それぞれ、説明したいところですが、ざっくり割愛(笑)
本当に、実にもならない形而上学が発展します。
ギリシャ人は、世界は何で出来てるの?を古代オリエントや自らの宗教を叩き台から産み出したのです。
そこで発展し実用性のあった物が、物事の真偽を一時的に見極める、論理学でした。
・ギリシャではソフィスト、他方独自に中国では弁者が活躍しはじめる
詭弁を含めた弁論術ですね、論理学の類いが哲学では発達します。
中国の論理は知識を基に、故事に倣う事を基礎とします、これも論理の延長。
→ソクラテスが勉学から離れた弁論術に反発死刑→弟子のプラトンがソクラテスの死を叩き台に、政治について哲学を始める
この政治の叩き台は後に類似例が見られますね。
プラトンは物事の本質をイデアとし、善のイデアという概念を構築、物質と善を結合させました。
さらにアリストテレスが、物質と善の結合であるイデアを分離、
倫理学を独立して成立させました、倫理学の発達です。
・ギリシャ哲学の終焉
その後、ローマ帝国の異教禁止令により、宗教色の混在していてギリシャ哲学は終焉を迎えます。
アカデメイア閉鎖。
・ギリシャ哲学はイスラム哲学に受け継がれる
欧州は、世に言う暗黒時代の到来です。
キリスト教圏は宗教裁判が行われるようにもなりました。
まともな学問の出来ない中で、消失されるかと思われたギリシャ哲学は、イスラム教圏に受け継がれます。
中でもアリストテレスの哲学は、ラテン語に翻訳され、欧州に逆輸入されました。
因みに中国の弁者は、論理の使い道以外は消失してしまいます。
※墨家ですね。
こちらも、キリスト教と同じように支配のための儒教が発達。
・欧州で逆輸入された哲学では尺度が問題になる
暗黒時代だった欧州では、逆輸入されたギリシャ哲学と神学との融合がありますが割愛
科学革命と呼ばれる曖昧な時代に入り、欧州は哲学の尺度と格闘していくことになります。
即ち、自らと世界の境界はどこにあり、どの尺度によって、真理を哲学するのか。※科学の話なんですよ(笑)
デカルト、カントと尺度の問題は続き
尺度の問題はドイツ観念論として、結実します。
もう近代の話。
・フッサール:現象学
具体的な物に限定しようよ(笑)
・ハイデカー→ガダマー:解釈学
今までの解釈はキリスト教バイアスが強いよね
・科学の成立
ポパー「反証可能性によって、取り合えず科学と擬似科学を区別しよう。」
※形而上学の価値が損なわれていないことに注意
以上が、ざっくり哲学史の内容となります。
また細かいカテゴリーや、時代背景等があるんですが、興味がある方はご自分でやって下さいな。

Posted at 2013/02/21 13:05:58 | |
トラックバック(0) | モブログ