2015年03月04日
えーと、昨今問題になっている様々な社会問題に対してですね、多種多様で様々な見識と色々な解決案をお聞きしますが、
何故、これほどまでに、世論はまとまった意見にならないのか?
これらの意見の相違、不協和音は、只の個々のポジショントークではなく、知識的なネック、ボトルネックによる特徴的な階層毎の相違によるものでは無いのだろうかと。
では、そのボトルネックとは何なのだろうかと。
最近、そういう事を常々考えてまして、まず個々で使ってる解法そのものが違うのでは無いのだろうか?
という、とある答えに行き着いた訳でございます。
今回の記事は
・社会学への解法
と題しまして、軽い分析哲学的な問題へのアプローチ方法、ここら辺を書いていこうかと思います。
実は、問題へのアプローチの流れは決まってまして
問題の分析(認知)→解決方法の提案(判断)→実行
この流れの中の到るところで、その時使うべき解法が解らないと、または解法がある事自体知らない、権威的な提案が絶対的に正しいと勘違いしている、よって最終的に出る意見が出すべき結論と全く違うという現状になると、この解法を知らない事は、多数決の合意形成にも反する事に繋がります。
解法を知らない人々はコントロールが容易だからです。
実際に、他をコントロールしたがる一定の層は、溢れ出た問題を解決に導く事は一切考えずに、どうしたら問題を他をコントロールするために使えるかを念頭に解決案を出します。
一種のサイコパスと呼ばれるような人の思考方法です。
そのような他にコントロールされるための解決案を優先した状態を放置すると、より問題は複雑化し大きくなります。
・個々がきちんとした社会問題へのアプローチをとる事が、民主主義の大前提である、そのために、正式なアプローチ方法を知ろう
正式なアプローチの結果出来た合意形成なら、ある程度正しいのではないだろうか?という正しさを保障しない本末転倒な考え方ですが、民主主義の強みは社会問題への対処療法ですから、その内正しくなるでしょうと、これが一般的な考えですね。
・認知へのアプローチ
では、認知へのアプローチ方法を書いてみましょう、問題の把握は最大の難関でもありまして、個人の知識をベースに問題の把握能力が飛躍的に伸びる、または低下するという、難点を帯びています。
一番肝要な点は、他をコントロールしたがる層は、この認知にこそ介入してくるという事です。
実は、前述した知識量による問題の把握の差は、他からの認知への介入によってより大きくなる事が多いのです、ですから、認知においては、自ら問題を分析する解法とその分析時間をもっていなければなりません。
また、最初に得た知識は他からの介入というバイアスのかかっている物と覚えておきましょう、そして自身の認知が不完全であるならば、その問題における判断も出来ないとも覚えておきましょう。
社会学へのアプローチの基本という物は、時間と解法の正しさなのです。
・社会問題の認知へのアプローチは、一般的には、帰納的アプローチと、シンメトリー(左右対称性)的アプローチを用いる。
帰納的アプローチとは、論理学で用いる帰納法の事です、問題提起をそのまま受け入れずに、過去の類似例または同一の例を並列に用いて、提示された問題提起及び解決案が、実際に解決されたのと同様の方向に向いているかで、その問題提起が実際に正しいかどうかを確認(真偽判定)します。
我々が歴史を勉強するのは、この帰納的アプローチのためにあります。
帰納的アプローチを知らないのに歴史を勉強しても一切が無駄です。
これは解法を知らないのに、問題を知るのと同じだからですね。
また、帰納的アプローチを用いない認知は認知とは呼べません。
帰納的アプローチでは、提起された問題は、過去の類似例もしくは同じ問題と、恐らくはほぼ同一問題であろうから、帰納的アプローチ内で例外は起きない、という並列化による真を問う論理となっています。
この帰納法による論理は、科学の反証可能性にも用いられていますが、極めて強い根拠、論理構造内の抜け穴を用いなければ、その例外を認めないという相当強い論理になります。
ですから、きちんとした帰納法を用いていれば、全く逆の認知にはなりにくいというメリットを持ちます。
また、判断に対しても、帰納的アプローチは有効に作用します。
つまり、帰納法とは知識内において、変な例外を認めないという論理です。
知識量が真偽の強固さのベースになりますよね。
・シンメトリー(左右対称性)的アプローチ
帰納法と同様に強力な論理になるのが、このシンメトリー的アプローチです。
前述した帰納的アプローチと、このシンメトリー的アプローチは両者を組み合わせて使うのですが、二つの強力な論理によって、認知における真偽判定の内容をより強くします。
基本的に、社会問題はひとつの要素ではなく、複数の要素によって出来ています。
複数の要素をそれぞればらして一つにして、何が問題の核なのかと考える事が社会学への解法となりますが、
この要素、単一で真となる要素は完全なシンメトリー(左右対称性)を保っているという特徴的な論理構造を持っています。
シンメトリーであるという事は、逆にした時に一切の狂いがないという事になります。
例えば話題の
円安なら不況になる→
このシンメトリーは
→円高なら好況になる
です
このシンメトリーに帰納法を組み合わせますと、円高不況という例外が生まれますね。
ですから、円安なら不況になるという問題提起は、シンメトリーと帰納法によって完全な偽となります、逆もまた然りです。
よって、通貨問題+景気問題は、単一の要素ではないという事が解りましたね。
シンメトリー的アプローチの面白い所は、左右対称性の方向性が同一ではなくとも強くなると、問題提起がより正しくなるという特徴を持ったところにあります。
よって、円安なら不況になるという問題提起はむしろ全くの出鱈目に近くなります。
・シンメトリー的アプローチによる左右の非対称性の発見は、問題の核を教えてくれる
さて、社会問題では要素毎に全くのシンメトリーを得る事は中々出来ません。
ですから、むしろ、シンメトリーによる真偽ではなく、左右対称性からどう外れているのか、これを非対称性と言いますが、非対称性の追求の方がシンメトリー的アプローチの本質と言えます。
例えば、人間の素晴らしさとは何なのか?
このような問題も左右対称性の綻びからアプローチします。
素晴らしさを考えるには、悪辣非道が完全な対になっているかを確認するのです。
また、左右対称性を持ってない要素を探して見るんですね。
では、今回はここまで。

Posted at 2015/03/04 20:01:27 | |
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