2015年04月23日
えーと、久しぶりの投稿になります。
最近、帰納的経済モデルの帰決の妥当性と
資本主義と民主主義の相違点について考えてます。
20世紀は経済学にとって非常に面白い時代でした、産業革命の終末期で世界がデフレ化→WW2という巨額の財政赤字による公共事業→ケインズの作り出した需要管理主義VS共産圏による供給主義→需要主義と民主主義の勝利という時代です。
私はかつてこのブログでですね、民主主義の発展は、一般に重商主義で悪とされる、需要(消費者)の肯定(保護)という側面によってなされたとしました。
需要して自らに投資した側が勝者なんだと、これが資本主義の特徴でありまして、需要のために消費者を保護するのは当たり前である。
今各国は需要を無視して、投資の呼び込みにやっきになってますが。
その意味では、個人が産み出すには足らない需要(消費)を、国家が作り出すというケインズ経済学は、消費者、つまりは人、我々一般人に対して非常に優しい経済学でありました。
競争原理によってパレートから外れ生きる価値を失った人たちを、消費者として生かす意味がケインズ経済学では出来たからです。
一方の供給主義、即ち共産圏では、競争原理によって人々が経済的に生きる価値を失わないにしろ、人権は蔑ろにされました。
この対立構造、需要主義と反需要主義と名付けてしまいますが、これはそのまま消費者の肯定と否定という対立構造、即ち、民主主義と反民主主義の対立という構造におとしこむ事ができます。
民主主義の特徴というのは、マズロー的な個人の価値観と、対処療法の尊守であり
反民主主義というのは、マズロー的な価値観即ち多極的な個人を蔑ろにした社会であり、対処療法の無視、即ちは無法、汚職です。
この民主主義という構造は、常日頃から再定義される資本主義に対して、はっきりしています、両者の相違点をアナロジーによってはっきりさせ、もしかしたら、資本主義と民主主義は同一の物ではないのかなと。
もしくは資本主義の本質的構造に迫れるのではないのかなとするのがこのテーマの目的です。
まあ、只の近況報告ですので
以上

Posted at 2015/04/23 19:49:46 | |
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