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ゆーりっく2のブログ一覧

2013年07月17日 イイね!

膨脹系のデフォルト(リセット)って大事だよね、中韓の反日政策から所感

えーと、世の中には際限なく膨脹したり連鎖したりするものがありまして、人類はそういうものをですね、防ぐ役割のあるものを創造しました。

それがデフォルトです。

さて、アメリカで表面化する中韓の反日政策と合わせて、今回は経済と司法のお話。
通貨の背景は、地域の信用が深くつながっていまして、まあ信用出来ない通貨で大きな資産は運用出来ませんよね。
特に紙幣なんてのは、とても便利なんですが、信用がなければ価値を持たない紙屑です。
それでですね、通貨や経済とは所謂人と人との繋がりです、信用関係の高い地域は高い生産性を産み出しますが、信用関係の低い地域は、生産性がいつまでも高まらない、なんて実証結果があるくらいです。

通貨膨脹を信用創造と言いますが、実体経済も信用創造が土台と言える世界なんです。
職につく際にも一番大事なのはコネ(人と人との繋がり)なんてね。
実証に繋がる過程に失業率や離職期間の影響もあると思いますよ。
そして、それらの期間はその後の収入に負の相関をもたらす訳です。
それでですね、最初の話になりますが、世の中にはこの信用を破壊する物がありまして
人類は、経済活動のために、信用破壊を防ぐ必要がありました。
もしくは、膨脹系というのは、頭の世界の話なので、いつか現実とぶつかって大きく破綻する。
それらを後追いで、解決する必要もありました。
そのような経験則のですね、集大成といえるものかもしれません。

そのデフォルトの枠組みが司法です。

司法は様々な方法で膨脹系の破綻をデフォルトします。
一番解りやすいのは、憎しみですね。
大きな破綻となる前に、出来るだけ小さくデフォルトするようにできています。
もしくは、債権のデフォルトをするのも司法。

デフォルトは、信用創造という私たちの普段の生活には必要不可欠のものです。
このデフォルトに失敗したのが、WW2の元凶となったヴェルサイユ条約でした。
我々は、日常出来ているデフォルトを、司法の異なる国家間の問題を前にした時に忘れてるフリをしてしまったのです。
もちろんWW2の賠償では、その反省が活かされましたが。
今日人類は、国家間のデフォルトも経験則として持つようになりました。
少なくとも先進国は。

■膨脹は私たちを夢中にする

さて、私たちは数字の増えていく物が好きです。
それが負担にならない物の限りはですね。
成果として実感出来る膨脹は、それがどんな物でも私たちを夢中にさせます。
憎しみの連鎖や膨脹でもです。
増えていくコレクションや通帳の数字、肩書きの数、考えただけでもワクワクするでしょう?
膨脹は本来、非常に魅力的な物なんです。
それらをデフォルトしろと言われたら、たとえデフォルトが必要不可欠でも誰だって怒るでしょう?

■対立ではなく、膨脹の帰決であるデフォルト

ですから、デフォルトと膨脹は、膨脹の延長過程で対立する、つまりは争いに見える時もあります。
市場の債権は限界だ、デフォルトしろ。
いいや、この通帳(債務)の中身をデフォルトしろだって?冗談じゃない。
この島は俺たちのだ、お前たちの主張を取り消せ(デフォルトしろ)
いいや、俺たちのだ
ならば戦争で決着をつける(デフォルト)しかない
もしくは、妥協(片方の権利をデフォルト)するしかない

膨脹の延長は結局デフォルトに帰決します。
膨脹の度合いに合わせて、大きくデフォルトするか、小さくデフォルトするかの差しかないのです。

■だから、我々は大きく膨脹し続ける物に気を配らなければならない

つまりは我々は、我々の持つ欲望になるんですが、自然物に無い均衡収束しようとしない物ですね。
自身の欲望に気を付けなければなりません。
膨脹するそれらは仮に放置すれば、最終的には、膨脹の大きさに合わせて破綻します。
中韓の反日政策はですね、憎しみの膨脹です。
彼らは、WW1の反省である司法の本来持つ役割の本質、つまりデフォルトを放棄して、むしろ、憎しみの膨脹を政策的に後押ししています。
この政策の行き着く先は、仮に放置すれば、何かしらの大きなデフォルトしかありません。
そして、地域的な信用破壊の政策は、アジア経済、つまり我々の日常生活である信用創造の世界には、負の影響しか与えていません。
先の中国あった反日デモなんてのは、両国経済にとって完全にマイナスサムの影響しかもたらさなかったのです。
言ってみれば、膨脹系の信用破壊を、国家が後押しするというのは、我々民間人への、国家テロリズムと同義です。
今の先進国では、国家による信用創造の膨脹の後押しが、重大なモラルハザードなのではないかと議論されていますが、信用破壊の膨脹なんてのは、議論するまでもなく、悪質なモラルハザードの典型例なのです。
また、この国家テロリズム政策の放置は、再び国際司法の欠陥を浮かび上がらせるに充分な出来事でもありました。
この手のテロリズムに、アメリカの地方議会が、協力してるみたいですが、これもまた、どうにもキナ臭い話ですね。
政治の本質もまたデフォルトになるのですが、膨脹し続ける国家アメリカとも、デフォルトは相性の悪い話なのかもしれませんね。
相性が悪い、それだけで済めば良いのですが。

まあ所感なので書きたい事はここまでなんですが、
一応、題材に戻りますか。
ね、デフォルトって大事でしょう?

以上
Posted at 2013/07/17 00:43:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年07月13日 イイね!

不便な世の中って良いよね

アメリカ経済が回復してきただとかで、車が売れてるそうです
車社会のアメリカは、経済の回復傾向が車の販売数に直結しまして、
この車産業、恐ろしいほど雇用を生む物なんですが、私なんかは日本は車社会をやめるべきとか言う変わり者。
車社会の是非は、一概に言えば、対費用効果で済む話で、経済学的には、貿易均衡さえ取れれば、雇用なんてのは多い方が良いに決まってます。
ただ、アメリカなんかを見てますと車社会って特に石油消費に依存する社会で、通貨危機なんてのには脆弱なんですよね。
その上国民は、他のインフラを捨てた上に道の整備もしなきゃならいと勘違いします。
道路族なんて言いますが、あの維持費や緊縮難度の高さなんてのは、凄い負担ですよ。
車社会へのシフトなんてのは公共インフラで見れば、無駄の象徴なんですよね。
貿易的にもこれから日本では、マイナスサムに拡大する分野だと思います。
近年日本は緊縮の難しい車社会という無駄への道をとってきました。
これってあっているのかという話、家計では、節約分は他の消費に回せるんですよね、そういう事は出来ないのか。
それでですね、私も車に乗ってます、ダブルスタンダードに思える人も居るかもしれませんが、袋小路的な所に迷いこみ車だと外に出れないとなると、そこって凄い魅力に映るんですよね。
消費というのは、移動可能速度に準じた機会減衰率に相関した話なるんですが、地域に消費を全部閉じ込めてる形になる訳でしょう?
で、商店街なんかも生き残ってると。
そういうのって貿易均衡に響かない需要拡大だ思うんですね。
密度的にも矛盾しませんし、非効率な迷路ってどうも車社会よりも効率よさそうで見てて面白いなと思うんですよね。

以上
Posted at 2013/07/13 13:04:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年07月12日 イイね!

2016年トリクルダウン理論の復活

現状の流れだと、ケインズの復活に続いて、トリクルダウン理論が復活するんじゃないかなと思いまして、今回の記事、年号の方は適当です(笑)

イノベーション理論だけだと、説明にどうにも概念が足りませんから、分業資源を入れるとします。
イノベーション理論は分業資源の開拓についての説明でした。
予想だと需要密度と諸条件に相乗して、減価もしくは減衰率に準じた地域内の供給を行うサービス即ち分業資源が生まれると。
開発経済学で同様の結果が予想されてるみたいですが、都市集積によるイノベーションが通じるのは、おそらく過去まです、そのため実証にはズレが生じるでしょう。
このうちの減価及び減衰率の向上は、サービス供給の地域を拡大させますから、通常は一括生産で、無駄を省けますよ、即ち供給力が増す代わりに雇用=既存の分業資源を失いますよとしました。
ワルラスに従うとデフレ圧力となります。
これが今のIT革命及びグローバリズムです。

既存の分業資源もしくは、イノベーション、これらは需要密度に依存しますが、敷地単位辺りの需要密度の条件を満たす職業は、これからどんどん減っていきますし減価もしくは減衰率も向上してより広域の供給も一元化されていきます。

よって、需要密度を失った既存の分業資源も崩壊するハズです。
これ需要面の構造モデルから見ると、一元化による需要消失はより明確になるんですが。
まあ、シュンペーターそのままの焼き増しと見て良いでしょう。

この過程で、需要密度を維持出来る存在って何でしょうねと考えると、今の財政支出と金利政策くらいなもんなんですよね。

即ち、金持ちくらいにしか、需要密度が存在しない世界になっていきます、そのような世界ではですねトリクルダウン理論が、ほぼ完全に機能すると思うんですよね。

そこでね、トリクルダウン理論を指して、我々はやっぱり正しかったんだと嘯く勢力が、将来現れるんじゃないでしょうかと思います。
トリクルダウン理論なんてのは、現状否定済みのブードゥー経済学なんですが、
最大権力勢力のコンセンサスの方向としても、理論的に需要が残り復活するんじゃないかなあと思える理論なんですよね。
まあこれから、どうなるのかと。

今回はそういう世間話。

以上
Posted at 2013/07/12 13:47:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年07月09日 イイね!

なんでだろう、物々交換モデルを構築しない経済学の謎

供給物の減価率及び減衰率と需要密度を産業の成立要因を前提にした、需給構造はですね、正しく物々交換モデルと呼べる物になりました。

平たく言えば、あらゆる財の源であるサービスには減価率もしくは減衰率という限界があり、サービスの成立要因は需要密度に依存する。
では需要密度から需給チューブの形を割り出してみましょうと、必然的に、現代の需給構造モデルは、都市から離れられない形になり、需要密度に諸条件を相乗させた、都市集積を頂点とした財の交換の形となる訳です。
これは、イノベーションが都市集積に依存した結果です。
特に近代以降は、都市集積のネックとなるインフラと食料供給にブレイクスルーがありましたから、この傾向はより顕著になります。
側面的な、地域均衡による需要密度の持続性の有無も大切です。
開発経済学あたりの実証で、その可能性の高さを確認出来ますが。

さて、ここに来て疑問なのは、何故、経済学は、一番簡単だと思われるサービス、つまり供給の減価率をベースとした物々交換モデルに着目せずに、物々交換モデルを包括した延長の貨幣理論にいきなり挑戦したのか、学問というのは、普通順番に発見がなされます。

まず、発見すべきだったのは、労働価値説をベースにした、それぞれの供給の減価率からなる需要密度の想定からつくる、物々交換モデルだったのでは無いでしょうか。

しかも、その理屈というのは、考えてみれば当たり前の事の積み重ねで、少なくとも近代経済学では解に近づいたハズでした。
ミクロ経済学に物々交換モデルの痕跡は見当たりません、供給の減価率もです。
この原因は、ミクロ経済学が、アダムスミスから離れ、財の原理を希少性の均衡理論だけで完結しようとした事にあります。
そして、希少性は経済学に成果をもたらさなく、経済学はケインズの需要理論から貨幣理論に向かったのです。
物々交換モデルを振り替えってみましょう、この理論は、減価率というサービスの物理限界から需要の遍在を突き止め、財の供給が需要密度に由来のある事を仮定しています。
その形は、現代では都市の形になりました。
そして需要密度の持続可能性が希少性となります。
物事の世界は、その人の見たいように見えますが、何故経済学は、回り道をしたのか。

例えば、物々交換モデルでは、減価率及び減衰率の向上による需要密度の共有域の拡大、即ちグローバリズムは、消費側の確率分布から末に広がる需要密度のロングテール部分を消滅させると予想します。
これ国内でいうストロー現象ですね。
同一モデルで、様々な説明を求めようとするのが、学問です。
ここら辺の原因を考えてみても
面白いのかなあ、という所。
まあ、貨幣理論というと、政府と投資が物々交換を包括する事になるんですが、まず、どうしましょうかね。

以上
Posted at 2013/07/09 21:13:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2013年07月01日 イイね!

高コスト体質と低コスト体質

あんまり内容の無い話なんですが、現状の取り組み内容が開発経済学に被るなという中で、
適当な疑問が、ぽつぽつと浮いてきます。

たとえば、色々考えた上で、通貨の価値に歴史つまりは時間は含まれるのとか、
時間なら代入すべき理論はどこかな代入かできるなど。
先進国と途上国の通貨の相対的な差異はどの程度までつきつめてるの

とかですね漠然とした提議があります。

さて、最近の記事の中で、おそらく我々の通貨は、創造の時に最大の価値を持ちますよとしました。
この内容もですね、じゃあ維持の時には、水流のように仮定して圧が抜けるのか、ならば圧の正体はなんなのか、それとも抵抗が大きくなるのか。
今は、こういう全般的な疑問について、どなたかとお話したいですねという所。

それでですね。
所謂、分散した低コスト体質を、社会に求める方々が居まして、それって私の理屈からはどうなるのかなという、今回は経済における低コスト高コストの話。

まず、分散してる以上、それは低コストではないでしょというのが、私の意見。
非効率で貿易収支にマイナスな上に、都市集積からしてイノベーションや需要密度も枯渇するから、少し集まった方が良いんじゃないかと思います。
そして、資源的低コストってどうなのかなとも考えてしまいます。

今までの資本主義は、資源的に高コスト体質でした。
つまり大量消費社会。

そのような社会では、選好率が重要になります。
高い金利がある以上、社会はあらゆる物を更新していかなければなりません。
ですから、投資しろ、物を買えという話になるんですが。
それらが何をもたらして来たというと
需要サイクルの短縮による、さらなるイノベーションの創造と、通貨循環によるより付加価値の増えた通貨でした。
社会主義圏はこれに敗れたのです。

貿易収支によりますが、高コスト体質側が勝ってきたのが資本主義です。
これに反するということは、需要サイクルの延長による不況と、通貨下落に直面するという事になるハズです。

本当に通貨って何だろうという話になるんですが
ここでも、創造の時に最大の価値になり、廃棄コストに対する非対称性を垣間見る事ができます。
まあ、廃棄コストの無視は、高コスト体質の単なるつじつま合わせにしかなりませんが。

本来、投資社会は需要サイクルの短縮や高コスト体質を望みます。
その投資社会の一部が、低コストと、均衡のとれてない財政支出と、通貨価値の上昇という矛盾を望むという社会現象、まるで子供のワガママのように見えますが、ワガママを通すにしても、なるようにしかならない、我が国は通貨価値の下落ではなく、あるうちに集めて担保しておくという道をとりそうですが、社会問題を控えて、矛盾の放置はそれなり問題になるでしょう。

ここら辺つきつめると面白そうですよね。

以上。
Posted at 2013/07/01 22:49:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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