2020年06月12日
愛車一覧こぼれ話(1台目:日産パルサー編)
みんカラには、「愛車一覧」を登録できる機能があるため、最近ちょくちょく思い出しながら少しずつ登録してきました。
客観的に思い出しながら登録していると、乗り継いだ車1台1台に思い出が詰まっていたなぁ、としんみりしてきました。
ブログを利用して、愛車一覧に書ききれなかったことを書き連ねていこうかと思います。
最初に買った車は、日産パルサー(N14)のGTi(5MT)でした。この車は、運転技術の上達及び車の楽しさを教えてもらった車でした。
1年間働いて貯めた90万円を握りしめ、日産U-CARセンターに出向き、契約書に押印し、後日無事納車された時は、嬉しさの絶頂でした。20歳で自分の車を持てた事は非常に嬉しかったですし、大事に乗ろうと思っていました。
6月の終わりに納車だったので、7月や8月の夏休みは友達と夜な夜なドライブに出かけたり、休日は野球の道具運搬や夜の幸浦でのドリフト見学、首都高のルーレット族の追っかけ、箱根ターンパイクのドリフト見学と、色々忙しく引っ張り出していました。
SR18DEはハイオク仕様なので、ガソリン代は掛かりましたが、当時は1L当たりレギュラーが80円後半から90円台前半、ハイオクが90円から95円くらいでしたので、そんなに懐は痛くはありませんでした。
最期は、小雨の降る土曜日の夜、自宅新築中の仮住まい前に路駐していたところ、スナック帰りの酔っぱらいホステスが運転していた車にオカマを掘られ、その反動で5m前方に路駐していた別の車に突っ込み、前後とも滅茶苦茶に修復不可能な状態になり、そのまま廃車となりました。
母親から「早く車を車庫に仕舞ってきなさい。」と小言を言われてもすぐに動かなかった自分がいけなかったんですが、非常に悔やまれる事故でした。
事故後、このホステスは一度も顔を見せず、また、謝罪も無く、相手の親が電話口で「ウチの娘に一切関わらないでくれ!」と怒鳴ってきたのに閉口した記憶があります。
示談交渉は保険屋にお願いしたのですが、事故比率割合に対し加害者側がゴネまくり、なかなか示談成立しませんでした。結果は、双方主張の間を取り、相手7.5:自分2.5という加害者側のゴネ勝ちみたいな感じで決着しました。
自分は車両保険には入っていなかったので、微々たる保険金しか入ってきませんでしたが、そのお金でパルサーの借金を返済し、次の車を購入することになりますが、続きはまた後日。
事故時、加害車両のカーステレオから流れていた曲は、当時スマッシュヒット中だった相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」でした。今でもその曲を耳にすると、事故当時の事を思い出します。
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Posted at
2020/06/13 00:57:57
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