2007年12月10日
親戚のつきそいで、彼らの車に乗せてもらい、
唐人町を走ってもらっておりました。
ら、視界の左側にいきなり車が現れた。
「トン」
いともアッサリと接触事故の出来上がり。
こちらはほぼ無傷、相手方はコンパウンドで擦れば消える程度の傷。
まー大事に至らんかったから、よかばい。
でも、道々、進路変更のウインカー点灯から実際の進路変更まで、彼の一連の動作が妙に素早いなーとは思っていたのですよ。
でも
「見えてるんだろーからメンドーなんだろな」
と、親戚の運転を見てそう思った僕が甘かったというか。
事故のメカニズムは簡単で、こんなカンジでした。
1.相手車両は親戚の車の死角に入っていた
2.その状態で進路変更ウィンカー点滅開始
3.てことは相手もそのウィンカーは見えない
4.間髪いれずに進路変更が行われる
5.お互い見えないのだから、とーぜんのようにぶつかり合う
感覚的には、あと2秒だけウィンカーを点滅させておけば
こちらのウィンカーに気づきにくい相手をやりすごして、
ぶつからずナントカなったかな?という間合いだったと覚えています。
目視確認の網羅度と、事故の危険性の判断ミスが原因で、
進路変更という意思表示の不備により事故が起きたといえるでしょう。
親戚いわく
「どーかなー?と思いながら、ためらいつつ進路変更した」
とのこと。
これでは確かに不備があったに相違ないでしょう。
ガキの頃、こんなことでたしなめられることがありますよね、
「相手の気持ちに立って、自分がされて嫌なことはしちゃいけません」
でも、いくら相手の気持ちを推し量ったところで、
自分がされて嫌でもないことっていうのは
相手にとって嫌なことだとは思えないものです。
だから相手に対してできてしまう。
安全運転を行うのに、相手の気持ちを推し量ることも大事でしょうけども、より多くのことに気づく目を養うために自分の気持ちを耕すことも大事なんだなと思いました。
そうすることで、より多くの危険な兆しに気づくことができるはず。
もう一つは、利用目的。
"目的地に早くついてとっとと用事を済ませたい"
と思うのは仕方がないでしょう。
でも、車は急ぐためのものではなくて、
道路交通法1条にあるように、安全かつ円滑な移動手段であるだけだ、
と思っておく方が、心の余裕もできると思うんです。
仕事だから、急いで当然で安全を無視してよいのでしょうか?
せっかくの休みを最大限に活用すべく、安全性を削って急いでよいのでしょうか?
その3分、その+10km/hは
今のあなたの人生と、その安全保障にどれだけ有益ですか?
事故になってしまっては、その急いだ分など簡単にふっとびます。
むしろ、
急がなければならない状況をいかに減らして安全を確保するか?というのが、
人間の知恵というものではないでしょうか?
・・と、その親戚に説き伏せるためのイイ知恵が
今はないなーと痛切に感じた今日でした。
何やかんや言っても、人間はラクして急ぎたい生き物なんだもん。
Posted at 2007/12/10 01:22:09 | |
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