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Ken-ziのブログ一覧

2010年08月22日 イイね!

九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)

九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)九州ツーリング 6日目 (宮崎-高千穂-大分発フェリー泊で翌朝神戸着)

連日の疲れが溜まってきたのか寝坊してしまった。
朝風呂が宿泊客専用で6時から8時までだったらしく起きたら時間が過ぎていたので入れなかった。
ツレは早起きして入ったらしい。
仕方なしにシャワーを浴びる。

窓からの景色を眺める。
大淀川は河口に近いのでかなりの川幅がある。
昨夜はここで花火を上げていた訳だが、今朝は何事もなかったかのような表情だ。
 

支度してチェックアウトして出発。
今日は大分から19:00出発のフェリーに間に合うようにしたい。

東国原知事で有名な宮崎県庁。タレント知事が観光資源になり、県を盛り上げる時代になったんだと思う。


B級グルメの元祖にくまきおにぎり発祥の店「にくまき本舗 宮崎一番街店(宮崎市橘通西)」で朝食がわりに「肉巻きおにぎり」を買う。
ここは店頭販売のみ。
以前、ノーマルを食べたので、今回はチーズ入りにする。
ご飯とお肉とタレにチーズが入るとさらに美味しい。
けっこう量があるが、宮崎の人はお酒の締めでも食べるらしい。



宮崎からR220を北上する。けっこうみんな熱い走りをする。
R10に入り高鍋を経由して日向市に入る。
ここで仕事のトラブルが発生したようなので、「道の駅 日向物産館(日向市大字幸脇)」に避難し、電話やメールのやる取りをするが、PHS(広島の立ちゴケで壊れたので新しくキーボード付きのを購入)の充電が無くなり、重いファイルの送受信が出来なくなってしまった。
道の駅のトイレで充電させてもらいながら送受信するが、Wi-Fiも入らないのでとても時間がかかった。
1時間半ほどで処理できたが、ツレには申し訳ないが待っててもらった。

延岡に寄ってから、五ヶ瀬川沿いの神話街道で高千穂峡に行きたかったが、時間をロスしたのでショートカットして向かう事に。
R388から北西に進み、K20から神話街道(R218)に入り快適な道を走る。

「高千穂峡(西臼杵郡高千穂町三田井御塩井)」に到着。
バイクの駐車場はけっこう奥の方までいける。


「高千穂峡(たかちほきょう)」は、神話にゆかりのある峡谷。
五ヶ瀬川の峡谷沿いに、約12万年前と約9万年前の2回、高温の軽石流(火砕流の一種)が噴出して固まったものが、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となっ
た峡谷だ。
80m~100mの断崖が7km続いている。
宮崎と鹿児島の県境にも高千穂峰があるが、ここら辺りは神話の宝庫だ。
 

日本の滝百選の一つである「真名井の滝」。
神話では、「天村雲命(あめのむらくものみこと)」という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移し、天の真名井と名付けて湧水したらしい。
ボートに乗って近くまでいける。
  
水も空気もキレイで、神聖な気持ちになり、心が洗われるようだ。



高千穂峡からほど近い、「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)西本宮」に行く。(西臼杵郡高千穂町岩戸)
ここは古事記や日本書紀に書かれた「天岩戸神話(あまのいわとしんわ)」を御神体として祀る神社。
東本宮もあり、そちらは「天照大神(アマテラスオオミカミ)」をお祀りしている。
「天照大神」は日本を作ったイザナギノミコトから生まれた皇室の祖神で、日本民族の総氏神。
川上には八百万の神(やおよろずのかみ)が集って相談をした天安河原(あまのやすかわら)がある。

神話では、太陽の神「天照大神」は弟の「素戔嗚命(スサノオノミコト)」のあまりにもひどい乱暴やイタズラに怒り、天岩戸(洞窟)に隠れてしまう。
太陽神が隠れたので世の中が真っ暗になり、食物が育たなくなり、病気になる人が増えたり大変なことがになる。
困った八百万の神々は天安河原に集まり相談して、天照大神に出てきてもらおうと天岩戸の前で色々な事を試すが天照大神は出てこない。
最期に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が招霊(おがたま)の木の枝を手に持ち舞をして、神々全員で楽しくで騒ぎ立てる。
すると、天照大神は「太陽の神である自分がいないから外は真っ暗で、みんな困ってるはずなのに、なぜ外ではみんな楽しそうに騒いでいるのだろう?」と不思議に思い、天岩戸の扉を少し開けて外を見る。
八百万の神々は「天照大神より美しく立派な神が来た」と騒いでいる理由を話し、「連れてくる」と言い、鏡で天照大神の顔を写す。
自分の顔だと分からなかった天照大神は、もう少しよく見てみようと扉を開いて体を乗り出す。
その時、思兼神(おもいかねのかみ)が天照大神の手を引き、岩の扉を手力男命(たぢからをのみこと)が開き、天照大神を天岩戸から出した。
そして、世の中が再び明るく平和な時代に戻った。と言う話だ。

暴れ者の須佐之男命は、その後反省し、出雲國(いずものくに=島根県)に行き、有名な「八俣大蛇(やまたのおろち)退治」をする。
その時、八岐大蛇の尻尾から出てきたのが三種の神器のうちの一つ「草薙の劔」らしい。


駐車場の横に天照大神の像がある。


天岩戸の扉を持ち上げる手力雄命の像。
ちなみに天岩戸の扉は長野県の戸隠山(とがくしやま)へ投げたらしい。



時間がせまって来たので大分港を目指す。
ナビでは高千穂峡からK7高千穂線、で尾平峠を越えて大分に行けと出ている。
到着予定は出港の10分前だ。受付や乗船を考えると30分前には着きたいので、ちょっと急がないとマズイ。
しかし、ナビは到着時間の設定が甘い。
おそらく一般道は時速30kmで設定されてるようだ。(高速は80km/hっぽい)
なので、いつものツーリングではかなり短縮できて余裕をもって到着できる。
特に高速などでは30分とか、ロングだと1時間近く大幅に短縮できたりすることもある。
今回の尾平峠越えは信号が全然無いので、そこそこのペースで行けばナビの時間も相当短縮されて余裕だろうと思っていた。

しかし、この尾平越の道がとにかくキツイ!
未舗装の険しい林道や朽ちかけた旧道ではないが、勾配はキツイし、道は狭いし、急カーブは連続で、なにより道程の長さが半端じゃない。ずーっと峠!
たまぁ〜に、2車線道路や走りやすい直線もあるが、ほとんどが低速コーナーばかりで、ストップ&ゴーと、S字の連続で、まるで公道でジムカーナをしてるようだ。

ミラーで後ろのツレを見るとかなりきつそうだ。
ジレラGP800はスクーターなので、ブレーキも左右の手だし、下り坂のハードブレーキングでも足に体重をかけられるので、腕はそんなに疲れない。
しかしツレのZRX1100だと、ギアチェンジもマメにしなければならないだろうし、ハードブレーキングでは相当、腕に荷重がかかってしまうだろう。

少しペースを落としてあげたいところなのだが、かなり前に尾平峠を越えて大分県の豊後大野市に入り、全行程の半分ほど走っているのにナビの到着予定時刻が変わらない。
つまり全然短縮できてないのだ。
これはマズイ!と本気で焦りだす。
船が出てしまったら自走だけで東京まで帰らなければならなくなる。
ツレには「頑張ってくれよ」と心で声援を送り、大汗をかきながらペースを上げて峠を走る。

しかしK46に入る手前K410との分岐辺りから道もだいぶスムーズになって、ナビの到着予定時刻がみるみる早くなってきた。

結果、GSで給油の時間も取れて、ちょうど30分前に到着した。
ツレは、自分のペースが速いのを見て、出港に間に合わないから急いでるんだな、と理解はしていたが、腕が持ちそうもなくて何度かあきらめそうになったそうだ。
2人とも久しぶりに頑張って走ってしまった。
事故がなかったから良かったが、次回からは余裕を持ってスケジュールを組もうと誓う(毎回思うが・・・)。

フェリーターミナルでお酒と大分のおつまみを買い込み乗船。
ひとっ風呂浴びてから宴会開始。
以前、大分に来た時に「とり天(鳥の唐揚げじゃなく天ぷら)」が美味しかったので、土産用のを買ったが、固くて旨くなかった。


マグカップが写っているが、やはりビールは缶から直よりコップで飲んだ方が旨い(口に量が入る)ので、ロングツーリングやキャンプツー、BBQツーではいつもマグカップ携帯している。
保温性があるので、ビールも冷えにくく、名水のわき水なども冷えたまま飲める。もちろん温かいものもだ。
2つあるのだが、取っ手の所にカラビナを付けていて、荷物になりそうな時はバッグやバイクに引っかけたりできるので便利だ。

ジレラGP800はメットインの中がとて熱くなる。
それは90度のV型ツインエンジンが足下とシート下にあるからなのだが、夏などは冷えたペットボトルを入れておくとすぐお湯になる。
そこにETCが入っているのでよく壊れないなと思う。
機会があったら遮熱シートを貼ってみようかとも思った。
逆に冬は重宝するが、メットインの後ろ側はリアタイヤのカバー部分なので、こちら側にお弁当とかを置いても温かくはならない。
メットインのエンジン側に保温庫とまではいかないがドリンクホルダーが付いてたら嬉しい。

ツレがよくふくらはぎ周りが熱いと言っている。
確かにZRX1100のエンジンはむき出しだからコタツを足で挟んでるようなものだ。
このエンジンにも空いてるスペースがあるので、缶コーヒーとか入れる場所を作ればいいのにと思う。
俺もツレもコーヒーは飲まないが、走ってる間に加温・保温してくれるスペースがあると冬は嬉しい。




気落ち良く酔ったところで、甲板に出る。
月がとてもキレイだったので、こりもせず撮影する。
 

花火モードでカメラを置いて、タイマーで撮ると多少キレイに取れるので撮ってみる。


ゲームスペースで家族連れの子供と仲良くなり一緒にゲームをしたりする。
子供が就寝で帰った後、酔ったツレは船内のパチンコに興じる。



しまなみ海道が見えてきたので撮影してみるが、置いて撮るのは多少いいが、手持ちではやはりダメだ。
   

風呂に入って、部屋に戻り就寝。
今回は4人部屋の個室?に2人だけなので気兼ねしなくていい。
洗面台もあるので歯を磨きにトイレの方まで行かなくてもいいのも嬉しい。

やはり船旅は旅情があっていいなと思う。


8/23(月)250km

宮崎→高千穂峡→大分

フェリーさんふらわー 大分19:00発  翌朝06:20神戸着
Posted at 2013/09/25 23:28:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月21日 イイね!

九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)

九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)九州ツーリング 5日目 (鹿児島-桜島-塩浸温泉-霧島神宮-宮崎+花火)

朝風呂に入って、さっぱりしてホテルをチェックアウト。
今日は鹿児島観光から桜島、霧島を経由して宮崎泊の予定だ。

外に出ると、バイクにけっこう灰が積もってる。
昨日は自分も喘息が出そうになった。火山と共存するのは大変だと思う。
 
パインアイスを食べながら今日の観光ポイントを打ち合わせる。


近所を散策したら、「灰袋」なるゴミ袋のような袋に灰を入れて、灰専用のゴミ捨て場にたくさん出してある。
鹿児島県の桜島周辺で一定以上の降灰があった時に、自治体から一般家庭に配布されるらしく、無料で回収してくれるらしい。
灰は細かいようで、ガラスの粉ような粗くて硬いので水で流すと排水溝が詰まってしまうらしい。
同じ理由で鹿児島の一軒家に「雨どい」や「網戸」は付けない家が多いらしい。
目に入っても相当痛いらしい。


鹿児島の路面電車。市電らしい。
路面電車は九州、四国、中国地方ではけっこう見かける。
東京では荒川区の三ノ輪から早稲田までの短い区間1本しか走ってないので、交通ルールを忘れていて戸惑ってしまう事がある。



下加治屋町に向かう。
このせまい地域から幕末から明治維新の偉人がたくさん輩出されている。
日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った提督「東郷平八郎」誕生地。


「大山巌」誕生地。
西郷隆盛はいとこで、弟同様に可愛がられて、幕末の戊辰戦争では西郷さんの下で活躍したそうだ。
会津戦争で会津藩士「山本覚馬」の妹「八重」に撃たれた事もあるらしい。
西郷さんが士族に担ぎ上げられ新政府に刃向かった西南戦争では心ならずも新政府側で勝利に貢献し、陸軍大将、陸軍大臣まで進む。日清戦争(1894~95)では軍司令官、日露戦争(1904~05)では総司令官を務め元帥に列し公爵となる。
ちなみに奥さんは会津藩士族出身の捨松で結婚は話題になったそうだ。


「西郷隆盛」誕生地。
言わずと知れた維新の三傑の一人(後は大久保利通と木戸孝允)で鹿児島の英雄。
幕末四賢公の一人、薩摩藩主「島津斉彬(なりあきら)」にみいだされ、一橋慶喜将軍継嗣問題で活躍したり、天璋院「篤姫」の婚儀に関わるなどした。
坂本竜馬の仲介で倒幕の薩長同盟を結び、戊辰戦争を指導し、江戸城の無血開城を実現した。
新政府の陸軍元帥兼参議となるが、征韓論などで大久保利通らと対立し下野して帰郷するが士族に担ぎ上げられ西南戦争をおこして敗れて明治10年、城山で自刃した。
格言としては有名な「敬天愛人(天は人もわれも同一に愛す。故に我を愛する心をもって人を愛せよ)」
彼がいなければ薩長同盟も江戸城無血会場も廃藩置県も難しかったと思う。
彼をリスペクトする人が多かったそうだが、タイムマシンがあればどんな人だったのか会ってみたいと思う。


「大久保利通」誕生地。
明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」の一人。
鹿児島では西郷さんを死に追いやったと言う事であまり人気がない。銅像ができたのも最近らしい。
しかし、私利私欲や地元薩摩の為ではなく、将来の日本の為にという信条や行動は高く評価されるべきである。
幼なじみで兄弟同然に育った西郷さんと敵味方になるのはホントに断腸の思いだったと思う。
そういう意味でも新国家の成長の為の現実から目を背けず、高い志と強い心、行動力があったのだろうが、そんなところが冷徹に見えたのだろうか。
明治10年に暗殺された時も、寄付はしていたようだが、手持ちのお金はほとんどなく借金もあったようだ。
今の日本の政治屋さん達には見習って欲しい。


「大久保利通」居宅跡。


「西郷隆盛」居宅跡。


大久保利通像。



朝飯を食ってなかったので天文館にある鹿児島ラーメンの「こむらさき(鹿児島市東千石町)」に行く。
熊本にも熊本ラーメンの「こむらさき」が、宮崎にも同じ店名があるが別の店。
あっさりした豚骨スープには昆布ダシが効いている。具はたっぷりの野菜と小さ目にカットされた多数のバラ肉チャーシュー。麺に特徴がある。
 

かき氷「白熊」の本家「天文館むじゃき(鹿児島市千日町)」に行く。
2Fのカジュアルレストランで「白熊」を食べる。デザートで食べるには多い量だ。
普段は一切、甘いものを食べないが、ツーリングではよく食べる。
相当有名らしく、若い女の子でごった返していて場違いな気がした。
 


市役所前の「小松帯刀」像。
この人は薩摩藩の家老で若くして亡くなったのが残念だが、相当な人物だったようだ。
彼がいなかったら大久保も西郷さんも力を振るえなかっただろう。
坂本龍馬と昵懇で、亀山社中を援助したり龍馬の妻「お龍」の世話もしている。
長州藩の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせたり、鹿児島へ井上を連れてきて薩長同盟の交渉を行ったりしたらしい。
ちなみに薩長同盟を締結した場所も京都の清廉の小松帯刀の屋敷だったそうだ。
龍馬の新政府の人事案では、西郷、大久保、桂らを抑えて、小松帯刀が筆頭に挙げられていたそうだ。
龍馬より早く日本初の新婚旅行をしたと言う話しもある。


写真を撮っていたら西郷さんと小松帯刀さんがやってきて、一緒に撮ってくれるとの事で撮影。
 

「照国神社」にある、薩摩藩主「島津斉彬公」の銅像。(鹿児島市照国町)
日本史上に残る名君で、幕末四賢公の一人。(宇和島の伊達宗城・土佐の山内容堂・越前福井の松平春獄)
先見の明に優れ、革新的な施策で、薩摩藩の富国強兵をはかる。
人材発掘と育成にも長け、下士階級の西郷隆盛や大久保利通を登用した。
この「島津斉彬公」を大明神として祀ってある神社。
 

西南戦争最期の地「城山」
西郷さんが最期の日々を送った洞窟がある。


城山から見た鹿児島市内、錦江湾、桜島の風景。
どんな気持ちでこの景色を見ていたのだろうか。
 

岩崎谷口の坂道を下った所に建てられた「南州翁(西郷さん)終焉之地」の碑。


西南戦争で戦死した薩摩(西郷)軍の将士が眠る南州墓地の西郷さんの墓。
右に村田新八、篠原国幹、左に桐野利秋の墓がある。



フェリーで鹿児島から桜島へ渡る。
1時間間隔で運行していて、15分で桜島に着く。
船内にある「やぶ金」のうどんが人気だが、急いで食べなければ桜島に着いてしまう。
  

桜島がせまってくる。
 

桜島に到着。


「鳥島展望台」と「烏島この下に」の碑。
烏島は、桜島沖にある無人島だったが、1914年の大正噴火により地続きとなり、溶岩の下20mに埋もれてしまったそうだ。
かつて、この下が島だったなんて。
 

「赤水展望広場」には、ツレの大好きな「長渕剛」の「叫びの肖像」がある。
これは2004に行われた「長渕剛オールナイトコンサート」を記念して桜島の溶岩で制作したそうだ。
口の中に石がたくさん入れられていた。口の中に石を放り込むと幸せになれみたいな、変な都市伝説でも出来たのだろうか。
 

桜島が噴火した時の溶岩を流すための堰。すごすぎる。



この後、桜島の温泉に入るため、以前泊まった古里温泉エリアにある「桜島シーサイドホテル」に立ち寄る。(鹿児島市古里町)
ここの露天はホテルの建物を出てずっと階段を下りて行くと海沿いに露天風呂がある。
脱衣所は2つあるが混浴。
湯は緑がかった灰色の濁り湯だが、まさに「海辺」で鹿児島湾(錦江湾)を眺めながらゆったりとつかる事が出来る。
ツレに最高の露天を体験してもらおうと思ったが、先客にカップルがいたので早々に退散。
後で思ったが、何で混浴に女性がいるとこっちが気を使わなきゃいけないんだと思う。
まぁ混浴だから仕方ないのだが・・・

大正大噴火により埋没してしまった「黒神神社」の「埋没鳥居」(鹿児島市黒神町)
大正大噴火の前兆は、3日前から始まっていたそうで、島内のいたる所で井戸が沸騰、海岸には大量の死魚、断続的な地震が起きてたらしい。
西桜島が黒煙を上げ、東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒鉛は上空7,000mに達し全島を被いつくしたとの事。
間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、30億トンの溶岩の噴出が火の波となって、島だった桜島を大隈半島と陸続きにしてしまったらしい。
黒神地区だけで全戸687戸が埋没。
高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して埋没したとの事。
自然の驚異をまざまざと感じる。



桜島から今は地続きになった大隅半島に渡り(鹿児島市は薩摩半島)、北上して宮崎を目指す。

霧島の「塩浸温泉(しおびたしおんせん)」に行く。(霧島市牧園町宿窪田)
日本初の新婚旅行をしたと言われる?坂本龍馬とお龍が行った温泉で2人の銅像がある。タイマーで写真が撮れるように三脚が添え付けられている。
 

脇の川沿いに夫妻が入浴したとされる湯船が残されている。
けっこう秘湯と言うか、かなり歩いたんではなかろうか。
何度も思う。昔の人は健脚だったと。
 

給油でGSに寄った際、「高千穂峰(たかちほのみね)」はバイクでは行けないという事で諦める。
「高千穂峰」は霧島連峰の第二峰(第一峰は韓国岳(からくにだけ))で、「天孫降臨(てんそんこうりん)」の地と言われ、山頂には天逆鉾(あまのさかほこ)が、御神体として崇められているが、龍馬は新婚旅行でここに登り、天逆鉾を引っこ抜いたようだ。
また、雲海が出た時に山頂だけ見える事が「霧島」の由来らしい。

「霧島神宮(きりしまじんぐう)」に行く。(霧島市霧島田口)
ここにも龍馬とお龍のパネルが。

上までバイクで行っていいとの事でバイクで行くが、駐車場(おそらく安全祈願用?)が玉砂利なので、何度も転びそうになった。(ツレは下から歩いていった)
本殿・幣殿・拝殿などは国の重要文化財。

君が代に出てくる「さざれ石」がある。



 

門前町には「日本発祥の地 霧島」の燈籠と噴水?がある。
ここで宮崎市内のホテル探しをするが候補のホテルに次々と電話するもどこも取れず焦る。
日曜なのになぜだろうと思いながらiモードで探し、最終的にYahoo!トラベルの今夜の宿で1件取れたが、そのホテルは電話では満室と言われたホテルなので大丈夫かちょっと不安だ。
 

宮崎県に入り、高原町と都城市の堺にある「御池」に寄る。
水深は93.5mで火口湖では日本一深い湖。
初代天皇の「神武天皇」が幼少の頃、水辺で遊んだという伝説があるらしい。
天孫降臨の高千穂峰を湖面に映し出す事で有名なので写真を撮りたいと思ったが暗くなってしまったので、夜景モードや花火モードなどで撮ってみる。
 


「高原IC」から宮崎自動車道に乗って都城を過ぎ、宮崎ICで降りて、市役所方面へ進み、大淀川を渡って右折。
予約した「ホテルプラザ宮崎(宮崎市川原町)」近辺まで来たがスゴイ人混みだ。
なにやら今夜、花火大会があるようだ。(花火大会を追いかけてるロマンチックな奴じゃないのに・・・)
人混みに注意しながら到着。
フェニックス並木が立ち並ぶ大淀河畔沿いの高層のホテルだ。
ない下さい。は裏のスパの方に停めてくれとの事で移動する。
人混みがスゴイので動きづらい。
「みやざき納涼花火大会」と言うでかい花火大会らしく、どうやら花火はここら辺でやるようだ。
「まぁ関係ないから、ひとっ風呂浴びたら夜飯食いに外へ出よう」なんて話していた。


フロントでチェックインしようとしたら予約されてないとの事で焦る。
Yahoo!トラベルをネット経由で予約したと言って調べてもらった。
よくわからないが結局、泊まれる事が出来た。

部屋はかなり上の階で、けっこう広かった。

宿泊客は併設されている「プラザスパ」と言う温泉施設が使えるそうだ。
大浴場、寝湯、サウナ、ジェットバス、水風呂、露天などがあるので嬉しい。
泉質は海近くにはよくあるナトリウム塩化物泉。

ひとっ風呂浴びて、部屋に帰ったら、花火が始まってる。それも部屋の真ん前で花火が上がってる。どうやらホテルの前の川から上げているようだ。
興味はなかったのだが、目の前で上がってるのを見たら止まらなくなる。
とりあえず自販機でビールと簡単なつまみを買って花火見物をすることにした。
窓が大きく開くので花火も音も堪能できる。
冷房が効いた部屋でビールを飲みながら真正面から花火が見られるなんて最高だ。隣がオッサンでなければ。。。

何枚か写真を撮ってみるが・・・
ただ窓の手前にビールやつまみが置けるくらいのスペースがあったので、カメラを置いて固定して撮る事も出来たので、今までに比べれば多少ましかも。


花火が終了するまでに結構な量のビールとつまみを腹に入れてしまった。
宮崎は地鶏と焼酎が有名だし、B級グルメの宝庫だと聞いていたので、串焼きアラカルト「さくら家(宮崎市橘通西)」に行く。


地魚の盛り合わせ、地鶏もも炭火焼き、チキン南蛮、冷や汁、など、地のものや郷土料理を中心に頼む。

しかし、さっきの花火見物で腹がふくれてしまったのもあり、美味しかったが、かなりお腹がパンパンになってしまった。
 
店員さんも愛想が良くフットワークも軽かった。
ただ、隣の韓国人らしきグループが大声で話してるのがうるさかった。
居酒屋だからしょうがないというレベルを超えた大音量だった。

腹ぺこなら相当旨かったのではないかと思うので今度は腹ぺこで来たいと思う。

戻ったらお風呂は閉まってしまっていた。
残念。
明日の朝こそ入ろうと思いながら爆睡。


8/22(日)160km

鹿児島→桜島→霧島神宮→宮崎
Posted at 2013/09/25 23:28:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月20日 イイね!

九州ツーリング 4日目 (熊本-阿蘇-鹿児島)

九州ツーリング 4日目  (熊本-阿蘇-鹿児島)

朝風呂に入り、お堀が見える朝食ビュッフェ。
ルートインだからか、こちらもあまり郷土色はない模様。

今日は熊本観光して九州ツーリングのメイン「阿蘇」を周り、鹿児島泊の予定だ。
 

ホテルを出発してお城近くの「村上カラシレンコン店(熊本市中央区新町)」に行く。
ここでのお目当てはもちろんカラシ蓮根ともう一つ、カラシ蓮根コロッケだ。
今日は店は休みだそうだが、昨日の電話でわざわざ開けてくれたらしい。
ものは予約していたのですんなり買えた。
カラシ蓮根の辛みと歯ごたえが相まってとても美味しかった。
 

熊本城(熊本市中央区本丸)へ行く。
築城の名手であった加藤清正が持てる力を発揮して作った名城。
石垣は始め緩やかな勾配が上に行くにつれ垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる登りにくい形をしている。
城内には銀杏の木があり、これは朝鮮出兵中の食糧不足から、篭城戦になった時の食料確保の為に清正公が植えたらしい。
同じ理由から井戸の数が多いらしい。東京にも明治神宮清正の井戸と言うのがあるが。
豊臣秀頼をかくまって江戸幕府と戦う事を想定した城らしく難攻不落の城と呼ばれたらしい。
(実際、明治10年の西南戦争では薩摩軍の猛攻にも耐え抜いた)
豊臣秀頼を迎える昭君之間と言う部屋があったらしい。
 

元国宝の「宇土櫓(うとやぐら)」は櫓と言っても天守閣くらいの大きさがあり熊本城では一番古い建造物らしい。


熊本に古くから伝わる伝統の和菓子いきなり団子を食べる。
あんこと生のままのサツマイモをだんごで包み蒸したものらしい。
「いきなり」は「すぐ出来る」と言う意味らしい。
  


熊本城を後にして、九州ツーリングの醍醐味と言っても過言ではない「阿蘇」を目指す。
世界でも有数の大型カルデラと外輪山があり、「火の国」熊本のシンボルだ。

前回は大分から「やまはみハイウェイ」→「ミルクロード」→「大観峰」と経由して阿蘇山の中岳に行ったが今回は逆だ。

熊本から「阿蘇パノラマライン」を走るが、途中から景色が変わって鳥肌が立つ。
「米塚」を見る。


引き返して「草千里」を見る。
イメージではもっと大きいと思うが、思ったより小さかった。
日光の戦場ヶ原も子供の頃に見た時は広かったが、大人になっていくと「あれ?こんなに小さかったっけ?」と思う。
野生馬がいる。
 

さらに引き返して、阿蘇山公園道路「中岳」に行く。
エメラルドグリーンの池は「日本三大オカマ」?で有名だ。(草津白根山の湯釜・蔵王のお釜・阿蘇中岳の湯だまり)
活火山なので白い噴煙(火山ガス?)が出ている。
  
その日の危険度の案内と、噴火した場合の待避所が設置されている。


世界遺産を目指しているらしい。


「阿蘇パノラマライン」で「大観峰(だいかんぼう)」に行く。
大観峰は阿蘇北外輪山の最高峰で、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望できる。
まさに絶景だ。
  

鹿児島へ向かう為に大観峰を出発する。
途中で阿蘇五岳が見える。
阿蘇五岳はお釈迦様が寝ている姿に似ていることから「阿蘇の涅槃像」と呼ばれているそうだ。




熊本ICから九州自動車道に乗り鹿児島を目指す。
この高速はトンネルが多いく、八代から人吉ICまでで23連続トンネルがあり、6kmを超える長距離トンネルもある。
ナビには車速センサーが付いていないのでトンネルには行ったら動かない。トンネルの外に出てもGPS衛星を探してる間にまた次のトンネルに入ってしまうの連続だ。
もしかしたら、ナビが動かない間に降りるICを過ぎてしまうのではないだろうかと心配になる。

途中、えびの高原や遠くに霧島連山が見える。
こちらも阿蘇に次ぐ九州のツーリングスポットだが、自分は前回行ってるのでパスする。

途中のPAで休憩と食事を取る事にした。
ツレにスゴイ景色見たか?と尋ねたら、トンネルの連続で睡魔と戦っていたとの事。

天ぷらと、蕎麦、うどんを食べる。
それと熊本でテイクアウトしたカラシ蓮根コロッケも食べる。
桜島が見えてくるとテンションが上がってくる。



とりあえず観光案内所で宿を探すために「鹿児島駅」に向かったのだが、何かおかしい。
よく見ると「鹿児島駅前」とか書いてある。
どうやらコチラではないようだ。
JRのターミナルは「鹿児島中央駅」らしいのでそちらに向かう。

桜島の噴煙の風向きなのか景色がかすんでいて、肺が少し痛くなってきた。

鹿児島中央駅に到着したがスゴイ人混みだ。浴衣を着てる人もいる。嫌な予感がする。
案の定、観光案内所に行くと宿がないとの事。
何でも今日の鹿児島は錦江湾の花火大会らしい。
駅の大階段で座りながらiモードで調べて片っ端からかけるが全滅。
雪のように灰も降ってくる。肺も痛い。
これはヤバイなと思っていたら1軒、宿が空いてる所につながった。
ただ民宿と言うより簡易宿泊所で、部屋は6畳の和室、トイレは共同で和式、風呂は・・・
もう仕方ないか!取れただけましだ!と言う事で予約する前に、最期のチャンスで観光案内所へ。
先ほどのお姉さんがシャッターを降ろそうとしている所だったが確認してもらったら、何と!
「ホテル法華クラブ鹿児島」にキャンセルが出たとの事で予約が出来た。

「ホテル法華クラブ鹿児島(鹿児島市加治屋町)」に到着し裏にバイクを停めさせてもらう。
ここは繁華街の天文館まで徒歩3分、鹿児島中央駅まで徒歩10分と場所がいい。

フロントから今日は鹿児島一でかい花火大会だと聞かされる。
そこで一計。
これは花火見てたりすると終了と同時に居酒屋に客が殺到して入れなくなるんじゃないのか?
つー事は、花火をしてるうちなら居酒屋は空いてるんじゃないのか。
と言う事で、始まった花火の音だけが聞こえる大浴場にささっと入る。

天文館にある昭和21年創業の郷土料理のお店「吾愛人(わかな)本店」に行く。(鹿児島市東千石町)
「吾愛人(我、人を愛す)」の「愛人(かな)」とは、奄美大島の方言で「愛しい人」「大切な人」と言う意味で、幕末の偉人「西郷隆盛」が好んで使った言葉「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」から来ているらしい。
 
昼が遅かったので、郷土料理と極上六白黒豚のしゃぶ鍋コースを1人前だけ頼む。
名物だという味噌おでんに、お約束のさつま揚げ、黒豚のとんこつ、黒豚の豚しゃぶ鍋、きびなご刺身、薩摩地鶏のタタキにちゃんぽん麺とフルーツが付いてくる。
それに、きびなご天ぷら、さつま汁、サラダなどを合わせ宴会を楽しむ。

ビールの次はやはり芋焼酎だろうと言う事で芋焼酎を注文する。
ツレが「ロックで」と言ったらスタッフさんが小さく「えっ!?」と言ったのを見逃さず、「地元の人はどう飲むの?」と聞いたところ「お湯割りが一般的」とのこと。(1年中お湯割りで飲む人が多いらしい)
なんでも店員さんが言うには鹿児島の芋焼酎は割るのを前提で造られていて、コップに、ここまで焼酎を入れる印と割ものを足してベストになる印が付いてたりするそうだ。
芋焼酎は特にお湯割りの方が芋の香りが引き立つとの事。
ロックやストレートでは、カルピスで言うと原液を飲むようなものなんだと納得。
早く酔えそうだし、二日酔いにもなりづらいかもしれないし、確かに理にかなってる。
やはり郷に入ったら郷に従えが一番だ。
どれも美味しかったが、甘めの醤油や味噌、酢味噌、豚汁に薩摩芋が入ってるなど、九州地方と言うか鹿児島の特徴だと感じた。
 

少しプラプラして、ホテルに帰って風呂に入って爆睡。


8/21(土)320km

熊本→阿蘇→鹿児島
Posted at 2013/09/25 23:29:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月19日 イイね!

九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)

九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)九州ツーリング 3日目 (長崎-雲仙-島原-フェリーで熊本)

朝起きてすぐ景色をみる。キレイだし今日も天気が良さそうだが、やはり暑くなりそうだ。
今日は長崎観光と島原半島を経由して熊本泊の予定だ。
熊本まで高速で行くかフェリーで行くかは時間次第だろう。


朝風呂に行くのに部屋を出たところ。


大浴場の前。
露天風呂で景色を見るのは部屋よりも気持ちがいいのは裸だからなのだろうか。


朝食バイキングを頂く。
特に長崎チックな朝食ではないが種類が豊富なので嬉しかった。
大きな丸テーブルでオッサン2人と言うのはなんとも絵にならない。
飲み過ぎた訳ではないが、胃に優しいだろうと言う事と、消化が早ければ、途中で色々つまめると言う事から、今朝も白飯をお粥で食べる。
 

部屋を片付けて支度をして出発。
 


有名な「眼鏡橋」に到着。
長崎市内の中島川に架かる、1634年(寛永11年)完成の日本初の石造り二連アーチ橋。
こういうこまごました所を回るのはバイクは駐車が楽なので嬉しい。
  
眼鏡橋近辺の堤防にはハートの形をした石がありそれを探すと恋が叶うらしい。
 


「海援隊」の前身で坂本龍馬が作った日本初の貿易商社(会社?)「亀山社中」記念館に行く。(長崎市伊良林)
龍馬が土佐藩を脱藩して活動の拠点とした場所だ。
「亀山」は地名で、「社中」は「会社」と言う意味らしい。
英語だと「カメヤマ・カンパニー・センター」と訳すのだろうか。

しかしとにかく長崎は坂が多い!
坂を歩くのは嫌なので後先考えずに近くまでバイクで上がってきたが、道は細いし、その先は階段だったりと、バイク乗り泣かせな町である。
路面電車の方から上がってきたからかも知れない。
風頭公園側からのアプローチの方が良かったかも。
 

再建らしいが、いくつか龍馬ゆかりの品があったりする。
 
窓から長崎市内が見渡せる。
 

亀山社中のすぐ近くの見晴らしのよい高台に「竜馬のブーツ像」がある。
大きめの銅製で、両足を入れることができる。
龍馬は袴にブーツという出で立ちは有名だが、土佐藩は身分制度が厳しく郷士である龍馬は草履しか履けなかったらしい。
そして自由の地・長崎でブーツに出会ったのだろう。
 

バイクの切り返し切り返しをくり返し、風頭公園へ行き、長崎湾を見下ろす龍馬像を見る。
この像は良くできていると思う。
 

日本初の写真家「上野彦馬」のお墓で、いい写真が撮れるように祈る。


長崎の中華街「長崎新地中華街」へ行く。
横浜、神戸、長崎の三つの中華街は日本三大中華街と呼ばれている。
神戸の南京町に行った時に、横浜中華街に比べると1/3より小さいくらいだと思ったが、ここはもっと小さい。
中華街と言うより中華横町と言う感じだ。
 

長崎チャンポンで有名な「江山楼(長崎市新地町)」



国宝の「大浦天主堂(長崎市南山手町)」に行く。
ここは1865年に建立された日本最古の現存するカトリックのキリスト教会堂で世界遺産の暫定リストに掲載されてるらしい。


「グラバー園」に行く。(長崎市南山手町)
小高い丘の上と言うか山の上にあり、中には「グラバー、リンガー、オルト、ウォーカーなどの住宅があるが有名なのはグラバー商会のグラバー亭だ。
トーマス・グラバーはスコットランド出身の商人で武器商人として幕末の日本で活躍した。
維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営や国産ビール(後のキリンビール)を育てた人である。
 


グラバー亭は日本最古の木造洋風建築で、当時の豪商ぶりが伺える。
坂本龍馬はじめ幕末の志士とも交流があり、邸内に隠し部屋がある。
    

園内の石畳の中に2箇所、ハート型の敷石があり触れると恋が叶うらしいが、意外と簡単に見つかる。
(オッサン2人がハートストーンを探すのもどうかと思うが・・・)
 

グラバー亭前の高台から昨夜泊まった「にっしょうかん」あたりを指さしてみる。
市内を越えた辺りだ。
右側に行くと亀山社中だが、龍馬もちょっと打ち合わせでグラバー亭に来たり、亀山社中に戻ったり、港に荷物を見に行ったり、土佐商会に行ったり、市内の丸山で飲んだりとしていたのを考えるとホントにこの時代の人は健脚だなと思う。
 

参道(グラバー通り)のおみやげ屋で、菅野美穂ちゃん主演の月9ドラマ『愛し君へ』で、藤木直人がグラバー苑のお土産として菅野美穂ちゃんにプレゼントしたガラスの天使を発見。
失明する難病に冒されたカメラマン(藤木直人)を支えようとする新米小児科の医師(菅野美穂)との物語なのだが、原作は長崎出身のさだまさしの「解夏」で、とても好きなドラマだ。
登場人物がみんないい人で、特に泉谷しげる演じる父親役がとても良かった。


今日は熊本泊を予定しているので、ガソリンを入れて島原半島を目指す。

途中、峠などを楽しみ、雲仙に到着し、雲仙地獄を見る。
1990年(平成2年)に噴火した雲仙普賢岳の南西に位置していて、キリシタン殉教悲史の舞台でもある。ヘレンケラーも来た事があるらしい。
 

その後、雲仙温泉街から少し離れた所にある「雲仙小地獄温泉館(雲仙市小浜町雲仙)」に行く。
八角形の木造湯屋で、硫黄と木の香りと日の光が気持がいい。露天はないが、打たせ湯がある。
湯温も熱くないのでつい長湯してしまった。
 

風呂を出て、個人的には天草四郎や島原の乱で有名な原城に行きたかったが、フェリーの時間もあり、ちょっと遠いので、フェリー乗り場である島原港方面を目指す事にした。
火砕流によって破壊された旧大野木場小学校も見たがったが時間の都合で断念。
ここら辺はきっちりとしたツーリングスケジュールを組まないアテのない旅のしょうがないところだ。

途中の道から雲仙を撮影。
普賢岳が噴火した影響でできた平成新山が長崎県の最高峰だそうだが、この死者43名を出した火砕流や土石流の映像はテレビで見ていて衝撃を受けた。
日本は火山大国だから温泉の恵を得ているが、それは地震や噴火などの災害と隣り合わせである事をあらためて知った。


街中を鯉が泳いでいる所があるとツレが言うので行ってみる(島原市新町)。
島原は水の都らしく、中でも新町一帯は特に湧き水が豊富だそうだ。
    

そこからフェリー乗り場に戻る途中の海沿いの集落に「浜の川湧水」なる場所があるらしく寄ってみる。
バイクでしか入れないような路地の先にあった。
ここ「浜の川湧水」は島原湧水群に属していて雲仙の噴火による地殻変動で出来たモノらしく、何層にもなる火山灰層や砂礫層がフィルターの役目をしているようだ。
 
山体の圧力で地下水が自噴している井戸があり、洗い場は四段の洗い場に区切られ、飲用、冷却用、食料品、食器、洗濯場と洗い場と言う風に用途によってに分けて使用するらしい。
この近くに坂本龍馬の長崎初上陸の碑がある。


空になったペットボトルに井戸水を補給してたら、向かいの家のおじさんが話しかけてきてくれて、東京から来たと伝えると、おばさんがイチジクをくれた。よく冷えていてとても美味しかった。
島原はイチジクが有名らしい。
こういう人との触れ合いもいい。



お礼を言って島原港のフェリーターミナルに行く。
出船までの間にホテルの予約と明日食べるカラシ蓮根の予約をする。
カラシ蓮根は店は休みだが開けてくれるとの事。
ルートイン熊本が取れた。水風呂はないが大浴場はある。
時間が来たので、フェリーに乗り込み熊本を目指す。
遠ざかる雲仙を撮影。
  

甲板に出ていたら、おじさんに話しかけられる。
熊本で自動車関係の仕事をしているとの事で、こちらは九州ツーリング中である事を話し、今夜は熊本に泊まる旨を伝えると、熊本に来たからにはとにかく馬刺しを食べなさいと言われた。
熊本では「馬刺し」は「さくら肉」と呼ばれ、スーパーでも普通にあるそうだ。


ルートイン熊本に到着。熊本駅から近い。駅前は繁華街っぽくない。
バイク置き場は車と一緒だが立体らしいので屋根があるのでラッキー。
チェックインしてひとっ風呂浴びてさっそく夜飯を食べに行く。

馬肉と熊本の郷土料理で有名な銀杏通りの「むつ五郎(熊本市中央区花畑町)」に行く。

馬肉は、熊本城主「加藤清正」が朝鮮出兵の際に食べたのが始まりらしい。
お通しは馬の肺。
メニューはとにかく種類(部位)が多い。東京では馴染みがない心臓、脳みそ、舌などもある。
とりあえず、霜降りと、レバ刺し、コーネ(たてがみ)を注文。
あわせて地魚の刺し盛りとカラシ蓮根、一文字のぐるぐる(ネギをぬたのように酢みそで食べる)などを頼む。
馬肉は名物だけあってとても旨い!
 
ビールの次は地酒にしよう、何にするか、と言う事でツレが熊本の地酒は焼酎がいいのか訪ねたら、熊本は米所だから日本酒が旨いとの事で地酒を頂く。

カウンターに座っていたのだが、隣に年配の女性が二人座っていたが地元の方で還暦のお祝いをしてるとの事でお祝いをのべさせてもらう。
色々、楽しい話で盛り上がったが、どうやら向かいのビルのオーナーさんらしく、息子が今後、空いた店舗でバーをやるから熊本に来る機会があったらぜひ寄って欲しいとの事で、わざわざその場所まで案内された。


「むつ五郎」を出て、「お母さん嬉しいんだろうね」と話しながら、締めに熊本ラーメンの「桂花ラーメン本店」を目指し栄通りを歩いていたら、手前にタレントのスザンヌのお母さんが経営している「キャサリン's BAR」があったので入ってみる事に。

中は立ち飲みスタイル。結構混んでいた。
マーガリン(妹さん)が接客してくれて、支払い方法はCOD(キャッシュオンデリバリー=都度現金払い)のようだ。
ツレが写真撮影をお願いしたらお母さんのキャサリンさんも一緒に快く応じてくれた。(有名人なので顔のぼかしはなしでいいかと)
火の国の人は気さくな人が多い気がした。
 

数杯飲んで、隣の「桂花ラーメン本店(熊本市中央区花畑町)」に行く。
豚骨と鶏ガラスープにマー油(こがしニンニク油)が入り、チャーシュー、ルータン(煮玉子)・メンマ・茎ワカメ・わけぎがトッピングされてる。
 

ホテルに着き、忘れていた充電器をバイクに取りに行く。
この後、風呂に入って就寝。



8/20(金)120km

長崎→島原→(フェリー)→熊本
Posted at 2013/09/25 23:29:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月18日 イイね!

九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)

九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)

今日は新門司から佐世保を経由して長崎泊の予定だ。
長崎県は47都道府県の中で唯一行った事がないの県なので、長崎県で47都道府県の全て行った事になる。
その後は、47の全ての都道府県で宿泊を達成する旅に切り替える予定。
これは観光や昼飯などで寄ったり走ったりした事はあるけど宿泊はしてない県として、福井と兵庫が残っているのでそこを目標にする。
沖縄は観光で行った事はあるがバイクで走った事がない。いつになるか分からないが、持ち込みか、レンタルか、相当難しそうな気もするが・・・

起床して朝風呂に入る。
ツーリング期間中は、朝・夜飯前・就寝前と最低3回は風呂に入る。
立ち寄り湯などがあれば多い時で1日5〜6回はいる時もあるので、皮膚がかっさかさになる。
なるべく擦らないように入らないと後々大変な事になる。
特に顔を擦ってしまうと、ヒリヒリするし、夜にお酒を飲むと赤くなるのが早くなり泥酔してるように見える。


風呂上がりに甲板で朝涼み?
今日も天気が良さそうだが暑くなりそうだ。


新門司に到着して、九州ツーリングの範疇から出てしまうが、下関の唐戸市場(山口県下関市)に朝飯を食べに行く事に。

関門海峡を渡り、山口県に入り、火の山公園の麓の「みもすそ川公園」に行く。

公園は幕末の下関戦争の長州藩の砲台跡でもあるので大砲が設置されている。
下関戦争は馬関戦争とも言い、長州藩が外国を廃絶する思想である攘夷を実行するために馬関海峡(関門海峡)を通過する外国船への砲撃を実施し、報復として、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四カ国連合艦隊が下関を攻撃したのだが、長州(山口県)一藩で4つの国相手に戦争するってどうなんだろう。熱すぎないか?
結果、長州藩は攘夷の無力さを認識し、海外の知識や技術を導入し、近代化の軍制を整えて倒幕へ進んでいく事になる。
外圧が来ないと何も変わらないというのは昔からの日本の特徴である気がする。
 

「みもすそ川公園」はまた、平安末期の源平合戦の舞台となった「壇ノ浦の戦い」の場所でもある。
幼い安徳天皇と三種の神器(皇位継承に必要な3種類の宝物)を奉じて都落ちした平家は、一ノ谷の戦い(神戸市須磨)で敗れ、屋島の戦い(香川県高松市)でも破れ、彦島(山口県下関市)に拠点を置き、源義経率いる源氏と最終決戦に挑むのであるが、合戦前半は水軍術に長けた平氏が有利だったが後半は潮の流れが変わり、裏切りが出たりで劣勢になる。
源義経軍が当時、マナー違反だった、船の漕ぎ手や舵取りなどの非戦闘員を矢で射ったりしたらしい。
敗北を悟った平氏側の二位の尼(平清盛の奥さん)が安徳天皇と三種の神器を抱いて入水自殺したの機に、平氏一門の女性や武将も海に身を投げる。
この戦いでは源義経の「八艘飛び」が有名であるが、これはた平氏随一の猛将として知られる平教経が、敵の大将の源義経を道連れにと追いかけるが、義経は船から船へ飛び移って去ってしまったと言う事らしい。平教経は源氏の武将2人を抱えて海に飛び込んだそうだ。
平知盛は鎧を2枚着てそれをオモリにして船のいかりを担いで海に飛び込んだらしい。
これは生きたまま浮かび上がって捕虜になるのを避ける事と、遺体が発見されて首を取られるという辱めを受けないためらしい。
入水の際、「見るべき程の事は見た」と言い残したらしい。
公家化していた平氏の中にもサムライがいたのだ。
大河ドラマ「義経」では阿部寛さんが演じていてとても豪快な最期だった。

その源義経の「八艘飛び」と平知盛の入水時の銅像がある。

 

ちなみに、平氏は平家とも言うが、源氏は源家とは言わないのは、
平氏は、平家を含めた平氏全体をさし、源氏も同じく全体をさすのだが、
平家は平氏(平一族)の中の平清盛の一家(家系)をさすらしく、源氏はお家騒動が多く、源家と呼ばれる氏の長者の一家が無いかららしい。(八幡太郎義家を祖とする源頼朝までの系列は源家と言う事もあるらしいが)

唐戸市場に到着。ここはフグで有名。
下関では「
河豚(ふぐ)」を「ふく」と言う。
フグが「不遇」に繋がり、フクが「福」につながるかららしい。
正月などにTVで見る、ふぐ競りの様子は、
「袋せり」と言われ、黒い袋の中で買い手が指の握り方で競っていくという変わった競り。
「袋せり」は南風泊市場(彦島。唐戸市場の一部)でしているらしく 一般人は入れない。
 

平日だからなのか開いてる店があまりない。
「市場食堂よし」に入り、てっさ(フグ刺し)定食とフグ唐刺身定食を注文。
  

下関ICから中国自動車道に乗り、関門橋を渡り再度、九州の福岡県に入り、九州自動車道を西へ進む。
小倉、福岡、太宰府を過ぎ、佐賀県に入り、鳥栖JCTで長崎自動車道に入る。
吉野ヶ里を過ぎ、金立(きんりゅう)SAで休憩。
武雄JCTで西九州自動車道で長崎県に入り、佐世保道路終点の佐世保中央ICで下車。
ICを降りてすぐの「ログキット本店(長崎県佐世保市矢岳町)」で「佐世保バーガー」を食べる事に。
「佐世保バーガー」は米軍基地がある町「佐世保」のご当地バーガーだ。
特徴は地産地消の手作りでり、オーダーを受けてから調理するらしい。
ハンバーガーは2年に1回食べるかどうかと言う感じだが、やはり佐世保に来たからには食べておこうと思った。
隣の「ヒカリ」でも良かったのだが、店前で食べるので、冷房の効いたトコに入りたいのでログキットにした。


 

店内はもろアメリカ!といった感じである。
バーガーは1つで満腹にあるほどバンズとパテが大きい。レタス、チーズ以外に、ベーコンと目玉焼きが入っている。
パテは薄めで、ハンバーグと言った感じでなく、外側はカリッと良く焼いてあり中はジューシー。脂っこくなく個人的にはとてもクセになるハンバーガーだ。
佐世保にはマクドナルドの出店から撤退までの最短記録があるらしい。
佐世保ではこのバーガーをB級グルメだと言う認識はないらしく、B1グランプリにも出場していないそうだ。
 
たくさんの有名人の写真がパネルに。自分たちが行く店にはだいたい石ちゃんが来てる事が多い。。。
玄人顔出しパネラーを自称しているので、顔出しパネルで撮影。顔の枠がでかい。
 

食後の一服で、アメリカを感じてみよう?バーガーにはこれでしょ!と言う事で、これまた何年かぶりにコーラを飲んだ。


好きな作家である、「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞した「村上龍」氏が佐世保出身で、1969年の青春を書いた小説「69-sixty
nine」の舞台も米軍基地の町佐世保だ。妻夫木君主演・宮藤官九郎監督で映画化もされている。
佐世保駅近くの岸壁から基地を望む。


佐世保道路の佐世保中央ICから乗り、佐世保大塔で降りて、下道で長崎市を目指す事に。
ハウステンボスを過ぎ、右に佐世保湾、左に大村湾を見ながら進む。
大村湾は佐世保湾を介して外洋につながっているので、海っぽいが、湾奥に行くにつれて穏やかな湖っぽくなってくる。
途中でちょっと渋滞していたのですり抜けをしてしまったら、後ろにパトカーがいたらしく止めさせられてしまった。
気さくなお巡りさんで、東京からツーリングで来ていて、これから長崎市に向かうと話したら、これから長崎じゃ大変だ。気をつけて行けよ。とお咎めなしで送り出してくれた。
途中のコンビニで切符を切られなかった事を祝し?、熊本製造の「南阿蘇山系の天然水使用・かき氷」を食べて、安全運転を心がけるよう頭と身体をクールダウンする。
珍しい袋詰めのかき氷だ。おそらく容器に移して崩して食べるものなのだろうが、棒の付いてないガリガリ君みたいに食べる。
 

長崎市に到着。
今夜の宿を探すために、とりあえず駅に向かおうとするが、途中に、平和公園があったので寄る事にした。
平和祈念像。
垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。
同じポーズで写真を撮ってる修学旅行生などがいる。。。
日本は平和なんだなと思う。

すぐ近くの浦上天主堂。


グラウンド0(爆心地)

母子像


長崎駅に到着。
ここ出身の福山雅治さんが大河ドラマ「龍馬伝」の主役なのでそのポスターがある。

観光案内所に行き、「にっしょうかん 梅松鶴」を予約してもらう。
地図を見るとちょっと市の中心部から外れてる感じなので夜飯に行くのに歩きじゃ辛そうだ。


住所をナビに入れて駅を出発。
出発して気付いたが、路面電車の路線の東側は山だ。
急な坂を登っていく。
そう言えば長崎は自転車が日本一売れないらしい。と言うのを思い出す。
これは歩いて飲みに行くレベルじゃない。

山の中腹で長崎市内と長崎湾、女神大橋が見えたので撮影。
ホテルはこれより上なので景色に期待が持てる。


「にっしょうかん 梅松鶴」にチェックイン。
部屋が広い!そして部屋からの長めがスゴイので景色を撮影する。

稲佐山から見る景色がいいと良く聞くが、稲佐山からだと稲佐山は見えない。
これは富士山に登ると富士山が見えないと同じ。東京タワー、スカイツリーもそうだ。
と言う事で、ここから見る稲佐山込みの景色が一番いいんだ。と無理矢理自分を納得させる。
  

お風呂も展望露天風呂になっていて、長崎の夜景が一望できる。
サウナと水風呂があるのも嬉しい。

大浴場から部屋に戻るまでにビールを買ってしまい、汗が引くまで部屋でビールを飲みながらしばし休憩しながら夜飯はどこに行くか検討する。

部屋は10畳の和室と洋室が障子で仕切れるようになっており、セミダブルのベッドが2つある。
掛け軸やお花などが活けてあったり、いつもホテルははただ寝るためと大浴場くらいしか使ってないので、広さ63平米以上で定員は6名のところに2人だと贅沢だが広すぎる。
 


夕日が沈んで行くので写真を撮ってみる。
コンデジの夜景モードや花火モードなど、色々なモードで撮ってみる。
    

タクシーで長崎の繁華街の入口、思案橋に行き「いろは本店(長崎市本石灰町)」に行く。
卓袱(しっぽく)料理など長崎の郷土料理が食べられらしい。


長崎名物の「鯨の盛り合わせ」「海老の長崎天ぷら」「からすみ」「豚の角煮」「地魚の刺し盛り」を頼む。
お目当ての「うちわ海老」は完売との事で残念。

鯨は関東だと昔の給食で出た鯨の竜田揚げくらいしか縁がないが、盛り合わせは、ベーコン・末広・百広・さえずり・赤身・尾羽の5種類もある。

海老の天ぷらはサクサクのフリッターというか、アメリカンドッグのような甘めの衣で、南蛮料理が元になっているそうだ。
角煮もとても味が染みていて美味しかった。

長崎料理は、16世紀に海外との貿易拠点だった関係で、南蛮料理と呼ばれるスペイン・ポルトガルの料理や、イギリス、中華料理などの影響を受けた独特な料理だそうだ。

けっこう閉店間際だったらしい。
 


締めに「皿うどん」と「ちゃんぽん」を食べるためにぶらぶらして「天天有」「よこはま」「康楽」を見て回り、「天天有」に入る。

具材が豊富でやはり本場の皿うどんとチャンポンはとても美味しかった。他のメニューも食べたかったがお腹がはち切れる寸前だったので諦める。

関東だと、和辛子にお酢をかけて食べるが、長崎ではウスターソースをかけるがこれがまたイケル。
 

腹ごなしに散歩する事にする。
 

丸山公園にある坂本龍馬像。
「長崎の丸山」は、「江戸の吉原」「京の島原」と合わせて三大花街(大阪の新町を合わせて四大花街と)と呼ばれたそうで、坂本竜馬、高杉晋作などの幕末の志士や
勝海舟、シーボルトなど、歴史上の多くの有名人がここで遊んでいたのだ。
なかにし礼の映画「長崎ぶらぶら節」の舞台でもある。
カステラの「福砂屋本店」があったり、レトロな交番があったりする。
 

丸山公園の先には、丸山の中で有名な「史跡料亭・花月」がある。
創業360年の老舗料亭で、「長崎ぶらぶら節」や司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にも何度も登場する。
坂本竜馬が斬りつけたという柱の傷跡があるらしいが夜も遅かったので開いてなかった。
 

「大浦慶」旧居跡。
幕末の豪商で日本茶輸出貿易の先駆者。
坂本龍馬らと親交があり多くの志士を援助していたそうだ。


リンガーハットを見つける。本店はファンからは聖地扱いだそうだ。


鍛冶屋町あたりをぶらぶらする。
ここは寺町で著名人の墓地も多い。


写真の開祖「上野彦馬」生誕の地。
幕末期から明治時代の写真家。日本での最初期の写真家で、日本初の戦場カメラマンでもある。
あの有名な坂本龍馬や高杉晋作の写真も上野彦馬が撮影した。


坂本龍馬と土佐藩家老の後藤象二郎が会談、和解した料亭「清風亭」跡。
土佐藩は身分制度が厳しく、当初、郷士出身の龍馬と身分の高い上士出身の後藤は敵対していたらしいが、この会談後、土佐藩が龍馬の作った亀山車中を海援隊として援助し、龍馬の作った「船中八策」を大政奉還へとつなげていく事になるので、とても重要な会談場所である。


「土佐商会」跡。
は龍馬が暗殺された後、海援隊を「土佐商会」とし、「岩崎弥太郎」が任され、将来的に三菱の創業者になる。
「海援隊発祥の地」とも刻んであり、坂本竜馬が船中八策を練ったという船「夕顔丸」のオブジェもある。
 

タクシーでホテルに戻る。
途中、道をふさいでいる楠の大木がある。
通称「諏訪の森」といわれるらしいが、この道路上の樹木は楠は、有名なお祭り「長崎くんち」の諏訪神社のご神木だから伐採が出来ないとの事。
木が邪魔なのか道路が邪魔なのか分からない
ホテルのロビーには有名なお祭り「長崎くんち」で奉納される演し物の代表格「龍踊り(じゃおどり)」に使用する龍が飾ってある。


大浴場で長崎の夜景を堪能して、落ちるように就寝。

8/19(木)280km

新門司→下関→佐世保→(下道)長崎
Posted at 2013/09/25 23:30:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記

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ジレラ GP800乗りのKen-ziです。。 ツーリング、温泉、お酒、B級グルメ愛するバイク乗りです。 47都道府県ツーリングを達成したのを機に記録とし...
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ジレラ GP800(ジピ八号)に乗ってます。パワーとキレに大満足! ツーリング仕様で日本 ...
カワサキ GPz250 じぴ子 (カワサキ GPz250)
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