10月14日(日)の午前中はタイトルにも有りますように
「京都仁丹樂會といく、下京の仁丹町名表示板~仁丹好きには宝のような辻子から、木製・琺瑯35の仁丹を辿る~」という
「まいまい京都」(http://www.maimai-kyoto.jp)さんの企画に参加して参りました。まいまい京都さんでは多くのコースの設定が有りますが、今回のこのコースは初お目見えです。
4年程前からブロンプトンを使っての京都散策が趣味となっておりますが京都市内を流していると時々目につくのが
「仁丹町名表示板」です。それはこんなやつです。
京都に行った事がある人なら見た事が有るかもしれないですね。
なんだか歴史を感じるくらい古めかしいものからピカピカのものまで市内を走っていると目にすることがあり気になってそれらをウェブで調べると何やらこれだけでも面白そうな世界が広がっております。
そうやって出会ったサイトが
「京都仁丹樂會」(
http://jintan.kyo2.jp)さん。見ると古写真や過去の地名や道路表記などから論理的に設置時期や設置ルールなどを推理、説明されており読み物としてもかなり面白いサイトでした。
ここを参考にしながら京都散策をしたりして数ヶ月が経過した頃、なんとタイムリーにも「まいまい京都」さんの秋のコースに仁丹町名表示板のコースが発表されたのです。しかも自分の休みのスケジュールと合う!これは何かの縁だ〜!ということで申し込み、先日参加した次第なのです。
仁丹と言えば、明治26年創業の現在の「森下仁丹株式会社」(本社は大阪市)が販売している丸い小さな銀粒の口中清涼剤のことです。今の若い人は馴染みが無いかもしれないですが、フリスクやミンティアといった菓子とは違って菓子ではなく16種類の生薬を閉じ込めた「医薬部外品」の総合保健薬なんですよねー(知らなかった・・・)。
この森下仁丹さんが広告を兼ねて街の辻々に掲げた町名表示板が今も京都の市内に数多く残っているのですが今回はそれを皆で探しながら広告看板から色んなことを知る事が出来るというツアーでした。
ガイドをしてくださったのはわたしが何度もサイトを覗いていたあの「京都仁丹樂會」さん達!!これは胸躍りますね。
さらに、森下仁丹株式会社から広報のハナダさん、広報アシスタントのホソノさん、ウェブ&FB担当のミキさんのいわゆる「森下仁丹美人3人娘」が随行し協力サポートしてくれました(お土産も有り難うございました)。
京都市営地下鉄の四条駅で集合、そこから徐々に下り西本願寺までの道のりを歩いて35枚の仁丹町名表示板を見る事が出来ました。
まずは表記の原則的なルールなど基本的なレクチャーを受けます。
このような古写真に映り込んでいる仁丹町名表示板を見つけて時代考証をし、おおよその設置年代を割り出していく方法を紹介してもらいました。スゴい!
推測の域を出ませんが、ほぼ昭和10年頃までに町名表示板の設置は終わったと思われます。
観光地ではないごく普通の素の京都の路地を20人ほどでぞろぞろ歩きました。
どの位置に設置されているかとか細かく書くとこの手のものは所謂“宝探し”の要素も有り面白くなくなるので随分“はしょり”ますが(・・・と言っても表示板の住所を見たらどこか一発で分かりますけどね)、
こんな初期の頃のしかも色味まではっきりと見る事が出来る木製のものや(地元の方に大事にされているのでしょう、百歳近い表示板となります、当初表示板はこのような木製だったようですが、すぐに耐久性に優れる琺瑯(ホーロー)製に変わりました)、
並んで掲げられているものや
おそらく建家が無くなったのだろうが、誰かが電信柱に移設したものや(現時点で電柱に取り付けられているものは確認されているので18枚との事)
現在の京都市広報板と仁丹表示板の熾烈な争いや(しかし住所表示の正確さは仁丹に軍配が上がる。このとき知ったのですが京都市役所やライオンズクラブさんが設置した現代の表示板は住所表示と設置場所が一致していないことがあるのですね。森下仁丹さんの表示板は本当に正確!)
非常に見つけにくい場所にひっそり有ったり(しかも手前の表示板のほうが設置が新しいはずなのに我らが仁丹の方が褪せていないのがスゴい!)、
郷土愛に守られた仁丹が有ったり(過去ライオンズクラブの表示板が仁丹の上に設置されていた!)
立て替えした建物にも、改めて付け直された愛されている表示板を見たり、
こんな絵になる路地の入り口に取り付けられていたり
ちょっと紛らわしい仁丹に似たものや
ちょっと字がヘタッピなものや
こんな姿になっても現役続行中の健気なものとかを見て来ました。
しかし、なぜ、森下仁丹さんはここまで京都市に情熱を注いで町名表示板を設置したのか、
平成になってから造った表示板は既に文字が擦れたりしているものが有るのに、昭和初期に設置した表示板はなぜ長期間にわたって風雨にさらされているのに文字が読めるのか(現代とは異なるものが使われていたのだろうか)、そもそも相当な枚数であったと思われる表示板をどのような方法を使って設置していったのか、なぜおじさんのマークが上に有ったり下に有ったりするのか、などなど謎は多い(※)のです。
仁丹町名表示板が有った場所にマンションが建ったり駐車場に姿を替えたりして行方不明になったものが沢山あるそうです。京都仁丹樂會さんのフィールドワークからの報告によると現時点で確認されている仁丹町名表示板は1200枚強との事。おそらく、大事に保管されているものが沢山有るのではないかと推測されます。
※ 残念ながら森下仁丹さんの社内にはその辺りの資料が大坂空襲の際に燃えてしまい無いのです。
参加を終えて思ったのは・・・もうこれは一企業の広告の域を超えた、京都の立派な文化財だと言っても過言ではない、そんな気持ちになりましたね。広告看板から京都の路地に関する歴史などを掘り下げる事も出来て改めて京都散策の奥深さを実感しました。やはり侮れないぞ、「まいまい京都」。
京都仁丹樂會の方々がどこかに眠っている仁丹町名表示板(埋蔵仁丹と名付けている)が日の目を見る様広報活動も行っていきたいと仰っていたのが印象的でした。
何も観光地だけが京都だけじゃない、こんなアプローチも有るんだということで、非常に楽しめたコースでした。京都仁丹樂會のみなさま、仁丹三人娘の皆様、まいまい京都事務局の皆様、有り難うございました。
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Posted at
2012/10/17 00:01:31