10月27日(土)は
「大阪あそ歩」さんのイベント、
「船場のレッドカーペット・三休橋筋~変わりゆくプロムナードのいまを歩く~」というものに参加して来た。
もともと、27日(土)は大阪市中央区にある重要文化財建造物指定の
「愛珠幼稚園(あいしゅようちえん)」の特別公開日になっていて、どうしても普段非公開の内部を見たかったので個人的に予定をくんでいましたが、偶然にも大阪あそ歩さんのこの日のまち歩きのコースにこの建物を含むエリアを散策するというのを見つけ申し込んだという次第です。2009年の3月にBromptonで大阪市内のレトロ建築巡り(
https://minkara.carview.co.jp/userid/145806/blog/13181059/)をしているときに存在を知った愛珠幼稚園。少し大げさですが3年越しの夢が叶いそうです。
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この日も朝から見事な秋晴れ。散策するには最高の日和でした。
集合予定場所である大阪中之島公会堂には1時間も早く着いているので付近を散策。
この日の相棒はリコーのGRデジタル2です。
ライオン橋。
中之島・大川周辺も整備されて居心地の良いスペースに。
大阪元府知事が槍玉に挙げていた中之島図書館。
そしてこの辺りのシンボル、中之島にある重要文化財・大阪市中央公会堂。
さて、イベント開始です。
この日集まったのは男性2名、女性5名、三休橋筋愛好会さんなどのガイド3名の計10人でまち歩きを始めます。
三休橋筋は公会堂前の栴檀木橋(せんだんのきばし)から長堀通までの約2キロの南北を貫く筋を指します。
手始めに一般公開されている
中央公会堂(
http://osaka-chuokokaido.jp)の地下に入って(岩本記念室)公会堂の歴史を学びました。
次に訪れたのは、
吉田理容所。昭和5年(1930年)開業の老舗理髪店。
長屋を利用している建物です。
わざわざ、わたしたちのために仕事の予定を入れずに店を開けて待っていてくださっているとの事。
開業時そのままのドイツ製の大きな鏡(縦180センチ幅90センチ)があります(当時はこのような大きなガラスは国産では製造が不可能であったようです。しかもこの鏡を使うために長屋を改装、天井を高くしたそうですよ。店の入り口のガラスも相当凝っていて小さいガラスを前に割れたときに交換したら45,000円もしたと・・・ (^_^;A)
鏡もきっちりと面取りされており縁は桜の樹で出来ているとの事。
開業当時の時代は「○○床」というのが一般的な床屋の名前であったが、モダンな印象を持たせるために「理容所」と先代が名付けたとのエピソードを聞きました。
今では理容所という名前は珍しいが敢えて拘って店名も店内も開業当時のスタイルを保っているという。
著名人の常連客も多い名店で100年は店を続けたいとの思いから今は息子さんも修行中です。
このエリアは比較的普段からよくうろちょろしていたのですが全然知らなくてしょっぱなから驚かされました。
次は
適塾です。

大村益次郎や福沢諭吉、手塚治の曾祖父・手塚良仙などを排出した事で有名な蘭学者・緒方洪庵の私塾です。
そして
愛珠幼稚園。
まわりはビルで囲まれており大阪のビジネス街です。
明治13年から続く現役幼稚園としては日本最古の建物です。
この建物は明治34年に竣工されています。
13時からの公開なので門前にてガイドを聞きます。
内部は写真撮影不可のため資料にて説明をしている所ですね。
お昼からこの建物の内部に入って見学して来ましたが、古いものを大事に使っているという印象でした。
親子四代にわたってここに通っている人も居るそうです。
愛珠幼稚園に関しては大阪市のサイトに詳しく出ています。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000008777.html
旧大中証券ビルと浪花教会。
現状の姿に戻すエピソードを聞く事が出来た芝川ビル、1927年築。
三休橋筋をプロムダード化するにあたり、地元商店街・町内会の方や愛好会の方達など官民一体となって様々な活動を行っています。
・交差点に道路名板を設置
・電柱の撤去
・街路樹の植樹 などなど・・・
確かに10年程前は週末は活気もなかったこの辺りですがおしゃれな街に変わりつつ有ります。
この日もほどほどに人々が歩いている姿を見る事が出来、地道な努力が実を結んでいると実感しますね。
そして、この筋のランドマークとも言える綿業会館へ。
戦後の重文なので非常に珍しいですね。
会員制の倶楽部なのでなかなか中に入る事が出来ません。いざ、内部に潜入です。
イタリア・ルネッサンス調のロビー。撮影などにもよく使われる場所です。
シャンデリアは2代目(先代は戦争時に徴収された)。
ミラノ・スカラ座に有るものを模して作ったそうです。
アメリカ様式の食堂。壁はコルク材で出来ており吸音効果があります。
この日、昼から社交ダンスが行われるという事で先に見せて頂いたイギリス様式の本館大会場。
リットン調査団が来日したときにもこの場所は使われました。
同じ角度からこの談話室を。
特徴あるタイル張りの壁と鋼鉄ワイヤ入り耐火ガラス。
このおかげで大阪大空襲時の戦火を免れたと説明受けました。
昭和6年当時のままの状態で残っている貴賓室(開かずの間)。
皇室関係者の人々しか使わなかったため痛みが少ない。
鏡の間と言われる会議室。シンメトリーな作りが面白い。
とにかく維持が大変との事。
足下を見ると木目調大理石とアンモナイトの化石入りの大理石の床石。豪華ですね。
なかなか普段は見れない地下一階にあるグリルも見学させて頂きました。
蒼いタイルなども当時のまま。
壁のタイルも当時のまま。
贅を尽くした内部を見れて我々は感激です。日本綿業の発展を願い昭和3年に150万円の資金で建設が始まり(当時の貨幣価値でどれくらいだ?450億円くらい?)昭和6年に建てられたというのに当時からエアコンが導入されたていたりとデザインや機能の面で先駆的な試みがなされていた綿業会館。近代建築の傑作と言われるだけ有りました。
綿業会館HP →
http://www.mengyo-club.or.jp
その後、参加者の有志で愛珠幼稚園の一般公開、洪庵ビルで開催された除痘館記念資料室での講演に。
有意義な1日となりました。
そして
「三休橋筋愛好会」のみなさんありがとうございました
いつも投票ありがとうございます→ 