広島原爆 中沢啓治 「はだしのゲン」ゆかりの地を訪ねる1の続き。
次に、中沢さんが被爆後母と合流した舟入川口町電停前へ行ってみた。
「はだしのゲン」では、ゲンの目の前で家族が焼き殺されるが、実際は
中沢さんはその場におらず、家族が死ぬ場面を見ていない。
後に母親から詳細に話を聞くことになる。
グーグルストリートビュー
画像は「はだしのゲンが見たヒロシマ」より。
この弁当屋さんの前辺りで、母と合流できたそうだ。
当時の舟入通りは石垣で高くなっており、両サイドは畑だったそうだ。
「はだしのゲン」自伝より。
「おれは見た」より。
本川小学校平和資料館にも行ってみた。「はだしのゲン」に出てくる
元川小学校のモデルである。神崎小学校が焼けてしまったため、
中沢さんはこの本川小学校に通った。
グーグルストリートビュー
門を入って受付で名札をもらい、資料館を見学する。
資料館自体は小規模なものだが、当時のままの建物の重苦しさは圧巻であった。
中沢さんがその後通った江波中や、避難場所を求めてさまよった皿山にも行きたかったのだが、都合で行かれなかった。
江波中は旧陸軍射撃場があった場所に立っており、被爆者の遺骨が大量に埋められたそうだ。
江波居候時代に、住まいの裏手に火葬場があり、葬列についていって
火葬の手伝いをし、食べ物をもらったという記述が「はだしのゲン自伝」にあったのだが、江波山公園にその旧火葬場の痕跡が残っているらしい。
そこにもそのうち行ってみたい。
中沢さんの講演は広島と福山(沼隈)の2回行ったのだが、講演内容自体はほとんど同じだった。沼隈では、耳が聞こえない人用に、講演中同時通訳みたいな感じでボランティアの人が中沢さんの話を紙に書き取り、
それを字幕のようにスライドで映すサービスをやっていた。姉の英子(えいこ)の話のとき、書き写しの方は英子を仮名の「A子」だと思ったようで、スライドには
「A子が~」と映されていた。
余談だけど、沼隈講演の当日は激しい雷雨があり、会場の沼隈図書館につくと停電で明かりがついておらず戸惑った(開演までには復旧)。
広島では、中沢さんは口内炎ができたとかで話が聞きづらく、足もプルプル震えてて大丈夫かと思ったが、講演が進むにつれ熱を帯びてきて
これも聴き応えのある講演だった。
90分の予定だったのだが、60分ピッタリで中沢さんが話を切り上げてしまい、後は会場との質疑応答となった。司会の方もちょっと戸惑った感じだったので、中沢さんが時間を勘違いしたのではなかったか。
質疑では、「はだしのゲン」東京編の話になった。中沢さんによると、東京で隆太はヤクザの抗争に巻き込まれ殺されるが、勝子が隆太の子供を身ごもっており、勝子はデザイナーとして世界に羽ばたくということだった。
東京編の次に予定されていたフランス編で、最後ゲンは広島へ戻ってくるのかという質問も出たのだが、中沢さんは「それは読者の方が考えてください」と答えていた。
広島原爆 中沢啓治 「はだしのゲン」ゆかりの地を訪ねる3 皿山~江波火葬場跡へ続く。
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Posted at
2014/07/15 15:42:48