
今年4月の話になるが、中国放送と広島電鉄が共同で
「被爆電車特別運行プロジェクト」というのをやってたので乗ってきた。
昭和20年8月6日、江波で被爆した路面電車653号を当時の塗装に復元し、
市民に試乗してもらおうという企画である。
要申し込みで、今年8月までの申し込みはすでに締め切られてしまったが、
11月にもまたやるそうだ。
集合場所に早く行ったので、番号が1番だったw
被爆電車はグレーと青に塗られていた。敵機から見えにくいように
というような配慮もあったんだろうか?
内部もキレイに再塗装されており、「被爆電車」という言葉から想像する
おどろおどろしさ、暗さみたいなものは皆無だ。
シートはグリーン。床や窓枠が、当時のままのような感じがした。
車内にはモニターが数台置いてあり、運行中に被爆電車の説明や
広電の宣伝動画が流される。
乗客は十数人と、非常に余裕があった。
運転席の様子。マスコンというのか、操縦レバーが古めかしくて
もはやスチームパンクのようだ。
運転席の足元。
コースは、広島駅を出発し、西広島駅(己斐)で休憩、引き返して
原爆ドーム前で下車だった。
貸し切りでノンストップで走るので、優越感があって気持ちよかったw
まるで新車のようにピカピカだったので、正直「被爆電車」に乗ったという
感慨はなかったけれども、路面電車好き、原爆好きな方は申し込まれたら
よいのではないかと思う。ステッカーのような記念品ももらえた。
有名な御幸橋の写真を撮った松重美人(よしと)さんが、爆風で吹き飛んだ
路面電車の車内で多数の遺体を目撃している。
撮影しようと思ったが、あまりの悲惨さに撮影できなかったそうだ。
「はだしのゲン」でも、ゲンが死体だらけの路面電車を目撃するシーンが
ある。(愛蔵版 はだしのゲン第2巻 中沢啓治著 汐文社)より
昭和20年当時は、十代の女子学生が中心となって運行されていた。
若い男子は戦争に駆りだされていなくなってしまったからだ。
「チンチン電車と女学生」(堀川惠子、小笠原信之 日本評論社)に詳しい。
当時のチンチン電車はパンタグラフが外れやすく、カーブのたびに外れて
長い棒を使ってつけないといけなかったそうだ。
女子電車乗務員を育成するため昭和18年開校した広島電鉄家政女学校は、
戦争が終わるとすぐさま廃校となった。
戦地から男子が戻ってきたため、女子学生は用済みになったのである。
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原爆資料館敷地内では、発掘調査をやっていた。
瓦やレンガなどが多数埋まっているようだ。
もっと調べれば、人骨も出てくるんだろうなと思う。
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2016年8月20日追記
ヌマジ交通ミュージアム(広島市交通科学館)へ行ったら、裏側に
被爆電車654号が展示してあった。
どうやってここまで運んだんだろうと、往年の地下鉄漫才のようなことを
考えてしまったが、普通に仮レールを敷いて移動、その後仮レールを
撤去だろうな。
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Posted at
2016/07/24 10:45:22