2017年02月08日
どうも、以前にも増して食欲旺盛な鈴蘭です。
なにせいきなり!ステーキが旨すぎてw
エボも車検を取りましたので、まだしばらくは乗るつもりです。
さて、母が亡くなってから大分たちますが、今は家族協力して生活しています。
前にも書いたと思いますが、母が亡くなってからは以前よりも家族間の交流の時間が増えました。
以前は見たい番組があっても母がパジャマに着替えたいという理由で半ば強制的に個室に行っていたので。やはり居間とテレビの力は偉大だなと思っていますw
家事のほうは家族で分担してやっています。
私は主にゴミ出しと掃除と皿洗い担当になっています。
でも料理もやりたい自分がいますw
そして週末はまもなく北海道から撤退するカシオペアの撮影に明け暮れています。
来月はおそらくダイヤ改正で変わる道北系統の特急の撮影をすると思いますw
またしばらくは鉄道関係のネタが尽きないと思うので、そちらがメインになると思いますw
あ、ちなみに仕様変更のほうも少しずつ進んでますよ~
洞爺湖には間に合わせます。
以上、活発なすずらんでしたw
Posted at 2017/02/08 00:36:49 | |
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2017年01月13日
本日、母の葬儀がすべて終了しました。
親族で小さくやるつもりでしたが、ご近所さんや周りの方々がたくさん参列していただき、それなりに華やかなお葬式となりました。改めて母の人柄がしのばれます。
両親を残し、突然いなくなってしまった一人娘である母に「バカヤロー」「もう少し自分の周りの人間のことを考えろ」と言いたいのが私の本音です。
しかし、お坊さんにも言われましたが、悪いのは私たちじゃない、これもその人の人生だと。
その言葉を受け止め、これから力強く生きていこうと思います。
しかし、まだやることはたくさんあります。
四十九日までに仏壇の用意と遺骨を納める場所(お墓にするのか納骨堂にするのか)を決めたりしなければなりません。
あとは遺品の整理と遺産の相続、各種手続き、今後の自分たちの生活・・・など問題は山積みです。
こういったことは本来は遺書があればある程度楽なんですが・・・
皆さんにはご心配をおかけいたしました。
皆様のお悔やみの気持ち、ありがとうございました。これから何かとご迷惑をかけることがあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
大したお礼はできませんが、これからも私すずらんと変わらずのお付き合いができれば幸いです。
それでは失礼いたします。
Posted at 2017/01/13 21:39:27 | |
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2017年01月09日
すずらんです。
今回は母の鬱病と我々の関係について書かせていただきます。
これまでコメントありがとうございました。
まず、きっかけは今からおよそ4年前でした。
一度家族会議があり、そこで母が鬱病で病院にかかっていることを知り、家事は今まで通りできるからということで、またそれ以外にもなるべく迷惑をかけないようにするというようなことを言われ、そこで話は終わりました。
それを知ってから、私は少しでも親孝行をしようと、当時の趣味であった写真撮影のために行きたい場所が言ってねと言い、母をいろいろな場所に連れて行きました。
夕張、三笠、支笏湖、糠平のタウシュベツ橋梁など・・・
また母方の祖父母が惣菜屋をやっていたのですが、それをやめてからは旅行を趣味にしていて、それについて行ったこともありました。
また本来であれば、臨時の北斗星にも乗せて東京へ連れていくつもりでした。
チケットは母に何とかとってもらい、お金は私が出してという形で。
しかし、その前後から母が体調を崩し始めて、遠出ができなくなってしまい、結果北斗星は代理で妹を連れて行きました。
それからもしばらくは近所の百合が原公園などで写真撮影などをしていましたが、次第にそれもしなくなり、それからは家でずっと引きこもりのような生活でした。
その頃から母の性格も変わってしまい、自分の思い通りにいかないとダメなようになってしまい、我々もそれで苛立つようになってしまいました。
しかし、勘違いしないでほしいのですが、それが原因で母に暴力をふるったりということはありません。
行きつけの精神科の処方する薬もだんだん強くなり、我々も病院を変えたら?などということを言ったりもしましたが、それも聞き入れず、今の先生で大丈夫だと言っていました。
それからは一応母の機嫌を損ねないよう気を付けつつ、生活していました。
しかし、私個人のことですが一昨年ころから仕事が忙しくなり、九州へ出張に行ったり、私自身も本来の所属とは関係ないような仕事をしていることなどを愚痴ったりしたりしていました。
また休日も昼食のメニューが同じだという理由で私は昼に外食をするようになり、妹も自分で料理をしてということになりました。
また我々も個人個人いろいろ問題を抱え、またそれで迷惑をかけないように気を付けていたつもりでしたが、結果母をそれに巻き込むような形になり、それで精神がすり減っていったのかなと今では思います。
そしてこの年始、それに耐えられなくなり・・・ということなのかなと思います。
どちらにせよ、母が自殺したという事実を受け止め、今後は自分の力で生きていくしかないと思っています。
皆さんのお悔やみの気持ちは読ませていただきました。ありがとうございました。
今後も皆さんとは変わらずお付き合いさせていただくことにはなると思いますが、よろしくお願いいたします。
Posted at 2017/01/09 09:25:35 | |
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2017年01月07日
とりあえず状況が落ち着きつつあるので、私の言葉で現状のご報告をさせていただきます。
先日、1/6の午前3時ころに私の母が外で倒れていたのを私以外の家族(妹と父)が発見し、救急車で緊急搬送されたものの、手遅れという形で亡くなってしまいました。
その時、自分は明日の仕事のこともあり、熟睡しており、物音で起きてことの次第を知ったものですので、直接現場を見たわけではありません。
そのため、ここからは証言などをもとにした話になりますので、言葉が悪くなる箇所もありますが、ご了承ください。
まず第一発見者である妹が119番をして、父とともに救急車で緊急搬送されたのちに、警察が来て、事件性が無きにしも非ずなので私は妹ともに事情聴取と現場検証があり、その最中で寝室の窓、そしてベランダの梯子から屋根の上にかけて足跡があったことが確認されました。
そして、搬送先の病院で、おそらく蘇生処置中に胃から不自然な色の(エメラルドグリーンのような)液体が出てきたということで、現在警察の専門機関のほうで詳しい検査を行っている状況です。
これは死亡診断書(正確には死体検案書)を書くうえでどうしても必要なことなので。
その後、警察の方から連絡が来て、直接の死因は低体温症であることは聞きました。
ただし、先述の胃の内容物がもしかしたら死に関係しているかもしれないので、現在はそれを調べてもらっている状況です。
現在の我々の見立てでは、何らかの理由で処方されていた薬(睡眠導入剤)を多量に摂取して、それで精神に異常をきたして、自殺したのではというのが大筋の見方です。
家族間でも屋根の足跡を警察の方に見つけてもらった時に、それが濃厚になってしました。
父も手袋(ゴム手袋)を履いていたと言ったので(私は)余計にそう思ってしまいました。
本当に直前まで(私の視点では)いつも通りで、異変に気づけず、結果気づくのが遅れてこういう形になってしまった事を今では悔やんでいます。
現在、遺書のようなものも見つかっておらず、本当に突発的に飛び降り自殺をしてしまったという感じです。
とりあえず、葬儀などは親族のみで行う方向ですので、ご香典などを痛車界隈などから頂くようなことはありません。そこはご理解いただきたく思います。
コメントもある程度は読ませていただきました。
とりあえず、今私自身は元気ですので、よろしくお願いします。
追記
私の母は3年ほど前から欝で闘病生活をしていました。
我々もそれを支えつつ、気をつけていたつもりですが、結果それが足りなかったのかなと思います。
追記②
重ね重ねにはなりますがコメントありがとうございます。
私も現実をしっかり受け止めて、残った家族とともに生きていきます。
家事なども分担してやっていきます。
また、誤字の修正や追記が遂次あります 客観的に勘違いがないように記事を書いたつもりです。
ご理解をお願いします
Posted at 2017/01/08 00:31:30 | |
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2017年01月07日
お久しぶりです。すずらんです。
突然ですが、母が亡くなりました。
現在、警察のほうで死因などを調べてもらっています。
詳しいことがわかりましたら、またご報告します。
それまではコメントなどはできませんがご了承ください。
Posted at 2017/01/07 09:14:55 | |
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